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【イベントレポート】カレーと豚汁・水野仁輔と有賀薫のレシピと本のトーク

2022年1月14日、外苑前noteplaceにて開催した料理本トーク。編集者やライター、料理家をリスナーとして、お互いのレシピ本にまつわる話をしました。終盤は豚汁とカレーのライブクッキングも披露しながらレシピ化へのアプローチを語っています。本noteはこのイベントをレポートとしてまとめたもので、約12000字に及ぶ内容です。本作り、料理家の仕事にご興味ある方はぜひお読みください。

カレーとスープ。ひとつの料理を作り続けている二人の共通点

神吉:みなさん、こんにちは。『カレーと豚汁 水野仁輔と有賀薫のレシピトーク』にお越しいただきありがとうございます。進行役を務めさせていただくフリー編集者の神吉佳奈子と申します。本日はカレーとスープのレシピを作り続けるお二人が、どのように料理本を作っていらっしゃるのかを伺おうと思っています。よろしくお願いします。

有賀:こんにちは、スープ作家の有賀薫です。私、水野さんのファンで、いつかゆっくりお話したいなと思っていたんです。神吉さんと『有賀薫の豚汁レボリューション』という本を作ったときに、「スープを作り続けている有賀さんと、カレーを作り続けている水野さんでお話したら面白そうですね」と言っていただいて、このイベントが実現しました。天から降ってきたプレゼントみたいに思ってます。今日はレシピや料理本の話をいろいろできたらと思うので、よろしくお願いします。

水野:今日はレシピや料理本の話をしますけど、僕としては「有賀さんに売れるレシピ本の作り方を教えてもらう」という気持ちで来ています(笑)。よろしくお願いします。

有賀:こんなあやふやな人間の言うことを聞いても、たぶん売れる本はできないですよ(笑)。私、水野さんがやられている『カレーの学校』の生徒なんですよ。家の本棚をみたら、水野さんのレシピ本やエッセイが10冊くらいありました。

有賀:私にとってスパイスカレーは嗜好品という位置付けなので、あまり作らないんです。だけど、水野さんの本は買っちゃうんですよね。
水野さんが「どういうカレーを作っているか」ってことより、「カレーに対する意識をどういうふうに伝えて、広めようとしているのか」とか「考えていることをどう表現して、本に落とし込んでいるのか」というのが気になって。

水野:どういうプロセスで本を作っていくのかという話ですよね。それでいうと、有賀さんは自分の分野をスープに限定して、今回はさらに範囲を狭めて豚汁に絞った本を出したわけじゃないですか。このアイデアは、どのように生まれたんですか?

有賀:豚汁の本は、最初に神吉さんが企画を持ってきてくれたんですよ。もともとは豚汁ではなく、スープの企画だったんですけど。

神吉:そうですね。有賀さんとの打ち合わせでスープの話をしていたら、前に水野さんと一緒に本を作ったときのことを思い出したんです。『初心者的カレーの鉄則』という、ルウを使ったカレーライスを40点ほど掲載した本なんですけど。

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水野:懐かしい本ですね。

神吉:当時、水野さんは広告代理店で働きながら、カレーのお仕事をされていました。毎日毎日カレーのことばかり考えてて、いつも「どうやったらもっと面白いレシピを作れるか」って話をしていたんですよね。それが、有賀さんとスープレシピの打ち合わせをしているときに出てくる話とすごく重なって。
水野さんと有賀さんって、たくさんいらっしゃる料理家さんのなかでも、ひとつの料理だけを作り続けているという共通点があるじゃないですか。そうやって特定のジャンルに向き合い続けているお二人には、レシピの考え方やアプローチに似ているところがあるなと思ったんです。なので、有賀さんと本を作るときには、「水野さんは、どういうふうにカレー本を作っているのか」を考えながら企画を立てました。

水野:でも、ひとつの料理を作り続けているという共通点から僕のことを思い出して、有賀さんと打ち合わせをした結果、「豚汁の本にしましょう!」ってなるのはおかしくないですか?

有賀:あはは、おかしいですよね(笑)。神吉さんとは雑談的にいろんな話をしていて、私から「豚汁はどうですか?」って提案したんですよね。

水野:有賀さんからの提案だったんですね。

有賀:ええ。私は毎朝スープを作ってSNSにアップしているんですけど、豚汁月間として、いろんな豚汁を作っていた時期があったんです。そうやって壁打ちみたいに豚汁ばかり作っていたときには、「もう豚汁なら1冊の本が作れるな」というイメージが頭のなかにできていました。

水野:その話を聞いて、神吉さんが「豚汁でいこう!」と思った決め手は何だったんですか?

