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正義感

正義感で生きていると義務になる。
その上、情報が遮断されて、ストレスになると、情報の物次第では煽られて、使われていく事になる。

コロナ下での行動制限はきつかった。

沖縄時代も似たものがある。
踊り団体にいて、話がずれると封殺されて、去勢される。
何回か去勢されていくと、気力がなくなる。
飼い殺しにされていく。

何か、些細な事を言っても、その後抗議の電話が来ることもある。
大概はリーダーからだった。

そして、型にはめられるのは「よさこい踊りを楽しむ」事に向けられる。
楽しい人にとっては問題なかった。踊りに合わなくて、ズレようとしてた。

「楽しくなければ他に行けば?」
こういうことをよく言われたが、他はなかった。
その上、過剰に仲間意識を言ってきていて二枚舌だったし。
これは踊り団体のみでなく、沖縄全体の問題だった。

彼等は個性の尊重ばかり言ってたが建前だった。
途中から言わなくなったが、この要素は自分の中に生きていて、思い出すと苦しい。

私自身が、他人に相談をしても突き放されたり、日本語が良くないとかで、昔から言われてて無意識にコミュニケーションで警戒していた。
沖縄でも特にそうなっていった。
下手に誰かに何か話しても、噂の種にされるか、突き放されるかのどちらかになる。

過剰な仲間意識のアピールが大きな原因だ。
仲良くも理解もすることもないのに、仲間意識を主張するのは迷惑だった。

自分の故郷で、仲間意識をしきりに主張したりする人はいなかったから、ギャップだった。

正義感に話を戻すと、ストレスためて機嫌悪くなると、正義感は煽られやすい。沖縄時代を振り返っても、人間関係で交流する場が狭くなっていくと、同じようになっていた。ソープランドに頼らざるを得なかった。

楽しめない人間の末路かもしれない。
今にみてろよ。

この場所は沖縄でない。
また這い上がれる。

いずれ、見返してやる。
沖縄の価値観なんて、糞だと言ってやる。

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