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【小説】カラマーゾフの姪:ガチョウたち(2)

人物…4人
彩田あやた守裕もりひろ:大学院で数学を研究する修士2年生。
曲丘かねおか珠玖たまき:コンピュータに詳しいフリーランスの女性。彩田の最近の友達。同い年。
弥生やよいけい:彩田の従弟。大学2年生。二人を呼んだ。
小芳こよし勝市かついち:何故か来た。

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「なんとなくカフェに来たくなって。そしたらけい君がいたんです」
 曲丘かねおか小芳こよしへの視線を外さないで弥生やよいに「そうなんですか」と尋ねた。
「…はい。だから僕も帰ってくれと頼んでたんです」
 曲丘は視線を止めたまま数秒後、咄嗟に彩田あやたを見た。それからその眼差しは店内へ十分広く………あるいは窓越しに店の外まで——向けられてから彩田青年の顔に戻って来た。そしてその目は停まった。
 彩田は十秒と待たずに身を傾けて、目で曲丘に意図を問うた。
「……いえ、分かりました。なら小芳さんは彩田さんとお話しされたいのですね。私と恵さんは席を変えますので」
「待ってください」小芳は腰こそ据えたままでいたが、身は乗り出していた。「僕にも見せてください」
「どうしてですか?」
「…僕も専門はITです。……だから勉強したくて」
「……なら」曲丘は弥生の端末と彼自身を見た。「恵さん、彼にこのPCを操作されるのは問題ありませんか? 不味いことをしようとしたら私か彩田さんが止めます」
「………どういうことですか?」
「あなたのプライバシーや端末は守ります。……ただ、小芳さんの情報技術がどの程度のものか試してみようということです。要するに恵さんのPCの状態についてどの程度理解できるのか、見せてもらいたいということです」
「…僕、そんなに分かりませんよ」
「恵さん、いかがですか。不利益は生じさせません」
 弥生は彩田を見て………従兄も困惑はしているが、責任は負う意志はあるものと——判断した。「分かりました。……あの、その、ちょっとでも変なことをしたら」
「勿論です。すぐに止めます。……それで、小芳さん、やりますか? 分からないことは調べながらでいいですよ。……やる気がないなら席を外してください」
「……分かりました」
 小芳が三人に背後を向けるように座り、弥生の端末は画面を四人全員が覗けるように机の端に置かれた。小芳は弥生の端末の電源を通常通りに起動した。少しすると弥生が彩田達に伝えていたように、端末の命令系制御権やデータを奪取したと表明する文章が彼らの国の言葉で表示された。「わ、本当だ」と小芳は呟いた。それから画面の文章を見まわして、固有名詞や日常生活では見慣れない普通名詞を見つけては、彼自身の携帯端末で検索を始めた。その間に曲丘は、小芳が操作する画面も見てはいたが、延べ時間で言えば小芳の様子を見ている方が長かった。小芳が集中して、文面に記載されたデータ位置情報文字列まで入力を始めたので曲丘は制止した。
「そこまではしなくていいです。……それで? どうしますか? …この先は」
 小芳は曲丘の眼と机上と画面の間で視線を泳がせてから、開くことのできるデータを保存することかと尋ねた。
「では探してみてください」
 小芳は画面の下にあるフォルダーの画像を押して、ファイル管理ソフトウェアを起動した。そして各種フォルダー、動画、音声、画像、文書、受信データ、起動時から内容が画面に表示されている常開フォルダーの一覧の内で文書フォルダーのみ保守の標識が付与されているのを見つけた。「あった…」彼が開いてみると下層フォルダーに並ぶファイルこそ開けそうであったが、それを確認しようとする小芳を曲丘が止めた。
「それをやるのは後です。まだ状況が確認できていない」
「状況?」
「はい。それにあなたは、ファイルのプロパティも確認しなそうでしたからね」
「プロパティ……、………プロパティは見てもいいですか」
「……ええ、まあ……」
 小芳はそれから………開きそうな——ファイルのメタデータを表示しては確認し始めた。弥生はその様子を硬直して見つめ、彩田もそれに似たような面持ちで内容を見つめた。曲丘は穏やかに呼吸をしながら小芳と画面を交互に見ていた。
 小芳が五分くらいメタデータを確認し、幾つかファイル情報も比較した頃に、曲丘が口を開いた。「小芳さん、情報学部でしたっけ」
「ぁ、はい」
「続けてください」小芳が画面に視線を戻してから続けた。「学科や専攻は何ですか」
「……知識情報図書館学科です」
「………学年は?」
「二年です」
 曲丘は小さな鼻息を吐くと、間を置いてから続けた。「興味のあること、やりたいことはありますか?」
「え」小芳は顔を向けた。
「情報学部に入ってみて、一年は勉強したんでしょう。興味のあること、研究したいことはありましたか?」
「……ぁあ、はい。……デジタルアーカイブ…です」
「へぇ」曲丘はそれ以上は口を開かなかった。彼女が目の焦点を小芳から外して端末の方に向けたので、小芳はそれに気づいて画面に目を戻し、何も変わっていないことを確認してから作業を再開した。それから少しして彼女は再び尋ねた。
「何を、アーカイブしたいんですか」
 小芳は少し考えてから答えた。

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