神吉:まずは直感的に「いいな」と思いました。それで、有賀さんがSNSに投稿していた写真を企画書に落とし込んで、出版社にプレゼンをしたんです。「具だくさんじゃなくても、味噌と豚肉を使っていればもう豚汁です」とか、「豚汁だけでこんなにバリエーションができます」って。先方の反応もよくて、すぐに企画が決まりました。

有賀:前提として、「みんな豚汁が好き」っていうのがあると思うんですよ。普段私が作っているのって、いろんな素材を組み合わせた“名もなきスープ”なんです。わかりやすい名前がないから、意外と理解してもらうのが難しいんですけど。
その点、豚汁はみんなが知ってるじゃないですか。名前だけでイメージが湧くし、写真を見ればなんとなく納得感がある。それがすごく大きなポイントだったと思いますね。

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レシピ本の先にイメージしている読者の暮らし

有賀:私はずっとスープだけをやっているので、基本的には「スープの本を作りませんか?」というオファーばかりがくるわけですよ。編集者の方はいろんなテーマを提案してくださるんですけど、私はこの5、6年、ずっとスープのことを考えているので、ほとんどが一度は考えたことのある内容なんですよね。

水野:そうですよね。

有賀:なので、企画内容より、その本をどういうふうに作るのかってことを知りたいんです。例えばレンジで作るスープのレシピ本だったら、どういう切り口で、どうデザインするのかというところを。


水野:編集者の方から提案された企画が、既に自分でも考えたことのあるような内容だった場合、やるかやらないかの判断を含めて、有賀さんはどのように進めているんですか?

有賀:とにかく喋ります、編集者の方と。まずメールから始まって、実際に会って話す。今だとオンラインも多いですけど。本を一冊作るって、全身全霊で向き合わないとできないじゃないですか。だから、相手の人柄も知っておきたいんです。なかには最後まで一緒にできないなと思う人もいるので。
だから、「こういう企画でやってください」、「はい、やります」というふうにはなりません。「まず少しお話しませんか?」というところから始まって、どんな本を作りたいのかを話し合いながら判断していく感じですね。

水野:企画の概要が決まって本を作るとなったとき、有賀さんはいい本、売れる本にするために、どんなことを意識していますか?

有賀:まずは「誰に届けるか」ということですね。その相手が見えるかどうかは、自分のなかで大きなポイントになります。「あ、こういう読者の人が本を手に取ってくれるだろうな」みたいな、ふんわりした像が見えるかどうかですね。

水野:完成した本だけでなく、それを手にとってくれる読者の姿までイメージしてるんですね。

有賀:そうですね。例えば、『朝10分でできる スープ弁当』という本は、“オフィスでお弁当を食べているOLさん”に届けるつもりで作りました。自分でお弁当を作ったときに、人から覗かれるのって嫌じゃないですか。でも、スープジャーに入っているお弁当だったら中身は見えません。
それに外食のランチって、けっこうボリューミーですよね。そんなに食べたくないという女性もいると思うんです。そういう方も、スープ弁当だったら食べられるだろうなって。そういうシチュエーションを想像して、本を「誰に届けるか」を考えています。

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有賀さんのレシピ作りは、食べる人を思い浮かべるところから

神吉:水野さんがレシピ本を作るときは、対象読者やシチュエーションをどのように捉えているんですか?

水野:それが、僕には足りてないところで。本を作るときに、読者が想定できてないんです。どんな人が、この本を読んでくれるのかっていうイメージが。
考えるとすれば、難易度くらいですね。例えば、スパイスを3種類でやるのか、5種類でやるのか、10種類使ってもいいのかという難易度は考えてます。その基準でしか対象読者をイメージできないんですよね。3種類のスパイスでカレーを作るのはどんな人で、10種類で作るのはどういう人なのかという、具体的な読者像やシチュエーションまでは見えていません。

有賀:編集者の方が「こんな本を作りたいです。ターゲットはあまりスパイスに詳しくない人たちです」みたいな提案をしてくださることもあるんじゃないですか?

