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世界のかたちと、きみと暮らした半年について。

「村雨のごと俺を抱きしあの熱 点のごとくにとほくなりしも」

 あ、また、あの人のことを歌にしてる。
 なんて、いつも思うよ。自分で作った短歌や小説には、たまに、あの人がうっすらと感じられて、そのことにひとたび気がつくと、まるで冬のセーターに絡んだ細く長い髪の毛みたいに、無性に気になってしまう。
 まだ、忘れられない、とかそんなんじゃなくって、なぜか、いる。そのつもりがなくても、心のどこかにいる、のだ、きっと。わかんないよ。わかんないんだ、本当に。美しいわけでも、特別なわけでもないあの日々が、なぜ心に棲みついているのか、本当に、俺は、困惑している。
 あの人と同じ部屋で暮らした半年間の、そのいくつかが、まるで前世からの記憶みたいに脳裏で微かに揺れ続けている。
 もう、決して二度と会いたくもない、話したくもない、あの人のこと、それでも、まだこべりついている。公園の噴水の噴出孔に少しだけ繁茂している藻類みたいに、それでいて冬の夜空で目を凝らせば遠くに見える星雲みたいに。
 特別に思えるのは、それが自分にとって明示的な初恋だったからなのだろうか?

「とろとろと夜に世界は覆われて浮かぶ小さな白き耳たぶ」

 薄く目蓋を開くと、揺れるレースカーテンから正午の光が、木目のフローリングの上を木漏れ日のようにゆらゆらと泳いでいた。少し空気が埃っぽい。俺は体を起こすと寝ているきみを一瞥して、トイレに行き歯を磨き、インスタントの、朝食なのか昼食なのかわからない飯を食べる。
 買い物へ出かけるのは、ようやく夕方になってからだった。地方都市特有の、まるで魚の鱗みたいに戸建が連なる住宅地を、キーキーと音を立てる青いママチャリに二人乗りして走っていく。太陽がどこかの屋根へと没してゆく。どこかでヤマバトがノスタルジックになっている。青いママチャリは魚の鱗の間と間を縫うように走ってゆく。
 たまに、とりせんではなく、ヨーベニへ行った。ほんの少しの贅沢だ。何故か売っていた手持ち花火のセットを買って、街灯が二つの小さな公園で缶チューハイを片手に花火をしたりなんかする。
 やがて、少し埃っぽいアパートへと帰って、一緒になって飯を作って、作画用の大きなタブレットでアマプラの映画を見て、そしてゆっくりと身体を重ねる。俺は寝る前にオンライン授業の閲覧履歴だけをつけ、そしてまた昼まで滾々と眠る。短い夢をいくつか見る。それは朝靄のように掴みどころのない、輪郭のないような夢ばかりだった。
 ただ同じ日々が繰り返されていった。一様に幸福で、ただひたすらにすべてが完結していた。足りないものなどひとつもなかったし、零れ落ちてしまうものもひとつもなかった。五十件以上くる親からの着信はスマホの電源をOFFにすればよかったし、溢れる衝動は性欲に変えてきみと交わせばよかった。

 すべてが、あの街とあの自転車と、とりせんとヨーベニと、そしてあの人と俺とで完結していた。それは、雲から雨として降った水が川を下って海に流れ着き、また蒸発して雲になるように、完璧な循環として機能していた。
 まるで永久機関だと思った。このまま少しずつ朽ちていくことに、もはや安心さえした。
 生活って、こんなようなものなのか、と思った。もはや、これまでの生活がすべて、本来の意味としての生活ではなかったかのように思えたし、逆にこの生活が、本来の意味としての生活の真似事なのかもしれない、とも思った。今となっては、まあ、どちらでも同じことだ。

「人混みのオリオン通りの果てでまたあいまいなままきみに会へたら」

 なぜ、こんなにもあの半年のことが、まるでたまに疼く病のように、心のどこかに在り続けているのだろうか。もう会いたくもない、話したくもないはずのあの人と、過ごした日々は、一体いつまで創作物として不意に俺の手元に現れ続けるのだろうか。
 夕暮れのとりせん細谷店が、羽毛の抜けるジェラートピケの白いパジャマが、こぶし公園の滑り台の上で飲んだ缶のZIMAが、記憶の彼方で点となって、真白に溶けゆくのはいつの日だろうか。ずっと覚えているのだろうか。あるいはなにもかも、いつかは完全に忘れてしまうのだろうか。

 もしこれにひとつ答えを出すとするのであれば、それは、世界のかたちが変わってしまったから、だと思う。変わってしまったのだ。それはまるでB.C.とA.D.みたいに、自分の人生があの暮らし以前と以降として区分されるほどの、そんな衝撃だった。

