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『自分を知る』~声について~

皆さんは、自分の声を聞いたことがありますか?実際に録音をした声を聞いてみると、自分の今の声が分かります。

私が、自分を知る中で、ずっと取り組んでもいる難題。それは『声』です。

恩師と出逢って間もなく「なまってるよ」「その話し方は、あなたに合わないよ」と伝えて頂いてから、声を録音して確認する方法を聞き、実践しました。

初めて「あぶら汗が出る」という感じになったのです。

「ゲッ!なんなんだ、この声は!気持ち悪っ!」

でも録音した声こそが、他人に聞こえている自分の声なのです。それが、とにかく気持ち悪いのです。

録音した自分の声が聞けるようになるまで、随分、時間がかかりました。

なまっているだけでなく、作りまくっていて、地声の3トーン高い声で話している自分がいます。

自分の中に、カッコをつけたり、よく見せようとする中身があり、ブリっ子をしているから、とにかく気持ち悪いのです。

今回もこの「声」について、地声に戻る様に練習をしています。長年、つちかってきた作り声は、地声に戻すまでに時間がかかります。

なぜ、取り組んでいるかというと、少し前の、朝ドラの主人公の声が、ブリっ子過ぎて聞いていられなかったからです。

朝ドラは、見るようにしているので、この主人公の声を聞くたびに気分が悪くなる自分がいました。

ということは、自分が、このようなブリっ子をして話しているから、気持ち悪く感じるという事なのです。

10年以上はかかって、だいぶ地声になってきたと思っていたのに、朝ドラの声を聞いたことで、また「声」に取りかかっています。

女性の中で、地声で話している方は非常に少ないと感じています。なにかしら高音だったり、ブリっ子さを感じます。

恩師からは「地声が一番、聞きやすいんだよ」と言われた記憶があります。本当にその通りです。

芸能人で、アニメキャラのような高音と、ネチャっとした話し方をしている方が出ると、ゾっとします。

あのような声を男性が好むと思っているのか、プロデューサーか、番組制作の方の意向なのか、全く分かりませんが、なぜ、その声を使うのか、いまだに謎です。

ただ、気持ち悪く感じるのだから、私がやっているからであり、早急に何とかしなければなりません。

仕事中などの自分の声を聞いてみると、私は声を高くする事で「明るい自分だよ」とアピールをしている事に気づきました。

自分を知り、好みの自分に変化するには、原因も突き止めなければ、なぜ、そうするのかが分からなかったり、クセに気づけなかったり変化することも出来ません。

「声」に関して、私の場合は、時間がかかっているので、自分の原因を調べてみました。

「どうも私は、暗く感じるものを嫌がっているな。明るいほうが良いという決めつけがあるぞ。テンションは高いほうがいいと思ってるところがあるな。なぜだ?🤔」

さかのぼって、原因を探って行くと、小学生の頃のトラウマを思い出したのです。

小学生3年生の頃、私は、時期外れの転校生として、引っ越してきました。

普通は春の入学式に転校することもありますが、私は秋ごろだったのではないかと記憶があります。

当時の私は、おとなしく、皆とワイワイ、話すほうではなかったのです。すると、席替えの時に、担任の先生から、自分が座っている列の子供たちが「暗い」か「ネクラ」という言葉を言われ、

その「暗い」「ネクラ」という言葉に傷ついてしまった記憶があります。当時、どういう意図で伝えたものかは分かりませんが、私は勝手に

「私は、暗いんだ。ネクラなんだ。😨」と思い込んでしまい、それはとても悪い事の様に捉えてしまったのです。

暗いのはバツ。という決めつけを作ってしまったので、その日から明るくなりたくて、明るくなるように頑張ったのです。

ですが、上手くいきません。もともと大人しいタイプだったので、にぎやかに出来ませんし、結局、また静かになってしまうのです。

本当は、大人しいだけで、暗くもなくネクラでもなかったはずですが、その言葉を自分に向けられたと勘違いしてしまったと思います。

「今回も明るくなれなかった。よし、月曜日から明るくなろう!」

こういう目標をかかげて、通っていました。結果、変わらず。そのため、中学に賭けたのです。

小学生時代の私を知らない中学生になった時に、「明るい私」を演じられたら、「皆にネクラだとバレないんじゃないか。明るいカピバラちゃんだと認識されるのではないか」と思ったのです。

すでに考え方がズレているのですが、私は小学生時代を知らない、初めて出会う他校出身の子の前で、とにかく笑って、必要以上に明るく振舞ったのです。

すると「カピバラちゃんって、明るいなぁ」と言われ、ホッとしたことを覚えています。

暗いと思われることが怖くて、明るいフリをした結果、自分らしさは、なくなっていったのです。

そのことも気づかずに、ただただ「笑っていなければならない」を通した中学時代となりました。

結果、自然な地声もなくなるし、ハイテンションで「いつも明るいカピバラちゃん」という印象だけは与えることが出来ましたが、自分はなくなっていったことを思い出しました。

このように、ちょっとした勘違いから、話し方も考え方も作っていくので、長年の積み重ねによる作りまくりの自分は、自分がそこに気づき、嫌になるまで変わりません。

私は、作り笑いばかりしていたので、感情もなく、顔は能面のように生気のない表情になっていたのです。

恩師から「あなたは、能面みたいだね」というような言葉を言われた時に「えぇ?そうですか?ハハハ……。」とまた、誤魔化して笑おうとした時に、涙があふれてしまいました。

図星だったから、その事実をズバッと伝えて頂くことで、能面の顔にヒビが入ったのだと思います。

本当は、悲しくて苦しくて泣きたい自分を隠して隠して生きて来たから、事実を言われることで感情があふれたのです。

この「明るいのが良い」という決めつけ、勘違いにより、私は地声が出せず、高音になってしまうことが改めて分かりました。

不自然なクセをつけてきたのだから、次は自然に戻すクセづけが必要です。

人から見たら、大したことのない悩みかもしれません。ですが、私には、かなり重要なことです。

「この声をなんとか出来たら、もっと自分を好きになれるんじゃないかな。もっと楽になるんじゃないかな。」と思っています。

自分の声を聞くのは、あぶら汗が出るような大変さがありましたが、今は、だいぶ慣れてきました。

「録音した声も、心地良いと感じられる自分になれたらいいな。」

今日はそんなことを思った日でした。また、取り組んでみます。

自分を知ると、嫌だった自分を少しずつ変えることが出来ます。

「死ぬまでに自分を大好きになりたいな。自分で良かったと思える自分になって帰りたいな。」と思っています。

皆さんの声はいかがですか?自分の声を聞いたことはありますか?自分を知るには、かなり役立つかもしれませんよ。

さて、今回は「声」についてでした。
皆さんの今日は、どんな一日だったのでしょうか?

また、楽しい日をお過ごしください。
それではまた、お会いする日まで。

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