水野:そうですね。でも、本をたくさん売ろうと思ったら「読者層は広ければ広いほどいい」ってことになるじゃないですか。そうなると、「初心者向けに簡単で、でもちょっと本格的な」みたいな話になってきますよね。
するとまぁ、私の想定読者は「簡単だけど、本格的なカレーを作りたい人」ばっかりになっちゃうんですよ。でも、有賀さんの場合は、もっと具体的に読者がイメージできているわけですよね。

有賀:そうですね。

水野:それって、周りの誰かに聞いたりするんですか? 「こんな状況ってない?」とか「こういう本はどうかな?」って。

有賀:それが編集者の方ってことはありますね。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう 1、2人分からすぐ作れる毎日レシピ』という本を作ったときは、編集者の方に「私が欲しくなるようなスープの本を作ってください」って言われました。

水野:なるほど。それはわかりやすいですね。想定読者が決まったら、そこから具体的にレシピを開発するわけじゃないですか。レシピはどういうふうに考えていますか?

有賀:豚汁の場合だと、まずは「いろんな材料を切ったり、出汁をとるのは大変だ。一人暮らしだったら食材も余ってしまうかもしれない」というシチュエーションを思い浮かべました。それなら、野菜一種類と、豚肉と味噌だけで作れる一品豚汁にしようって決めたんです。それをベースにしつつ、二品豚汁のレシピがあってもいいし、ちょっと変わった豚汁も紹介してもいいなと。そうやって本の大枠を決めたら、あとはどんどん具体的なレシピを考えていくという流れですね。

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水野:「誰にでも簡単に作れるように、豚汁の材料は一種類でいこう」という発想がスタート地点になっているわけですね。それって完全に読者目線ですよね。しかも、「豚汁とは何か」というところから考えている。

有賀:そうなんですよ。野菜一品だけで豚汁といえるのか。それで豚汁らしさが出せるか。そもそも豚汁らしさってなんだろうと、そういうところから考え始めています。その上で、具材をどうやって煮込むのか、どうしたら味が染み込むのかというように、具体的な調理法を検討していますね。

水野:みんなが豚汁に求めているものは何かを徹底的に考えてるんですね。やっぱり、売れる料理本には、そういう思考がないといけないんでしょうね。

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個人的な興味からスタートする水野さんのレシピ本作り

有賀:さきほど神吉さんから、私と水野さんは同じようなスタンスの料理家というお話がありましたよね。私はスープ、水野さんはカレーと、確かに同じ種類の料理を作り続けているという共通点はあるんですが、実はアプローチはまったく違う

水野:うん、そうですね。

有賀:水野さんは求道的というか、ちょっと研究者に近い感じがしますよね。

水野:研究者ではないですけどね(笑)。有賀さんはスープというモチーフを持ってるわけじゃないですか。たぶんスープというモチーフを持って、読者を見てるんですよ。僕はカレーというモチーフを持って、カレーそのものを見ちゃってます。読者はその先にいるのかもしれないけど、見えていない。

有賀:そんなに関心もない?

水野:「関心がない」と言い切っちゃうと印象が悪いけど、有賀さんと比較すると関心は薄いかも……。もし、有賀さんが、カレーの本を作っている僕の頭のなかを覗いたら、「こんなに読者のことをイメージできてないの」って思うんじゃないかな。

有賀:水野さんの場合は、「水野さんについていきます!」って方が多いからじゃないですか。

水野:そんなことないですよ、全然。有賀さんは、想定読者のイメージからレシピの糸口を見つけて、「こんなスープの本でいこう」となりますよね。僕の場合は、カレーという料理のなかで面白いことを見つけたときに、「これで1冊作れる」って思うんです。それを読者も同じように面白いと思ってくれるかどうかは、あまり関係ないのかも。

有賀:あぁ、なるほど。

水野:今年出す予定の本も同じです。玉ねぎに特化したカレーの本を出すことになったんですけど、そのきっかけは「玉ねぎをもっと上手に炒めたい」とか、「玉ねぎの調理法に困っている人がいるから」というような読者目線ではないんです。
「玉ねぎの切り方、加熱の方法で、画期的なものを見つけちゃった! これは今までのカレー界、カレーの調理法が覆るかもしれない」という僕自身の発見が、本を作るきっかけになってるんですよね。こういう発見があると、自分のなかでどんどん盛り上がってきちゃって、次々と検証をしてみて、その様子をnoteに上げまくる。そのときには、読者がまるで見えてません。だから、「玉ねぎで、こんな発見しちゃった! 丸ごと170ページにまとめておいたから、あとはよろしく!」って感じで本が書店に並ぶんですよ。

