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【小説】カラマーゾフの姪:ガチョウたち(1)

割引あり

○舞台:コロナ禍で自粛ムードの2020年

○キャラ
彩田あやた守裕もりひろ:大学院で数学を研究する修士2年生。
曲丘かねおか珠玖たまき:コンピュータに詳しいフリーランスの女性。彩田の最近の友達。同い年。
弥生やよいけい:彩田の従弟。大学2年生。二人を呼んだ。


 八月の終旬しゅうくであった。気候も日射と水分に注意すれば過ごせる暑感しょかんであり、水稲も人間が手心をかければ育つことができた。稲の海原が波立って見えるほどの強い風は吹いていなかった。彩田青年は曲丘かねおか珠玖たまきの運転する車で湖の町から田園風景を過ぎて、大学をはじめとする研究施設が集まる学園都市まで来ていた。そして大学近辺にある企業資本の喫茶店に入った。午前の終わりであったが座席はまだいくつか空いていて、店員が苦労なく各席と客の様子を把握できた。二人は彩田の従弟である弥生やよいけいを見つけた。彼の席の反対には弥生と同年代の男子が座っていた。
「あの奥の背中を向けている子が恵君です」
 曲丘は弥生達二人に気づかれないことに注意しながら小声で言った。
「……一人だけということでしたけれど」
「すいません、僕にも分かりません」曲丘が弥生達を観察しているのを認めて彩田は続けた。「ちょっと聞いてきます。…終わるまで店の外出てますか」
「いえ、別の席で隠れています」
 彩田が了承して弥生達の方を向いた時に、弥生の反対の席の男子が彼らに気づいた。青年の髪型は流行はやりがかりの印象を与えるが、短く少し巻き毛であった。彼は二人の方へ掌を差し向けて弥生にも気づかせた。
「隠れようがありませんね」曲丘は片足を上げたが、半歩だけ前へ出して止まり、彩田が先に歩くのを待った。
弥生が手を上げた。「守裕もりひろ君」
「こんにちは恵君」
「……貴方が弥生恵さんですか」
「はい。守君の従弟の弥生恵です」
 曲丘はそれが嘘ではないことを彩田の表情を見て確かめた。「彩田さんの友達の曲丘です。今日はよろしくお願いします」彼女は弥生の隣に座り、彼の反対に座る巻き毛の青年の愛想を一瞥してから彩田を見上げた。
 彩田はその男子の隣の席に座った。巻き毛の青年の衣類は珍しくもない安価な大量生産品であり、大きな流行であった派手さのない意匠の衣品が集められていたが、首元には逆さ十字の装飾品を下げていた。
曲丘が弥生に尋ねた。「こちらの方は?」
「大学の友達です」
 弥生が続きを言い渋っているのを見たその大学生は幾らか好意的な顔と声色をしていた。少なくとも四人の中で他人への好意を最も露わにしていた。
小芳こよし勝市かついちです」彼は最高学府の学生である友人の従兄を一目見てみたかったと言った。「数学が専門なのですよね」
 小芳は彩田が躊躇いながらも頷くと満足げな顔で称賛した。「凄いです。理系の頂点じゃないですか」
「……そんなことはないと思いますよ。…凄い人は沢山いますよ。でも僕は普通の凡人です。……後、何を以て理系なのか分かりませんけれど、僕は純粋数学専門で、応用数学はあまり得意じゃないですし」
「純粋数学……」
「現実への応用をあまり考えていないのです。理系といったら、よくある理系のイメージは、何かしら現実を反映した数字や議論を扱うものではないですか。……純粋数学は、素直に現実に立脚しているわけではありません。勿論、純粋数学の概念が、後になって現実に応用されることもありますけれど」
「やっぱり。コンピュータとかにも」
「はい、まあ」
「だから数学科の人に尊敬の念があるんです。僕、専門が情報学部で」
「そうなんですか」彩田は曲丘と弥生を見た。「………恵君とはどういう間柄なんですか」
「友達です。サークルの」
「サークル…どういうサークルですか?」
 彩田の視線が小芳から弥生に移動していったので、弥生が応えた。「地域の産業を発信するやつ」
「ああ、あの」彩田は曲丘と目を合わせた。「地域の魅力を見つけて、発信する活動をしているんです」
「本当は地域経済を元気にしたいんですけれど、…大学生にできることってそんなに無いですし、…特に今の御時世だと」
「……それは素敵な活動ですね。応援したいです。……が、パソコンがトラブルで活動できないと」
「…はい。……スマホとかタブレットでも最低限のことはできるんですけど………」
「怖かったですよね」弥生がうべなうと、曲丘は彼が一呼吸吐くだけの間をおいてから肯い返した。「…まあ見せてもらいたいと思いますが、その前に」曲丘はあくまでも視界の端には小芳を収めていると思われる角度で弥生に対して言った。「恵さん一人でという話でしたけれど」
「……ごめんなさい。……僕も帰ってくれと頼んだんです」
「僕が勝手に居るんです。彼は悪くありません」
 曲丘は弥生を向いたまま、片目だけを見せて尋ねた。「どうして居るのですか?」
「さっきも言った通りです。彩田さんに会ってみたくて」
「………どうして来たんですか?」



 ……どうして来たんでしょうか?
 (2)はこちら

 有料部分は文学的な解説です。「小芳の外見」と「キャラの名前の由来」について説明しています。
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 彩田君が曲丘さんと知り合う前の2020年春の物語はこちらで公開中です。

#1 第1部1章 堤防と風の対岸 | 願望と献花 - Kaori Asamaの小説シリーズ - pixiv

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