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【No.2】遊星からの物体Xがお腹に!(後編)


24時間ずーっと私と一緒にいる点滴のポールですが、入院してすぐに秘かにクレグという名前を付けました。

クレグは元同僚の名前ですが、バレても、背が高くって頼れる奴ってことだなときっと気を悪くしないと思っています。(そのくらいプラス思考です)

何にでも名前を付けるのは、私の癖で、息子が「おかーさんの変なところ」としておそらく一番に上げるんじゃないかなと思います。

例えば、今回、入院する前の私は「吐き気」と「下痢」の2つが大きな症状としてあったわけですが、吐き気をI君、下痢をY君と呼んでいました。

「ちょっと待ってよ、Y君。トイレが混んでる」

「I君、今じゃなくちゃダメ?」

人の名前で呼んでしまうと、少し自分がコントロールできるような気がします。

何はともあれ、無事に入院できてホッと一息、絶飲絶食とは水1滴もダメなことと初めて知ったのでした。最初は知らずに飲んでいたのですが(!)うがいは大丈夫ですと言われて、早くも掟を破っていたことに気付いたのでした。

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高熱のせいなのか、元々の私の頭がおかしいのかもわかりませんが、病院はものすごく色んなものの気配に満ちているように思えました。(私には霊感はありません)

ノートを広げて考え事をしていたら、私のアイデアに頷いている人?とダメ出しをしてくる人がいました。

「え? こういうこと?」

ボールペンを動かしていると壁との間のわずか20cmで「うんうん」と頷く気配がします。頭を動かしてそちらを見ると、すっと照明の色が変わって、何もいないことに気付くのです。

“Eat, Play and Love”の著者であるエリザベス・ギルバートがTEDトークの中で言っていたのをふと思い出しました。

ジーニアスが自分の中にあるとルネサンス以降は考えられてきましたが、実はそれ以前はそうではなかったんです。ジーニアスは自分の外にあるもので、時折、素晴らしい創作のヒントをくれたりするんですね。

「才能」と訳すべきなのでしょうか。人はそれを持っている、持っていないで落胆したり、自分の能力不足を嘆いたりします。でも、本来、ジーニアスはもっと別次元の大きなところに委ねられていて、言ってみれば「神がかり」的に降りてくるもので、私たち小さな人間がコントロールできると考える方がおこがましいという捉え方ですね。

あ。入院とは全然別のところに話が行ってしまいましたね。ではまた明日。


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