有賀:それはすごいことですよね。

水野:だけど、「いや、玉ねぎのことよりも、私はおいしいカレーが食べたいんです」とか「玉ねぎと向き合いたいわけじゃないんです」みたいな読者の声が聞こえてくるんですよ。今回の本は5月に出るんですけど、きっとそうなります。

有賀:そういう本を作ってくれる版元さんがいるっていうのもすごいですけどね。

水野:いや、本当にね。お歳暮とか送ったほうがいいですよね(笑)。

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神吉:水野さんの本作りは、基本的に自分で企画を立てて、版元さんを探すという流れなんですか?

水野:僕、今まで60冊くらいカレーの本を出してるんですけど、出版社に企画の持ち込みをしたことは1回もないんです。有賀さんほどじゃないですけど、僕のところにも「カレーの本を作りませんか?」ってオファーはあって。最初はやっぱりふわっとした内容なんですけど、打ち合わせのなかで玉ねぎの新しい調理法を見つけたという話をして、版元さんが「それはいけるかもしれません」となったら、あとはもう玉ねぎのことだけを考えて本を作ります。

有賀:はぁー、面白い。

水野:僕は楽しいけど、読者は楽しくないかもしれないっていうね。そういう致命的なところもあるんですけど。でも、たまに「あのカレーの本、最高です!」って言ってくださる方もいるんですよ。まぁ、そうやって喜んでくれる方がいなかったら、「自費出版でやってもらえますか?」って話なんですけど。
今までたくさん本を出してきましたが、やっぱり喜んでくれる人のことを考えて作らないと、いい結果は出ないですよね。でも、そうはなれないんですよ、自分の性格的に。また新しい発見をしたら、それをテーマに1冊作っちゃうから。そうなってくると「自費出版でいいじゃん」ってことになるので、自費出版レーベルを立ち上げたんです。そうすることで、一応、自分のなかではバランスをとっています。自分が作りたい本は自費出版レーベルでやればいいし、依頼を受けてやる以上は、誰かが喜んでくれるような本を作らないといけないって。じゃないと、何のために出版社から本を出しているのかわからないので。

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レシピ作りの土台にある、それぞれの料理スタンス

神吉:水野さんにとってのレシピはコミュニケーションツールで、自分の楽しみも含まれている。一方、有賀さんにとってのレシピはライフスタイルを提案するもので、人のためにある。お互いにひとつの料理を作り続けているお二人ですが、そこのスタンスが違っているのが面白いですね。

水野:僕も有賀さんも、本を作るときには何かコンセプトがあるから、その条件や制約の上でレシピを開発していくじゃないですか。そのときに土台にあるものの違いですよね。
有賀さんの場合は、「みんなが豚汁に求めているものは何か」とか、「どういう人たちが豚汁を作りたいと思っているのか」とか、そういうものを土台にレシピを積み上げていく。
僕は「自分が面白いと思ったもの」が土台にあって、それをわかりやすく伝えるための道具としてレシピがあるんです。だから、レシピはいくらでも出せるんだけど、それがあんまり読者を幸せにしていない可能性があります。

有賀:水野さんのレシピ本の楽しさって、水野さん自身がすごく楽しそうにカレーを作っているのが、本からにじみ出てることだと思うんですよ。そこがすごいなと、私は思ってて。端っこのほうにある細かいコラムなんかも、面白く作られているものが多いですよね。

水野:そうですね。有賀さんと一緒で、1冊作るからには全身全霊をかけてやっているので。

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スープは必需品で、カレーは嗜好品?

