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メモをとる習慣について

アラカンになって、自分でも記憶力が落ちていることをしばしば痛感する。とにかく、いろいろなことをすぐに忘れる。先ほどまで覚えていたことも、「あれ、何だったかな」といった具合である。

人間の記憶というものは、あまりアテにならない。特に忙しいときはそうである。若い頃、バリバリと仕事をしていた頃も、そういうわけだから、なんでもメモを取るようにはしていた。自分の記憶力を信用していなかったと言っても良い。大事なアポを忘れたりしたら大惨事である。

スケジュール帳でアポを確認しつつ、「TO DO」リストで月次、週次、日次でやるべきことを消し込みつつ、気になることは、忘れる前にメモを取って……といった調子で手帳が手元にないと仕事にならないような日々を送っていた。手帳を公私で使い分ける人もいたが、僕はすべて一元管理していた。ダブルブッキングしたり、必要な情報が散逸することが不安だったのだ。公私混同である。カラダは1つだから仕方ない。

スケジュール管理は、慣れのせいもあるが、僕にとっては、紙の手帳がいちばんである。一覧性があるし、消したり、書いたりもすぐにできるし、パソコンを起動したり、スマホのアプリを開いたりする手間も必要もない。長年、同じシステム手帳の同じリフィルを使い続けている。毎年、9月頃になると、売り切れる前に翌年のリフィルを買っている。今年も、先日、ネットで注文したところである。

週次のスケジュール帳は、日常的なスケジュール管理である。「TO DO」リスト的な使い方もする。やることをメモ書きしておいて、終わったら消し込む。

月次のスケジュール帳は、日常の出来事の中で、後々見返すかもしれないような事項、参考のために記録に残しておくべき事項等を記録している。主たる会議、イベント、出張、旅行、誰かとの会食等々である。観劇やコンサート、映画、スポーツ観戦等に行く機会があれば、そうしたものも記録してある。

週次のスケジュール帳は、一応、2、3年程度は保存してあるが、実際に見返したことはほとんどない。一方、月次のスケジュール帳は、永久保存版である。同じシステム手帳を使い始めて以降の分をすべて保管している。こちらは、見返す機会は頻繁にある。〇〇と会食をしたのはいつだったかとか、△■に出張したのはいつだったかとか、そういった過去のスケジュールを確認するためである。

本当は、デジタルデータで保管していれば有効なのかもしれない。いわゆる「ライフログ」である。しかしながら、今は会社ではGoogleカレンダーを使用しているが、今後もGoogleカレンダーをずっと使い続ける保証はない。データを定期的にエクスポートして保存しておけばいいのかもしれないが、面倒くさい。したがって、相変わらず、紙データを保管している。ただし、検索性に関しては、デジタルデータよりもかなり劣後する。

頭の中に浮かぶアイデアとか、気づきのような事柄についても、都度、書きとめておかないと、後で思い出せないことがある。前は、手帳を取り出して、メモ書きをしていたが、最近は、スマホのメモ帳を使うことが多い。とっさにキーワードだけ記録するので、後で見返して、何のことやら意味不明なこともあるが、それでも頭の記憶だけに頼るよりは、かなり有効である。

湯川秀樹は枕元に常にメモを置いていたそうである。アイデアを書きとめておくためである。何か思いついた際、手元に適当な用紙がなくて、箸袋や封筒の余白、紙ナプキンにメモを書いたという話もよく耳にする。Amazonの創業者であるジェフ・ベゾスが紙ナプキンに書いた概念図が、同社のビジネス・モデルの原型であるという。メッシとバルサの最初の契約は紙ナプキンに書かれたものであったという話も聞いたことがある。

そういう意味でも、どんな些細なことであっても、常にメモを取れる状態であることは重要である。紙のメモ帳と鉛筆でも、スマホのアプリでも構わない。頭の中のアイデアは、常に移ろいゆくものだからである。

もう少し科学が発達すると、頭の中の意識の流れのログが取れるようになるかもしれないが、僕にはそういうものは必要はない。どうせ、僕の場合、大部分の意識はロクでもない内容、あるいは消し去りたい内容でしかないはずだからである。

そこまでやる必要はない。上澄みのエッセンスのごく一部だけでも、メモの力ですくい取ることができれば、とりあえずは、それで十分なのである。

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