after sunを見た一日


朝10時から始まるということで、昨日の夜無理かなと思って寝た。が、運良く7時半には目が覚めていたので見に行くことにした。

「失われた記憶」というものにとても興味があったし、予告を見た時から絶対に泣いてしまうと分かっていた。わたしは3歳の頃に両親が離婚している。父と最近になってよく会うようになったから、別に悲観することは何もないのになぜか、昔から父親にフォーカスの当たるドラマや映画を見ると、泣いてしまうのだ。


映画自体2-3年ぶりだった。昔は予告を楽しく見ていたものだけれど、早く本編を見せてくれーという気持ちが勝った。しばらくして明かりが消え、画質の荒い映像が写った。

淡い海のトーン、一般的な観光地の賑わい。最初はカラムも久しぶりの娘に会えて嬉しいのかご機嫌だが、中盤から少しずつ彼を蝕んでいるものが顔を出す。包帯もウェットスーツも脱げずにイライラしたり、11歳の娘が元気にやろうよ!と言うカラオケを頑なに断ったり。正直感傷多めの「ひと夏の思い出」的なロードムービーを想像していたので、親子の不仲に結構ハラハラした。

カラオケのシーンは特に、ソフィの演技が本当にうまかった。みんなの前に出て歌いながら父を見ている時は「来てよ、歌おうよ」と明るい顔なのに、父親の来る気配が無く、歌も真ん中を過ぎると少しずつ曇っていく。それでも最後まで歌い切り、ベンチに戻って初めて真顔になる。

ソフィが本当に怒ったのはそれでもその1回で、あとは父親が不機嫌だったら謝るし、基本的に父の押し殺している内面は気にかけていない、いつもご機嫌そうな11歳でとても良かった。大人のソフィはそれをたいそう悔やむかもしれないが、そのような「守られのびのびと過ごす子供」の自分が映像に残っているのはいい事だったと思う。

『パパと離れていても、太陽を見れば近くに感じられる』とソフィがちょういいこと言っているのにカラムは目を閉じているシーンとか、夜海へ入ったり、『ずっと愛してる』と自分で書いた手紙を見て泣いたり、『40歳まで生きられないと思う』と言ったり。死の匂いはもう既にしていて、それでも最後の地でポラロイドを撮り、そこに2人の姿が徐々に浮かび上がるシーンで泣いてしまった。初めてカラムがソフィといて歯を見せて笑い、これは楽しかった思い出として永遠に残る。もっと一緒にいたい、と言うソフィに困って何も言えないカラム。なんでもいいから言ってくれれば、と思った。もうそんな元気も無かったのかもしれない。余計に悲しい。

あんなにカラオケは嫌がったのに、ダンスは強引に誘って、ソフィも嫌がっているけど本当は嬉しくて、しがみついた体をきっとずっと覚えているだろう。

このシーンで流れたUnder pressureの字幕を見ながら、分かった。ソフィはカラムに死んで欲しくなかったのだ。諦めてほしくなかったんだ。この夏、あんなに楽しそうに笑ったでしょう? 2人きりの海の上で、『これから何かあったら話して、男の子のこととか、薬とか』って未来の約束をしたでしょう?『愛にチャンスを与え』て欲しかったんだ。信じてほしかった。あなたが与えてくれた愛を。





まだ両親が離婚する前、赤子の私を育てていた時のビデオを発見し、何の気なしに見たことがあった。色んな味のジュースをたぶん一口ずつ飲ませていて、「喜んでる喜んでる。」レモン味を上げて私が酸っぱい顔をすると、両親の笑い声。お食い初めの映像に切り替わったが、もう見れなかった。中学生の私には痛すぎた。確かにあった、今はもうない、これから起こることもない、でも無かったことにはならない幸せな記憶。引っ越した時にどこかにやってしまって、二度と見ることは無いだろう。31歳になったら、私も見れるようになっただろうか。

after sunは、私にとってその赤子の頃のビデオのような映画だった。結構本気で泣いてしまい、同じシアターから出てきた人に怪訝そうな顔をされた。外は映画と同じようにぴかーっと晴れていた。迎えに来てくれる母に電話をすると、元気で能天気な声で、それを聞いて少し泣いた。迎えが来る前も外でスンスンして、家に帰っても発作的に涙が出るから困る。ソフィが裏切られたような気持ちになったのも、父と同じ歳で子供を持った時に親の気持ちへ理解を向けられたのも、分かる気がする。もう一度見たいけど見れないと思う。こんなことあったよねと、それぞれの親との思い出を思い出させてくれるいい映画だった。時間が経ってやがて映像もぼんやりとしか思い出せなくなるだろうけど、そういう映画なんだと思った。


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