有賀:カレーとスープって、レシピの考え方は同じように見えますよね。だけど、カレーは嗜好品に近いような気がしています。

水野:カレーとスープの違いは、そこかもしれませんね。

有賀:私はごはんを作っている人たちが、毎日の暮らしをうまく回すための方法としてスープを捉えています。現代的な家庭料理を、うまく回すための料理がスープなんじゃないかなって。

水野:一汁三菜という言葉もあるように、汁物は暮らしの必需品なんですよね。そこはカレーと大きく違いますよね。だから、カレーって日本では嗜好品なんですよ。そうすると、レシピ本も趣味本に近い感じになりますよね。好きな人は買うけど、必要に迫られるようなものではない。

有賀:趣味本には、そこにしかない楽しみがありますから。同じ料理本の棚にありますけど、実用的なレシピ本と比べる必要はないですよね。

水野:レシピ本って、すごく実用性が求められるじゃないですか。

有賀:そうですね。でも、実用性というところから、ちょっと離れてもいいのかなと思うこともあります。実用性だけでレシピを考えていると、どんどん窮屈になってしまうので。料理家に求められている実用性という条件をクリアしようとすると、やっぱり表現しきれないことがあるんですよね。

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自費出版という選択肢が、レシピ本の表現を自由にしてくれる

有賀:今はレシピ本の表現が、「誰でも簡単・おいしい」みたいなところにまとまりすぎちゃってるような気がしてて。本当はもっといろんな書き方があるし、写真の使い方もあるし、表現としてまだまだ遊べるんじゃないかと思うんですよね。

水野:うんうん。でも、食生活の必需品というジャンルのなかであんまり遊ぶと……

有賀:怒られる。

水野:ですよね。怒られるまでいかなくても、ちょっと違和感が出るかもしれない。有賀さんは本を作ってて、もうちょっと遊びがあってもいいなと思ったときには、どれくらい主張するんですか? あんまり主張しすぎると、編集者の方に「有賀さん、そういうのはいらないんで」とか言われそうじゃないですか。

有賀:だから、そういう主張はちょっと遊んでくれるような編集者の方を選んで言うようにしてますね。今までの本は、そうやって作ってきました。だけど、これまでとはまったく違うスタイルのレシピ本を作ろうと思ったら、今の環境ではたぶんできないだろうなと思います。

水野:言い方が難しいんですけど、きっと有賀さんには「本当はもっとやれるんだけどな」という気持ちがあると思うんです。でも、求められてる本を作っている限りは、その範疇でしか表現できないじゃないですか。本当はいろんなアイデアがあったり、もっとできることがあったとしても。

有賀:私、ずっとスープ作家として活動してきたんですけど、これまでに「出汁の本を作りましょう」というオファーは1件もないんですよ。たぶん、出汁の本なんて売れないと思われてるんでしょうね。
でもね、出汁のことで迷ってる人って、すごく多いんですよ。パラパラと入ってくる情報の、どれが正しくて、どれが正しくないかを見分けるのも大変じゃないですか。そう考えたら、出汁に関するレシピ本もあってもいいと思うんですよね。

水野:そういうもどかしさが積もり積もって、アウトプットの場所が見当たらなくなったときのために自費出版があるんですよ。自分が作りたい本は、自費出版レーベルでやればいいんです。実際に自費出版をやり始めちゃうと、癖になっちゃいますけどね。

有賀:楽しくて?

水野:そう。楽しくて、楽しくて(笑)。

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“おいしさ”は何によって決まるのか?

水野:そもそも有賀さんにとっての“おいしいスープ”って、どんなものなんですか?

有賀:先ほど読者目線でレシピを作るというお話をしましたが、もともとは私が主婦として30年ほど家庭の料理を作ってきて、それなりに大変だったという経験がベースにあります。そういうなかで思ったおいしいスープというのは、味のことだけでなく、毎日作り続けられるかどうかも重要なんですよね。そうじゃないと、心からおいしいとは思えないんです。

水野:「おいしいスープのレシピがあったとしても、それを1週間作れますか?」ってことなんですね。

有賀:はい。いくらおいしいスープができるレシピだったとしても、これを毎日作るのは至難の業だなって思うものもあるじゃないですか。それよりも、シンプルな食材でパッと作れて、それがおいしいということに喜びを感じるんです。

水野:自分がおいしいと思ったら、「これは読者もおいしいと思ってくれるはずだ」という確信はあります? それとも、そこはあまり疑問がないですか?

