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久しぶりの盆踊り

8月13日、日曜日、
コロナの影響で中止になっていた地元の盆踊りが
久しぶりに実施されました。

私の地元は小さな離島にあり、
その日の朝一番の船の便で帰省し、盆踊りの会場準備の手伝いをしました。

日頃、エアコンの効いた部屋ばかりにいるので、
太陽の光と熱に耐えられず、休憩しながらの作業となり、
手伝いというより足手まといになってしまっていたのかもしれません。

それでも昔から知っている先輩方から10代の学生たちという
幅の広い異年齢の集団が協力して、
和気藹々と準備している時間を過ごせたことが何より貴重でした。

そして、夜、櫓を中心に半径10mほどの空間をたくさんの提灯が照らし、
太鼓のリズム、スピーカーから流れる音頭に合わせて
盆踊りが始まりました。

私の親戚には音頭の名人と呼ばれる方がいて、
父親も音頭の上手さに定評があるのに対し、
それほどでもない私でしたが、気後れしながらも
『勧進帳』
『黒津地門兵衛』
というタイトルの音頭を出しました。

櫓にのぼり、番傘をさして音頭を出すというのが昔からのスタイルで、
かなり緊張しましたが、
盆踊りが実施できているということだけで充実した気持ちになり、
自己満足して櫓をおりることができました。

音頭を出している途中、太鼓をたたいているのが父親だと気づいて、
感慨深い思いに浸りそうになり音頭の歌詞を間違えてしまいましたが…

始まれば終わりがくるのが必然で、
23時00分ごろ、私の教え子がトリになって今年の盆踊りは、
しめられました。

私が生まれるよりかなり前は、島の人口も多く、
櫓のまわりを2重3重の輪ができるほど盛況で、
音頭を出す人たちは次から次へと櫓へあがり、
明け方、それ以上まで盆踊りが行われていたそうです。
私が学生の頃には、夜中の2時、3時ごろまで行っていましたが、
徐々に規模が小さくなっているという感じです。

祭りの後の侘しさを感じつつ、
櫓を解体したり、提灯を片づけたりして
今年の盆踊りが終了しました。

翌14日にも
ゴミなどの片づけをしたり、
お花をいただいた方へのお礼参りをしたりするんですが、
台風接近にともない船便が欠航する可能性があるので、
私はお手伝いできないことを断り、島を後にすることになりました。

島の人口の減少や平均年齢の上昇が進行するのは止められないため、
いつまでこの伝統行事を行うことができるのかという問題が、
そう遠くない未来に浮上することになると不安に感じましたが、

とりあえず今は、
盆踊りが数年ぶりに行われ、
地元はいいものだと実感できたことに浸りたいと思います。


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