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沖縄時代の思い出の整理

沖縄時代の思い出の整理

 共感幻想が強い。そして宣伝して、集団行動をしようと言ってくる。くだらない。共感性を振りまいては仲間を作れと言ってくる。共感性からずれると多かれ少なかれ排除がソフトに起こる。その一方で同調しているカテゴリーで、高いレベルを求めて、自分たちはすごいと言ってマウントとってくるのがいる。その過程で異常高に挑発的な態度をしてくる。どこにでもあるが、表現の仕方が違う。人に意欲を削るようなやり方してくる。

 私がいた時の大学では、サークル活動を仕事と同じように扱っている所があった。それが仕事であって、もっともなわけがないと逆切れする、脅してくるのがいた。「勉強なんか必要ない」と言っていたがサークルでのお仕事は必要あるのだろう。それは個人の考えならいいが、厄介なのは、集団で群れて主張するやるかたがおかしい。自分たちをアウトローなんて言うが、アウトローというなら単独で動けばいいのにな。学を軽蔑している時点で、発展性はないし、内在的な知的好奇心も捨てているのならなおさらだ。

 それは卒業した後に関わった踊りのサークルにも関連する。高知の踊り団体ののれんもらって自分たちを誇らしげにしていた。そのサークル活動を仕事のように扱っていたところがある。踊りであるよさこい踊りを沖縄の文化にしようと言っていた。 文化になるのだろう。文化になる以前に、「個性の尊重」、「異文化」、「感受性全開」だの主観的な色の濃いことも言っていた。知識なんて必要ないと言っていた。文化を作りたいなら、知識は必要だし、外国の文化理理解するスキルがいる。「踊り楽しもう」と同調するのでなく、文化的な情報を取り込んで、選択して作っていくことが。
 おそらく、よさこい踊りを沖縄の文化にすると言っていたので、そういう事には必要ないのかもしれない。よさこい踊りを輸入して、沖縄的な色にするのみでいいのだし、輸入して型通りに踊ることが正しいと思っていたと思われる。踊りの練習でズレると女のインストラクターたちは男を挑発していた。マウントとっていた。高知の踊りの情報とつながり、現地で教わっているのでより強い力を持てるのだろう。そのくせ踊りの型を作る事には皆無だったように見える。

 沖縄はみんな仲良く、共感しあうことをモットーとしている。共感するものからズレると、瞬く間に手の平返すかのように排除が起こる。

悩みの相談はしてと言われてもできない。みんな味方してくれるように見えても、答えは「楽しいこと考えろ」、「知識なんか必要ない。」と言ってくる。二つは表裏一体のようになっている。
「みんな仲良く」とは言うが逆に「見返す」という情念は出にくい経験はあった。荒いことを言うのならば「言葉が怖い」となっていく。下手すると、些細な言葉出すだけで加害者扱いにされていく。

仲間作れ、共感したいねという意識に同調していく。共感していかないとならない強迫観念が強い県で、「見返す」という気を吐くことさえも、かなわなくなる。だから沖縄に人材がそろわなくなるのかもしれない。

ユイマールなんていうが、宣伝文句に等しい。同調や共感しない人間には冷たいだけ。那覇市に住んでいても、そうなのだから。「みんないるよ」とはいうが、装っているだけ。手の平返される恐怖の実が横たわる。又は意見に賛同できない場合(サークルの意志、年長者、ボスの意向に逆らう等)は、みんながみんなで、袋叩きにする美徳もある。

以上、思い出の整理をした。沖縄の飼い殺しの素晴らしい文化はわかる。個性的な人間を飼殺す、すばらしさを学んだ。素晴らしい美徳で、これがチャンプルーなのだろう。沖縄の文化は素晴らしい!と思った。

※沖縄移住して苦労している人のためになればよいと思う。参考で。
この話は昔の話でもう時代は変わった、というのもいるが、そういう人は、自分の県のすばらしさのみしか知らないし、問題点には無自覚なのかもしれない。価値観否定される人の立場などには無自覚なのだから。


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