有賀:「あれ、もうちょっと味付けしたほうがいいんじゃないかな?」って。そう思われるレシピになってるかもしれないって不安はありましたね。
最初にcakesで始めた『スープ・レッスン』という連載では、メインの野菜は基本1種類にして、調味料は最低限、だしも使わず鍋ひとつでやりましょうということにしました。でも、そういう制限のなかでスープを作っていると、主婦の方がつい顆粒出汁を入れちゃう気持ちがわかる瞬間もあるんですよ。

水野:本を出すときって、それを見ることでおいしいスープが作れるようなレシピを開発するわけじゃないですか。有賀さんの場合、「自分のおいしいが、たまたま人と一緒だったのか」、もしくは「多くの人がおいしいと言ってくれるようなレシピを作る技術が身についたのか」、どっちなんですか?

有賀:たぶん、私が思っているおいしさは、水野さんにとってのおいしさと違うような気がしてて。私の場合、家族が一緒にご飯を食べていて、それがつつがなく、円満に終わったときに、「おいしかった」と感じるんですよ。

水野:そっか。味だけでなく、毎日無理なく作れて、円満に食べ終わるところまで含めておいしさを感じると。それは、同じような立場にいて共感する人も多いそうですね。
僕の場合、料理としてのおいしさに特化して考えちゃうんです。例えばワンプレートにいろんな盛り合わせをして、きれいに作ると、おいしそうに見えるじゃないですか。だけど僕は、そういうふうにしたくないんです。本のなかで、カレーにトッピングをしたことは1度もありません。

有賀:えっ、本当ですか?

水野:しないと決めてるんです。なぜなら、それでおいしく見えるのは、僕のやりたいカレーではないから。僕は、できあがったカレーのソースの形状や色、表情だけでプレゼンテーションをしたいんです。そうやって、料理そのものの味を、いかに表現できるかってことに特化したくなります。
ただ、その先にはけっこう不幸なことが待ち構えてて。嗜好って人それぞれだから、考え始めると「何がおいしいかは決められないね」ってところに行き着くんです。これが僕の自覚している弱点。だから、だいぶ前に「おいしい」は放棄したんです。

有賀:カレーの学校に参加していたときに、1番印象的だったのはそこです。「人によっておいしいカレーは違うから、絶対的においしいカレーはない」って話を繰り返しされていましたよね。

水野:そうです。読者は「おいしいカレーを作りたい」と思って本を買うのに、著者は「おいしいカレーは存在しない」と言う。そんな人の本は買いたくないですよ。でも、これはしょうがないんです。

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絶対的な正解がない料理の世界

水野:僕は、自分で作るカレーが一番おいしいとは思ったことがありません。誰かにとってはおいしいかもしれないけど、誰かにとってはそうでもないかもと思っているので。

有賀:その点で言うと、私も近いところがあるかもしれないですね。私のスープってシンプルなものが多いので、旨味が強いものや、こってりした味が好きな人だと物足りなかったりします。実際、「私はすごくおいしかったけど、夫の好みではなかった」という声もあって。これは、もうしょうがないなと思ってます。

水野:僕、noteの会社からもレシピ本を1冊出してるんです。それが『いちばんおいしい家カレーを作る』というタイトルの本で。“おいしい”がわかってない水野が、何を言ってんだって話なんですけど。
noteの社長の加藤貞顕くんっていう人がいまして、彼と「cakesでおいしいカレーの作り方を連載する」という打ち合わせをしていたんですよね。そのときに僕は、おいしいっていうのは人によって違うから、どういう趣味嗜好を持ってて、どこのカレー屋さんが好きなのかがわかれば、好みのカレーを伝えられるって話をしました。

有賀:ああー、カレーの処方箋みたいな。

水野:そうそう。そういう話をしていたら、加藤くんに「そういう面倒くさいことはいいから、とにかく家にある食材で、みんながおいしいと思うカレーを作れないの?」って言われて。それって、編集者としてめちゃくちゃ優秀な視点だなと思ったんですよね。一番おいしい家カレーを作るとか、普通の材料で作る極限の味とか、ファイナルカレーってコンセプトも、すべて加藤くんが決めたんです。

有賀:そうなんですね。

水野:全然、僕の意見じゃない。「そんなのない」って言ってたんですから。

有賀:あの本は売れたんですか?