 それまで、俺にとって世界とは二次元的で曖昧で、荒涼としていた。誰が何を考えているのかわからない、いつどこから矢が飛んでくるかわからない、殺伐として寄る辺などなかった。頼れる誰かも、わかりやすい標識も、ひとつもない、そんなどこまでも無限に続く大地を、放浪するごとく彷徨い歩き続けていた。行く先がないことを恐れ、ただ見えるものだけを信仰していた。いや、それが仮初めに過ぎないと心の底では思いながらも、形式だけは信仰していた。家庭も、学校も、青信号も、クロワッサンも、ただそれらはそれとしての意味しか持っていないにもかかわらず、それらはたいそう大仰に、まるで世界そのものとして、目の前に存在していた、存在していると思い込むようにしていた。それはきっと生まれながらの価値観によるものというよりかは、育ってきた環境で得た経験則によるもののように思う。
 十七歳の頃に書いた日記が見つかった。以下、少し青臭いが、当時の自分の世界への見方が、垣間見えるようである。
『いまここに一台の狂った人形があったとする。ああ、重さも形もなんだっていいさ。糸釣り式でも機械仕掛けでも構わない。とにかく、こいつは狂っているんだ。そして、それを狂った人々が踊らせている。ウォッカでも飲んだか、コカインで飛んだかはわからん。彼らの手は不器用に震えていて、人形に奇怪なリズムを与えているのさ。ほら、台の上。よく見えるかい?その踊り様はまさに阿呆や痴呆、キチガイと形容するに相応しい始末。ほらちゃんとこの人形の手を取ってごらんよ、決して悪くはないだろ?一点ものなんだぜ。どうだい、笑っちまうだろ。ああ、おれだけじゃない、あんたも狂った人間の動かす狂った人形の一つでしかないってことなのさ。』(2019/12/15)
 今の俺は、もうこんな文章は書かないし、書けない。それはある意味では、成長した、ということなのだろう。俺にとってもう世界とは、荒涼として砂煙の舞う輪郭の曖昧な砂漠ではなくなったからだ。

「きみに降る冷たい雨の止むときにその右肩に咲く金盞花」

 あの半年で世界のかたちが、まるっきり変わってしまったのだと思う。
 世界は閉ざされ、完結していた。地球は広くあれども、俺にとって世界とはある特定の場所と場所とのつながりだけで循環していた。
 広大で無限な世界の中心には、あの公園とあのスーパーとあの居酒屋のあるあの街が在った。それが世界のすべてと言っても過言ではなかった。そしてさらにその中心にはあのアパートが、あの部屋が、そして最も中心にあの人の肉体があった。世界はそうして同心円状に、立体的に組み合わさっていた。言葉と言葉は反響し、空間にとどまったり、くるくると同じところを廻ったりした。世界が、具体的なかたちと色を持っていた。俺はそのなかで生活を営んだ。生きていた。なにもかもが生きていた。生への圧倒的な実感が、俺の心を温かく真実味のあるものにした。生は真実だった。まぎれもない正しさで、俺を確たる者にした。
 栄養を得るためにただ食事を摂取すること、ひたすらに眠ること。本能に任せてセックスをすること、愛を持って抱かれていること。そして、そのためだけの生活をすること。それ以外はなにもない、ただ、それらをするためだけに二十四時間という時間が在ること。
 それは今までの、たとえば、試験勉強やカラオケや文学創作や自転車競技や、そんな日々とは生への実感が一線を画していた。
 生を地で行く。そんな圧倒的な体感は、俺の骨髄をじりじりと炙った。俺は、これ以上ないほど生きていた。

「きみぢやないひとの隣で/常夜灯/嗚咽を上手く洩らせずにゐる」

 永久機関など存在しないように、やがてこの日々も半年で終わる。
 しかし、その後、世界のかたちは、大きく変化はしていない。世界の中心は不意にわからなくなってしまったけれども、世界はいまだ立体的で、具体的な手触りや匂いを持っている。
 東京に帰ってからもその後つづいた一年半、そして完全に終わってからのち二年。計四年の月日が過ぎ、記憶は少しずつ薄らいでゆく。けれど、まだこうしてあの人のことを歌にしたり作品にしたりここに書いたりしているのは、あの日々が俺の中で生の意味としての大きなパラダイムシフトを持っていたからなのだろう。否、これだけの年月が経ったからこそ、そのことに気づけたのかもしれない。あの日々の意味と、あの頃の生の意味と、世界のかたちの変化に。

 いつの日か、あの人のことがどうしても思い出せなくなるその時はきっと、またつぎの新たな世界のかたちを見つけるときなのかもしれない。
 別の場所で別の人と営む新たな暮らしのなかで、また別の新たな実感を得るのだろう。そして、その時を、俺はじっと、待っているよ。
 そうしたらきっと、少し埃っぽい部屋も、青いママチャリも、手持ち花火も、缶のZIMAも、徐々にぼやけて淡い白い光の点のように収縮していって、いつか完全に忘れてしまうはずだ。それは、それで、いいのかもしれない。忘れなくても、忘れたとしても、今さらもう何も変わりはしないから。
 けれど、それまでは、歌にしていたっていいだろう。もう少し、今見えている世界のかたちを言葉にして紡いでいてもいいだろう。

「ただ頬に木漏れ日の痕残すのみストリームハイツA-202」

 一千年以上昔から恋や愛の歌ばかりが詠まれてきた。だから俺も、もう少しだけは、あの日々を歌にしていたい。

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