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新連載、始めます。「じぶん発掘調査隊」。

「ポジティブ心理学 第1期」の連載を終え
しばらくふらりふらりと
頭と心のお散歩に行っていました。
ただいま戻りました。

そんなお散歩の途中で、西洋と東洋の芸術観の違いっていうのに出会ってね。
「そういうことか」と腹落ちしました。
今日はそれについて触れたいと思います。
これが新連載と関係してくるお話なので、お付き合いください。


【質問】何を想像しますか?

これを読んでいるあなたに質問をひとつ。
まずはあなたは偉大な芸術家、と想像してください。

では質問です。
「あなたはこれから美術作品を制作すると想像してみてください。
 さて、どのような材料や道具を揃えますか?」

どうでしょうか?想像できましたか?

想像したものがあなたの「芸術観」を表します

では、この質問への回答について解説します。想像するものはほぼ2つのパターンに分かれます。

1つ目は
「真っ白なキャンバス」「筆」「絵の具」
など。
これを想像する人は、おおよそ西洋的な芸術観を持つ人です。
西洋人は昔から「芸術とは、無から生み出す」という思想が根付いています。
「何もない」ことがベースとなります。

2つ目は
「翡翠の岩」「丸太」「粘土」「のみ」
など。
これを想像する人は、おおよそ東洋的な芸術観を持つ人です。
東洋では昔から「芸術とは、それでないものを取り除いて、形を変え、本当の姿を現す」という思想なのです。
例えば、仏像とか。1本の木からノミで彫って仏様の形を見つけていく。
そうです。東洋の芸術観は「すでにそこにある」がベースとなるのです。

芸術という点では、音楽も同様です。
西洋音楽は、オーケストラに代表されるように、たくさんの音を正解に至るまで足して足して、交響曲が出来上がります。「足していく」ことがベースにあります。

東洋音楽は、例えばインドの伝統音楽のように、「本質でない」音を全て捨てていく結果、限りなく少人数で演奏する形態となります。「そこにあるものから本質以外を取り除く」のです。

芸術観はすなわち人生観でもある

ここまで芸術について書いてきましたが、その理由は「芸術」とは「人生を具現化したもの」であり、「芸術観」と「人生観」は切り離せないものだからです。


現代は西洋的価値観で世界が動いています。
ビジネス手法も海外から入ってきたものを取り入れているし、人を評価する制度も海外のシステムを参考にして出来上がっています。

そんな中で、例えば
・「できないことをできるようにするのが当たり前」と会社で言われませんか?
 できないことをできるようにするために自分の自由時間すら削っていませんか?

・「私には知識が足りないから、知識をもっと身につけないと」と、好きでもない学びに時間とお金をかけ続けていませんか?

・耳心地の良い勧誘に乗せられて、まだまだ自分に足りないことがあると思い込んで、自分が本当にしたいことと別のベクトルへ進んでしまっていませんか?

・今は情報過多の時代。情報や知識は頼まなくてもやってくる。
そこで余分なものを、自分とは違う何かの力によってまた持たされてしまう。そんなふうになっていませんか?

東洋的な考え方なら
・「今自分がやれることを見つけ出して、それを生かして仕事に夢中になれる

・「今持っている知識を活かして、本当にしたいことも自分の中から掘り起こす

・「頼まれなくてもやってくる情報は必要なものを残して、いらないものは切り捨ててシンプルな思考で生きる

そうなるはずなのに。

あなたはもうすでに、持ってますよ

ここで私は声を大にして言いたいのです。
もう、あなたは本当は、必要で大切なものは自分の中に持ってますよ」ということ。

赤ちゃんや子供は、まだ持ってないでしょう。
周りの大人たちにこれから持たせてもらう時期ですから。

学校から社会に出て、会社というコミュニティの中で揉まれて、家族というコミュニティを形成して・・・人生をある程度歩んできた人はもれなく、ものすごくたくさんのものを身につけているのです。
経験、趣味、大事な価値観、仲間・・・などなど。

