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不登校と体育祭 〜それぞれの選択を尊重する〜

今日は中3の娘の体育祭。
驚くほどの、いい天気。きっと、晴れ男と晴れ女が多いんだろうな。

ここ2ヶ月程、娘は体育祭に参加するかどうかでかなり悩んでいた。

最近は週一の通級には何とか行っているものの、自分のクラスの教室にはめったに行かない状態。
夏前の修学旅行には頑張って参加し、その時に仲良くしたいと思っていたクラスの女の子達と思い切ってLINE交換し、クラスLINEにも入れてもらった。

体育祭では、3年生は流行りの曲に合わせて皆でダンスすることになっている。時期が近づくと、クラスLINEがダンスの相談で日々盛り上がってくる。

娘は体育の授業が死ぬほど嫌いなので、1度も参加していない。ダンス自体もさることながら、フォーメーションもなかなか難しい。なので、当日参加したところで一緒踊るのはあまりにもハードルが高すぎて無理。

担任の先生は、ダンスの最後に少しだけ踊って参加するもアリだよ、と言ってくれていた。(ダンスの直後、毎年恒例でクラスの集合写真を撮るので、その方が自然な流れで写真撮影に参加できる。)
その他の競技はクラス対抗の綱引きと、個人では無理して出なくても大丈夫なように、参加してもしなくてもあまり点数に影響のない「ボール運び」の競技にしてくれている。
それも無理なら、クラスの応援席で見てくれるだけでも構わない。

学校側は、最大限に配慮してくれた。
後は娘次第だった。

とりあえず予行練習をテントで見学してみてから決める、と言っていた。でも予行練習の日は、座っているだけで疲れてしまい、3年生の競技を見る前に早退となった。
予行練習から帰ってきた娘は心身共に疲れ果て、もうどうしていいのかわからない、とまた爆発してさめざめ泣き始めた。

そんなに思い詰めるくらい嫌なら、行かなくていいのにと言っても、娘はうんとは言わない。
自分がどうしたいか、という問いから逃げ続ければ、苦しさからは開放されることはない。

娘は、『逃げることが甘えだと思われる』と言った。以前に先生から投げかけられた言葉が、娘の心に突き刺さっている。ということは、娘が『逃げ出すことは甘えていること』だと思い、自分自身を責めているから苦しいのだ。

苦手なことや、障害と呼ばれることの種類やハードルの高さは人それぞれ。自分にしかわからない。
人にどう思われるかは関係ない。「自分がどうしたいか。」大事なのは、ただそれだけだ。

予行練習があった夕方。現担任の先生と、1.2年生の時の先生が、今から伺ってもいいですか?と連絡をくれ、家に来てくれた。
パソコンで今日見られなかった3年生のダンス映像を見せてくれ、いつでもやりたいと思ったら参加できること、逆に無理なら無理して参加しなくても大丈夫なこと。色々話をしてくれたらしい。
(私は席を外していた)
娘は、ずっと座っていること自体もしんどかったことや、応援席にいても1人を感じて苦しいことなどを正直に話したよう。先生方が帰ってから、娘は少し気持ちがスッキリして軽くなったと言った。

でも、まだ当日行けるかどうかはわからない。
迷っているということは、どこか娘の心の片隅に「行かないと後悔する」という気持ちもあるのかも知れない。

夜になり、LINEを交換したクラスメイトの女の子から『無理はしなくていいけど、来てくれたら嬉しいな。』というLINEが来た。もしかしたら、その子も先生から何か言われたからLINEしたのかも知れないけど、それでも娘は少し嬉しかったよう。
素直に、『ダンスは無理で、明日はもしかしたら行くかもしれないけど、応援席で1人が寂しいと思っている』ことを伝えたよう。

出来ることは、全てやった。
あとは明日の自分に聞けば良い。
とりあえず娘は、その日は結論を出さずに寝た。



当日。
久々のお弁当に、食いしん坊の娘は少しテンションが上がったものの、体操服を着た時点でメンタルがダダ下がりになった。
「行きたくない。」動かない。

どうするだろう。
私からはもう、何も言うことはない。
何もコントロールしないと決めた。

娘は立ち上がった。
車で学校まで送っていく。
あまりのテンションの低さに思わず
「せっかく行くと決めたのだから、気負わずに楽しんで。」と言ってしまった。

いったん帰宅して、夫と2人自転車で再度学校へ向かう。思ったより保護者の数が多い。

4年ぶりの通常開催。
みんなマスクをしていない。
大きな声で、声援を送り合う。
若さという、エネルギーが爆発している。
子供達がみな、生き生きしている。

自分の学生時代は余裕がなかったり、逆に斜に構えることもあったけど、今の自分ならもっと体育祭を楽しめるのにな。子供達が羨ましい。


途中で、1年生が近所のこども園(幼稚園)の子供達とペアで手を繋ぎ、輪になって踊るプログラムがあった。コロナ禍で中止になっていたが、今年復活したらしい。小さい子を見るのが好きな娘は、このプログラムを見るのを楽しみにしていた。

小さいお友達の入場。
もう、ただだた可愛い。
君達も、こんなに小さかったんだよな。

娘の通う学校の地区は、1小1中。
小学校のメンバーがそのまま中学校のメンバーにスライドするので、9年間同じ顔ぶれ。
同級生の子達を見る度、みんな大きくなったんだなぁ…とうっかり泣きそうになった。

プログラムが始まる。
元気いっぱいの幼稚園児と、楽しそうに、中には照れくさそうに踊る一年生達。
どっちも可愛すぎて、キュン死にしそう。
みんなもう、可愛いなぁ!と全員を抱きしめたい衝動にかられる(笑)
幸せを運んでくれるのは、いつだって子供達だ。
ふと見ると、応援席で、娘が小さく手拍子しながら小さな子供達を見ていた。見れて良かったね。


結局、娘はどの競技にも参加しなかった。
でもクラスメイトは誰一人嫌な顔をせず、時々娘に声をかけてくれていた。最後の3年生のダンスの時も、クラスメイトにいってらっしゃいと、手を振っていた娘。ずっと座りっぱなしでしんどかったのか、ダンスを見届けた後、少しだけ救護コーナーで休んでいたが、閉会式も応援席にずっといて、最後まで参加した。

ダンス後の記念撮影は参加出来なかったけど、閉会式の後のクラスの記念撮影には参加できた。
クラスメイトの女の子が気を利かせてくれたのか、娘を前の方の列にいれてくれていた。色々心配していたけれど、最後はちゃんとクラスの一員として参加できた娘。

『はなまる』だな。
よく頑張ったよ。

そんな娘を、今日も心から尊敬した。


学校に車で迎えに行ったら、憑き物が落ちたみたいなスッキリした顔で、娘は校門に立っていた。
途中でしっかりコンビニでアイスとお菓子をゲットし、帰宅してから「しんどかったけど、行って良かったかな。」と、幸せそうに食べていた。
これが、娘の選んだ正解なんだな。



明日は本来なら、小6の息子の小学校の運動会。
息子は1ミリも学校に行っていないので、運動会に行くか行かないかを迷うこともない。
「行かない」の一択。
それが、息子の選んだ正解。

明日は家族皆で、ゆっくり映画でも見るかな。

良いも悪いも、何もない。
ただ、自分で選んだルートを歩くだけ。
ジャッジも無理もしなくていい。
ただ「自分はどうしたい?」を決めていこう。
全てはただの『人生の経験』なのだ。

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