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リバースムーン(掌編・月)

 波打ち際に丸い花がぼんやりと咲いていた。重い両手をぶらさげて、僕はとぼとぼと近づいた。
 途中何度も足を取られながら砂の上を進むと、ちりめんのような花弁がたった四枚重なっただけの白い花だった。
 花を見ているとどういうわけかぼろぼろと涙がこぼれてきた。夜の闇に見えにくかったが、花のまわりにはいくつかのうつむく蕾があるのに気がついた。
 自分の肉体では感じることができなかったが、花弁がかすかに揺れていることで、風を知った。頼りなく伸びた茎をよくよく見るとうぶ毛がきらめいていた。
 涙がこぼれて仕方がなかったのだが、それは不快ではなく、妙な幸福感だった。そこにずっとしゃがんで花を見つめていたかったが、我に返って、これではだめだと立ち上がった。
 すると両手の中に、硬いものがあることに気がついた。目をやるとそれがぐんと伸びて、剣になっていた。
 剣の重みに引かれるように、僕の肘は勝手に伸びた。脚と背中が知りもしない舞を踊りはじめ、僕は砂の上でゆらめいた。
 掲げた双剣を薙ぎ、回転をして膝を折る。ゆるやかなのにたしかに風を斬る音が耳孔のなかに滑りこむ。
 頭の上や腰のあたりで、なにかがシャラシャラと鳴っている。両手首を返してくるくると剣が舞う。その輝きが目を射って、月明かりの思った以上の眩しさに朦朧とする。
 僕は僕の舞を砂の上の影で見る。
 舞踏は速度を増し、刃鳴りが鋭い。
 そのとき、手応えを感じた。
 舞を止めて空間を見ても、なにもない。改めて首を回しても、この海辺にいるのは自分ひとりきりだった。
 両肩にずしりと疲労を感じる。額が冷えている。
 足許を見ると、花が一輪、増えていた。
 うつむいていた蕾が、開いていた。
 丸まって白く泡立つ波がつま先を飲みこんだ。そして水面に映るものに愕いた。
 白い顔をして着飾った僕がいた。覗き込んでよく見ると、いにしえの大陸の妃のような格好をした僕がいた。揺れているのは沢山の簪だった。
 それで思い出した。花の名前は、ひなげしだ。虞美人草。
 殺すと咲く花。
 いったいなにと戦っていたのかわからないが、僕は間違いなく、なにかを殺した。
 遠い水平線を見る。ビニールが張ってよれたような海と霞んだ空と、ふたつの半月が向かいあっている。
 あの月は新月に向かう月だ。
 肩が軽くなっていた。
 手のなかの双剣は、消えていた。


二〇一七年九月十六日

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