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虚栄心と適正な自尊心と自己肯定感とプライドと。SNSの罠とアーティスト

誰もがSNSで “アーティスト的な” コトができる昨今。

誰もがアーティストでもあると思うと同時に、適正な自尊心と自己肯定感がないと、虚栄心や自信のなさに潰されてしまうという罠。


ブエノスアイレスの人達は植物が大好き。

街を歩けば数ブロック毎にお花屋さんのスタンドが立っているし、通りで目を上げると、バルコニーから沢山の植物が顔をのぞかせている。


日本みたいにキレイにまとめるという発想の人は少なく、雑然と自然の美しさを楽しんでいる感じ。


本当にお金がなかった、Tango への情熱だけでアルゼンチンに飛び込んだ頃、100円にも満たないお花を買うのが唯一の贅沢だった。

そんな私のバルコニーは今、約150鉢のサボテンや多肉植物やお花達で植物園のようになっている。


つまらないなぁ、この子…、と思っていても年単位でハッとする程美しい花を咲かせるコトがあるし、お花を付けなくても、その質感や色合いにハッとさせられるコトもある。


そういう意味で、ありきたりな言葉だけれど「人は誰でも美しくて才能がある」と思わされたりするのだ。


そして、同じ場所で暑さにも寒さにも耐えて、生き続けている姿に、強いなぁ…、と感動したりもする。


何かに感動した時、それを「皆に伝えずにいられない!」と、風景だったり食べ物だったり出来事だったりの写真や動画を撮影して SNS にアップする。


「いいね」や「超いいね」を押してくれる人がいれば、その喜びを共有できたようで嬉しくなる。


でも、いつしか人はこの「いいね」や「超いいね」を欲して投稿する題材を探し出す。

その良い例が、映えスポットにSNS投稿するコトを考えて行き、その場を楽しむコトもせずに写真や動画ばっかり撮影してしまう人だろう。


対象が風景や食べ物、出来事なうちは自分にしっぺ返しがくるコトは少ない。

問題は投稿内容が「自分」になる時。


アーティストとは「私はこういう人間です」というのを芸術だったり、自分のやっているコトで魅せる人だと思うのだけれど、見せ方が上手ければ上手い程、“成功”するのかもしれない。


私の場合、「夢と情熱だけで地球の反対側まで行って頑張ってる人」というコトで私を応援してくれた人が多い。


現地で本物の Tango を追求して、現地の人に認められ “成功” していく姿を見せたくて色んな大会で入賞していく姿や、現地のミュージシャンと活動する姿や、マスコミに取り上げられる姿を見せてきた。


でも、私はいつまでたっても自信がない。

だから、自分が SNS で何かを投稿する度に虚栄を張ってるような気持ちになるコトも多い。


自信のない表現者なんて誰もカッコいいと思わない。

あるピアニストは「ステージに上がるその時だけは自分が世界で一番上手いと思ってる」と言っていた。

だから、沢山の人を魅了できるんだと思う。


かといって、「どーだ私(俺)、スゲーだろー!!!」が透けて見える人は感動しない。


私は人に合わせるのが得意(人と対立するのが嫌い)で、ある意味八方美人。

テレビで違うキャラクターを演じて、そこで求められるコトに応え、日本のタンゴ界で求められるのはきっとこーゆーコトなんだろーな、師匠達が私に望むのはこーゆーコト、そんな色んな方向に顔を向けていたら目が回って倒れてしまった。

(というのが芸術的なレベルの分析が面白かった心理分析の先生との結論)


芸術やスポーツに携わった人なら、ある程度のレベルになるのに、どれだけの努力が必要で、そこから自分のものにしていく道というのがどういうコトを意味するか良く分かると思う。


でも、チャレンジする勇気もなく、何もやったことがないような人の批判にさらされるのだ。

「何も知らない人が言ってるコトなんて笑っちゃう!何も気にならない」、と友人は言っていたけど、人の目を気にし過ぎて自己肯定感の低い心は簡単にパリンと割れてしまった。


活動停止、SNSを見ることすらもしなかった数ヶ月。どれだけ SNS に時間とエネルギーをとられ、感情と行動をコントロールされているかに気付かされた時、本当にぞっとした。


何かを投稿する時、何のためにそれをしているのか、感情がどう動くのか、その投稿に反応する人、反応しない人のコトをどれだけ考えて振り回されているのか、客観的に自分を観察することが大事だと思う。


「皆に認めてもらいたい」と必死だったのをやめた時、何のために頑張って良いか分からなくなった。

あるミュージシャンに「皆のモチベーションって何だろうね?」と聞いたら「モテたいとかじゃない?」と目から鱗な回答がきた。

(真面目なイメージの子なので少しオドロキ)


なる程、恋愛がモチベーションになるのは良く分かるし、自己承認欲求の最たるものは「モテたい」か…


安心できるパートナーもでき、すっかり落ち着いてしまった今、それは無い(笑)

自信がないので「私を見てー!」を全面に押し出すのも難しい…


とりあえず、「適正な自尊心と自己肯定感、大事ですよね」と言った彼女の言葉は今も頭を巡る。


「ここまでコレを創り上げました。私の大好きなこの音楽を聴いて下さい。」と、人がそれを好きだろうが好きになるまいが気にせずに、「私はコレが大好き!」と発信していくコトなんだろうな。


日本で「あぁ、なんて美しい音楽なんだろう」と踊りながら聴いていた Tangoと、ブエノスアイレスで現代の Tango に触れ、歌手として沢山のコトを学んできたからこそ心に触れる Tango は時に重なり合わなかったりする。


「うわー!なんだコレ!!凄すぎる!!!」と悶絶しながら1時間以上リピートして聴いてしまうような、現代 Tango 界の女王的歌手の動画をシェアしても、その素晴らしさを共有できる人は日本には少なかったりする。 


自分がやってきたから分かるコトがある。

自分が経験したから感動できるコトがある。

そんな自分を分かってくれる人がいてもいなくても、自分の心が感動することを表現して、自分が美しいと思える音楽に包まれていたら幸せ。


人生は自分の最大のアート作品。

誰の評価に左右されるコトなく、自分の心が震えるモノに真っ直ぐに向き合って、生きていきたいものですね。

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