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新人いじめは組織の価値を高めるために続いてきた!?

一言でいうと

困難なものほど価値が高いと受け止めがち

活用シーン

組織

内容

1959年エリオット・アロンソンとジャドソン・ミルズによる研究
ある集団のメンバーをできるだけ「価値がなく面白くない」人と見えるように工夫しておきました。

このメンバーからなる、性に関する討議グループに参加するための加入儀礼として参加希望の女子学生に

A 非常に当惑することをさせられた
B Aよりは楽な加入儀礼を受けた
C 全く加入儀礼を受けなかった

というパターンを作り出した。
Cの加入儀礼を受けなかった学生は、この集団をはっきりと非好意的に評価した一方、B、Aと困難な加入儀礼を受けた学生ほどその討論内容は価値があると評価した。

当惑でなく痛みを加入儀礼に選んだ場合でも同様の結果が見られた。つよい電気ショックを受けた女子大学生ほど、この集団とその活動は面白く、知的で、望ましいと確信していた。

結果わかったことは、何かを得るために大変な困難や苦痛を経験した人は、同じものを最小の努力で得た人に比べて、自分が得たものに対して価値を置くようになる、ということだった。

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか
ロバート・B・チャルディーニ (著),


高校の部活や、大学のサークルなどで、ちょっとした加入儀礼があることは多いと思います。新人に対するしごきや、コンパによるイッキ飲み。これが例えば原住民族になると、成人の儀式としての危険な飛び込み行為や割礼のような痛みや恐怖を伴うものなどが連綿と行われているようです。その行為も、第三者から見ると「なぜ、そんなことを!?」と思うのですが、そこにいる以上はその加入儀礼・通過儀礼を乗り越えることが当たり前と思いこまされているのでしょう。

そして、そんな困難を経てはれてメンバーとして認められたとき、新人はそのメンバーシップを「価値あるもの」と評価する心理的システムが備わっているようです。これはもしかしたら、自分が支払った代償に応じたものであってほしい、という希望を叶えるために脳が起こす錯覚なのかもしれません。たとえば、新興宗教などで、入信者が多額の寄付をするとかいうルールがあると、それが高い(支払いが困難)なほどそのかいも価値を持つのかもしれません。

さすがに身体的な苦痛を与えるとか、危険を与えるわけにはいきませんが、例えば入社試験を非常に難しいものにするとか、狭き門にするとか、そんな工夫で会社という組織を崇高なものに見せることはできるかもしれません。(人不足な昨今、これはこれで難しそうですが)

しかし例えば、何かのコミュニティを運営するとすれば、それなりに厳格な審査を行うとか、レポートを事前に提出させるとか、そんなことで集団の価値を上げることは可能かもしれませんね。そして商品のブランディングなどにおいても、一定の人しか買えないとなると、人はその立場を目指すのでしょう。


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