水野:めちゃくちゃ売れました。そのあと『わたしだけのおいしいカレーを作るために』という本を出したんですよ。どういう本かというと、自分の好みを知って、それに近い味を作るための手立てを1冊に詰め込みましたって内容なんです。

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有賀:カレー作りのメソッドが入ってるような。

水野:そうそう。みんな正解を求めているわけですよ。「おいしいカレーが知りたい」って。でも僕は、「正解はありません。それがあるとすれば、あなたのなかだけです」と思っている。だから、「あなたが自分の正解を見つけるための手法は、いくらでも伝えます。あとは、あなた自身でおいしいカレーの正解を見つけてください」という本を作ったんです。これがもう、ビックリするほど売れなくて……。
ひとつは「これをカレーの最終決定版にしてくださいね」という本。もう一方は「自分でカレーの正解を見つけてください。ヒントは散りばめました」という本。やっぱり、前者を買いますよね。

同じコンセプトでも作り手によって本の印象は変わる

水野:スープって世界中にいろんな種類が存在するけど、有賀さんは名もなきスープを、次々と本で提案してるじゃないですか。
例えば、「ミネストローネです」って出されたら、みんな安心して食べてくれると思うけど、名もなき豚肉とレンコンのスープみたいなメニューを出すと、「これは一体何なんですか?」って思う人もいますよね。正体がわかっていることの安心感も、おいしさに繋がるんじゃないかなと思って。

有賀:いや、本当にそうだと思います。『こうして私は料理が得意になってしまった』というエッセイのなかで、料理の名前を伝えるかどうかという話を書いたんです。
というのも、うちの旦那は食べることに関心がなくて。料理を出されたときに、何が入ってるのかよくわかってないことがあるんです。そこに何が入っていて、どんな味付けをしているかを伝えるだけで安心感は生まれると思います。そういう話でいうと、やっぱりカレーとか豚汁とか、名前自体が知られている料理の強さっていうのはありますよね。

水野:だけど、そうなると、どこまでがカレーだ、豚汁だみたいな話も出てきますよね。

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有賀:カレーとスープって話で思い出したんですけど、水野さんの『スパイスカレー新手法-入れて煮るだけ! ハンズオフカレー入門-』という本があるじゃないですか。すべての材料を鍋に入れて、水で煮るだけにしましょうというカレーの本。おそろしいですよね。
今まであれだけ玉ねぎ炒め方とか、スパイスを入れる順番の話をしていた水野さんが、こんな本を出すなんてと思って。しかも、実際に作ってみたら衝撃的に簡単だし、おいしくて。「私はこれをやらなきゃいけなかったんじゃないか」と思ったんですよ。もう、ちょっと落ち込んじゃったくらいで。

水野:でもね、この本は「材料を鍋に入れて煮るだけだから、時間がない忙しい人にもピッタリ!」という発想で作ったわけじゃないんですよ。有賀さんだったら、そういう提案性の強い本になってたと思うんですけど。

有賀:私だったら、「煮るだけカレー」みたいなタイトルで作ってたと思います。

水野:ですよね。でも、僕がこの本を作りたいと思った理由は、別のところにあるんです。僕は長年かけて作り方のテクニックを磨いてきたつもりなのに、ハンズオフカレーって、蓋をして火にかければいいだけだから、誰がやっても同じ結果になるんですよ。つまり、AさんBさん水野の誰がやっても同じカレーができるわけ。それは、自分の中では納得いかないところがあって。

有賀:え、納得いかない?

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水野:だって自分はAさんやBさんよりも、カレーを作ってきたという自負があるから。でも、逆に言うと、作り方で自分の実力が発揮できない環境になると、材料の選びがすごく大事になるんだと思って。そのときに、「その差でどんな違いが出るのかは面白い」と思ったんです。だから、結局のところ読者視点ではなく、著者である僕が面白いからという視点で本を作っちゃいました。

有賀:この本を私が作ったらすごい売れたかもしれない(笑)。

水野:本当にそう思います。

有賀:いや、改めてお話をしてみると、同じ料理を作り続けている同士ですけど、考え方や方法論が全然違ってて面白いですね。

水野:そうですよね。僕もわかってはいるつもりなんです。みんなおいしい料理を作りたいし、食べたいし、正解を知りたい。だから、正解を知ってそうな人が、「これが正解です」って書いた本を出してくれたら買いますよ。でも、僕にはできないんです。これはもうしょうがない。
結局、僕は有賀さんのことを「羨ましいなぁ」と思いながら、自分で自分の本作りを続けるしかないのかもしれませんね。

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カレーと豚汁  水野仁輔と有賀薫のレシピトーク
2022年1月14日(金)19時~21時 外苑前:noteplace

本文執筆:阿部光平
写真:土田凌 


読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。