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エネルギー

席が埋まりかけた上野東京ラインで、突然椅子から立ち上がって私にマジックを披露した友達がいて、そのなにも疑っていなさそうな眼差しに、私は思わず拍手したのを不意に思い出した。

自分だったら、いくらその場で覚えたてのマジックを披露したくなってしまっても、つい自制心が働いて、つまり、周りの目なんかを気にしてしまって、なにもできずに「あとで見したげるね」とだけ友達に言って、その場は他の話をしたり、黙って目的の駅に着くまで待ったりするのだけれど。


その友達はそんなところがあって、いつも一緒にいてエネルギーをもらってしまう。自分にはなんでもできるような気がしてきてしまう。

そういう、「気」って意外と大事で、なんでもできちゃう!と思ったらその通りに、なんでもできちゃうようになるものなのだ。


その友達と、線路沿いを歩いて山手線一周をしようという話になったとき、私は迷わず賛成した記憶がある。この子とならできる、という疑いのない綺麗な確信は、多分あの日の、マジックを披露した彼女の眼差しからもらったエネルギーだと思う。


実際、山手線一周はしんどかったのだけれど、彼女はランチ以外休みもせずとにかく歩いた。互いに疲れ果てて愚痴って途中でやめてしまって、適当な店でショッピングしたりサイゼでドリンクバーを味方に語り合うなんてことも十分あり得たのだが、彼女との場合、そんなことはあり得なかった。それはなんとなく、わかっていた。


帰りの電車は恵比寿駅からで、2人の最寄り駅まで一本だった。ひとつ空いた席を、彼女は私に座らせて、つり革を掴んだまま立って眠っていた。

最寄駅に着いて、「今日はありがとう、藍ちゃんとだからできたよ」なんて言われてニカニカ笑われたとき、ああまた、エネルギーをもらっちゃったなと思った。



なんでもできそうな気がするって気持ちは、私の場合は持続しない。彼女と何度会っても、次会うときまでには必ず、そんな気持ちは薄れてしまっている。なにをするにもマイナスな考えばかり、頭を巡ってしまう。

彼女みたいな人間からのエネルギーが重くてしょうがないと思うほど、鬱々とした気分になることだってある。




だけど彼女と、ラーメン屋やファミレスで再び出会って、あの、疑いもしない眼差しを見るたびに、あれ、自分にはなんでもできちゃうかもなって、思う。


大袈裟に言ったら、もっと生きたいみたいなそんな、ふわふわとしたはっきりとしない力強いエネルギー。



彼女からの久々のLINEに目を通して、返信をする。


前向きな文字を打つ。それだけで前向きになれる。そんな気がする。

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