ただ、持ってることにすら気づいていないこともたくさんあります。
それは、余分なものもたくさん持ち過ぎていて、本当の自分の姿が奥底の方に眠ってしまっているからなのです。
いわば適当に詰め込んだおもちゃ箱のような状態。
底の方に眠っているおもちゃはなかなか引っ張り出されない。
または自分自身が「翡翠の岩」のような状態とも言えるでしょう。

削って磨くと光る宝石になるのですが・・・そのままでは岩のかたまり。

じぶん発掘調査隊
はじめます。


私たち日本人は本来は東洋の人生観によって形成されてきました。
今だけを切り取ったら、西洋の人生観で生きなきゃ生き延びられない〜
と感じるかもしれません。

でも少し考えてみてください。
例えば、私は父と母から生まれ、全てではないけれど、父と母の価値観を無意識に受け継いでいると思います。
その父母は、またその父母から受け継いで、、、とずっと受け継がれているので、当然、東洋的人生観も受け継がれているはずなのです。
それなのに、西洋的人生観、いえ、人生に限らず、さまざまなものが西洋的に回っている現代で、生きづらく感じるのは当然なんだよね。そう思いませんか?
これ以上、余分なものを増やしても、心はどんどん重たくなるだけ。

そこで私からのご提案は
自分という岩から、自分の本当の姿を発掘してみませんか?

わかりやすい言葉で言うならば「自己理解」を深めてみませんか?

ということで、自己理解に関する連載を始めます。
私のこれからご提供していこうと思っている「自己理解」はどちらかというと東洋的人生観「今ここの自分というかたまりから本質の自分がみえるところまで掘っていく」という内容となります。
なので、新しくて難しい知識を詰め込む必要はありません。
今持っているもので、十分です。

私も自分で「じぶん発掘調査」をしたことで、自由になりました。
ひとつの例として仕事面について挙げると
・「誰かが困るだろうから」という理由で残業が当たり前の日常。
 趣味もこれといってなし、仕事が趣味ですかね〜とか言ってしまう完全なる仕事人間だった。
  →残業ゼロへ。働く時間は減ったのに、仕事の質は向上
  →私が残業しなくってその仕事が終わってなくても、翌日に誰も困っていない
  →自由な時間で自分が好きなことをできる時間が増えた
  →自分が充実しているから、周りとの人間関係もさらに良くなった

これらは自分のことを理解することで「大事にしたいこと」「自分が好きなこと」「自分が得意とすることと苦手とすること」などなど自分を形作っているさまざまなものがはっきり理解できるようになったからです。
とっても心が軽くなったのです。


今は、自分を深掘りすることで、人生を豊かに、「幸せだなぁ」と自然と口にだしていける人、心から本当に幸せを感じることができる人がたくさん増えたらいいな、というのが私の願いです。
それを遊ぶように、ゲームするようにできたら最高ですよね〜。
眉間に皺寄せながら難しいことを考えてもつまらないですからね。
内容も遊びやゲームなどを交えた内容にできたらいいなと考えています。
子供の頃、遊びや自由研究で化石や宝石の発掘などやりませんでしたか?
あんな感じで楽しみながらじぶん発掘していきたいですね。

あなたも「じぶん発掘調査」の隊員になりませんか? ぜひ一緒に掘り出していきましょう。

次回までの宿題ワーク発表!

それでは、「じぶん発掘調査隊」に興味を持ってくださったみなさまへの次回までの宿題を発表します。

「私は○○○です」
○○○に当てはめる文を20個、考えてみましょう〜!

例えば
「私は日本人です」なんていう簡単なものも含めて大丈夫ですよ。
20個考えた結果で、忘れかけていた自分がすこーしだけ戻ってくる感覚を味わえると思います。
次回はこの宿題についての解説、を予定しています。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
思いが溢れて、文章がまとまっていないところもありますね。
読みづらかったら、ごめんなさい。
でもここまで読んでくださってるあなたがいる。
それが私にはとても嬉しいことです。
ありがとうございます。

今日もあなたの幸せを、願っています。

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