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時は奈良時代 先頭に立って指揮をとったのは・・・

今この時に感じる事をキャンバスに向って描き続けて
行きたいと思っています。
今後共よろしくお願い申し上げます     若林 薫


きのうときょうをあしたへつなぐ  S3  アクリル画


時は奈良時代 都より遠く離れた土地に
川をはさんで二つの村がありました。

川幅はとても広く向う岸が霞む程です。
水深はそれほどでもないけれど歩いて渡るには
人の背丈より深い所もあって命の危険さえあります。

ましてや重い荷物を背負ったまま 渡る事など到底できません。
この川は魔物が住んでいるので
決して歩いて渡ってはいけない。
との言い伝えがあります。

しかし夜中にこっそり渡ろうとした若者が
深みにはまって命を落とした事がありました。
一方 向う岸の村人の中にも同じ様な事をして
命を失った人がいました。
二人とも自分の村とは違う世界を知りたい一心で
無茶な行動を起こしたのかもしれません。

たびたびこのような事があっては一大事と
相談話しが持ち上がりました。

そんな話を耳にした僧侶が
橋を架けてはどうだろうかと提案しました。
大陸より持ち帰った知識を今役立てなければと
先頭に立って指揮をとりました。
安全で丈夫な木組みの橋をつくるには
なかなかの難事業かもしれませんが、
幸いこの村には木工の技術に秀でた村人が大勢いる様です。

この話を向う岸の村へ伝える為に
泳ぎの達者な人物が3人選ばれました。
同じ書状を3人に託し無事を祈りましたが
そのうちのひとりは帰らぬ人となりました。

そんな強い思いが向う岸の人々の心を大きく動かし
話しはすぐに決まり
ふたつの村は総力を上げて2年の歳月を要し
立派な橋を架けました。
 
人々は自由に往来し 商いは盛んになり 互いの村の海の幸や山の幸や
めずらしい物が手に入るようになりました。
又 それらの品物を専門的に運ぶ業者も誕生し
次々と新しい産業も生まれる事になり
ふたつの村はおおいに栄えました。
 
そこでその恩恵に答えるべく 橋架けの技術を国内に広める為
ふたつの村からえりすぐりの人材を集め
橋架けの技術集団を作り諸国を廻る事にしました。
 
彼らが行く先々では 地域の人々が 安全に往来が出来
橋のおかげで便利になった事はもちろん
人と人との心が強くつながる橋になったり
豊かな人生を送る手助けになった橋もあります。
 
きのうときょうを繋ぐ橋を作り 
きょうをあしたへ届ける橋を遺してきました。

こうして橋架けの技術は 次の世代へと続く宝物になりました。







沢山のスキを頂きありがとうございました。感謝申し上げます。




きしゃこく先生にご紹介頂きました。ありがとうございました。






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