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教師が生徒を『助長』する!?

助長』とは、その字のごとく

ける

という意味で、教育の世界では重要な観点です。
しかし、この「助長」という言葉の意味は
元々、ポジティブなものではありませんでした。

孟母三遷で有名な孟子の言行や思想をまとめた書物『孟子』には、
ネガティブな意味で次のように「助長」を表現しています。

ある人が自分の苗が伸びないことを心配して、
苗をけて生させようと一生懸命、苗を引っ張りました。
しかし、その結果、苗はすべて枯れてしまいました。

つまり、「助長」とは本来、

余計な助力をして、逆にマイナスに作用させてしまう

という意味であったようです。

だからといって、
助長という言葉を本来の意味で
これから活用するべきであるといいたいのではなく、
この故事成語から学ぶべきことがあるのではないかということです。

私はこの故事成語から
教育に携わる者として
生徒たちに対してアドバイスやサポートなどをする際、その行為によって

本当に生徒の成長を促しているのか?
それとも逆に生徒の成長を損なっているのではないか?

という二面性が生まれることを意識しながら
生徒に向き合うことが重要であると考えていました。

しかし、
私が教師だったころを振り返ってみると、生徒たちが

・なるべく失敗しないように
・成功や正解に結びつくように
・すぐに解決するように

ということを優先して、素早く補助することだけを考えていました。

生徒へのサポートがほぼこの一択だけだったため、
上記のような二面性を意識するまでには至らず、生徒によっては
知らず知らずのうちにマイナスの影響を与えてしまっていた場合も
あったかもしれません。

すぐに手を差し伸べてしまうため、
じっくり見守ることで
生徒が自力で解決できたかもしれないという機会を奪ってしまい、
生徒の可能性の根を抜いてしまっていた場合も
たくさんあったと思われます。

生徒が困っているとき、状況を正確に把握し

すぐにサポートするのか?
しばらく見守るのか?

という2つの手段を選択できる余裕を持ち、そのサポートが生徒の

成長を促すことになるのか?
成長を損なうことになるのか?

を吟味しながら生徒に携わることを理想としていましたが、
私の現役時代は全く理想から程遠いものでした。

現実として、
教員の多岐にわたる業務により時間的にも精神的にも余裕がなく、
また、生徒が失敗すると教師に批判が集中するという傾向にあるため、
結果的にどうしても、生徒たちが

・なるべく失敗しないように
・成功や正解に結びつくように
・すぐに解決するように

というサポートを選択せざるを得なかったように思います。

教師の業務改善についてようやく注目されるようになりましたが、

〇曜日は17:00に必ず全員が退勤する

というような業務の取り組み方を改善しても
その日に処理したかった業務自体がなくなったわけではないので
どこかで残業しなければなりません。

業務自体を削減するか、
教員の数を増やして一人当たりの業務数を削減するか、

対策を講じなければ、
時間的にも精神的にも余裕が生まれることはないでしょう。

こんな環境では、
焦って苗をひっぱるような指導をする教師がいても
不思議ではないと思います。

私自身、業務について行政や教職員組合に訴えたこともありましたが、
残念ながらどちらも、のれん状態でした。

生徒たちの成長を主体に考える教育を目指し、
孟子のいう『助長』について考える余裕がほしいところです。

ちなみに『孟子』の助長について知ったとき、
私が幼い頃、にわとりの産んだ卵を温めて、
数分後にひよこになったかどうかを確かめるために卵をわってしまった
という大失敗を思い出しました。

ひよこが卵から出やすいように
殻をわった行為助長にあたるんだろうなと思い、
取り返しのつかない「助長」をしてしまったと再認識して、
ゾッとしたことを覚えています。
もちろん親にこっぴどく叱られたことはいうまでもありません。

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