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人を育てる結界術

ある方が、自宅の部屋を近所の子どもたちに「遊び場」として開放していました。

私物もいろいろあるので、開放するときには私物をその部屋の片側に全部寄せ、そこにヒモを張って「触らないでね」というような注意書きを書いていたそうです。

ただ子どもというものは、ダメと言われれば気になるもので、そんなところにもちょこちょこ入り込んでくる。イタズラっ子でもいればなおさらです。それでそのたびに「こっちは触らないでね」といちいち注意をしていました。

でも、そんなことがたびたびくり返されるうちに、その方はふとある決意をしたのです。そして子どもたちを集めてこう言いました。

「このヒモは何だかみんな知っているよね? こっちは私物だから勝手に触って欲しくなくってそれで張ってあったの。でもね、これもうやめることにする。だってみんなはもう分かっているでしょ? だからみんなを信じて取っちゃいます」

そう言ってみんなの前でそのヒモを取ってしまったのです。

その結果どうなったかというと、それ以来誰もそちらの物に勝手に触らなくなったそうなのです。

それどころか新しい子どもが来たときに、古くからいる子たちが自分たちでルールを伝え、みんなで守るようになったそうです。

道具というものは、その在り方や用い方によってそれを使う人への影響の与え方が変わってきます。

先ほどのヒモなどは「在る」よりもむしろ「無い」ことによって、子どもたちの心にしっかりとその働きの効果を及ぼしています。

「あえて引く」とか「あえて抜く」ということによって、むしろ人を突き動かし、そして人を育てるような、そんな働きを生み出している。

そのような道具の在り方や用い方というのは、非常に素晴らしいある種の文化だと思うのです。

私は日本家屋や日本の古い街並みなどが好きなのですが、それはそこに何とも凜とした慎み深さや気働きのようなものを感じてならないからです。

それはおそらく先ほどの「あえて引く」とか「あえて抜く」というような身振りが、そこかしこに散りばめられているからでは無いかと思っています。

たとえば日本の結界というのは、非常に覚束ない物をよく用います。

障子や垣根や簾や衝立あるいは神社に張られる注連縄なども、その材料としては紙や木、藁や麻といった、空間を区切って人除けをするための結界としては何とも覚束ない物たちばかりです。

今でも身近な障子など、隔てる物は基本薄紙ひとつですから、プライバシーとか防犯とかそんなことを考えたときには、これほど頼りなく覚束ない結界はありません。

もし本気で人除けをしたければ、もっと頑丈な扉でガチャンと締めれば良いのに、よりにもよって薄紙一枚です。

基本、カギもついていませんし、入ろうと思えばいくらでも蹴り破って侵入できる、そんな儚く覚束ない物によって、人除けをするのです。

そこには「人に対する信頼」があります。道具それ自体が人に対する信頼で成り立っているのです。

鉄の扉は「人に対する不信」を現わす道具かも知れませんが、障子は「人に対する信頼」によって成り立つ道具なのです。

もちろん時には平然と蹴破って入ってくる人があるかも知れません。でもそれでもなお障子という結界を採用して人除けをし続けたのは、ひとつの意志であり、覚悟であり、はるか遠く子々孫々の暮らしを想った末のことだと思うのです。

人とのあいだに鉄の扉を建て始めたら際限がなくなると、そう思ったのかも知れません。

生活空間を強固な鉄の扉で護ってゆくことは、そのときの安全と安心を保証してくれるかも知れませんが、鉄の扉に込められた「人に対する不信」は、そこに暮らす人々の心に徐々にゆっくりと染み込んでいくことでしょう。

そして、やがていつかその共同体全体に拡がっていた牧歌的で家庭的な緩やかな連帯感や信頼感は、気づかぬうちに薄れて消えていってしまうかもしれない。

それは自身にとっても、共同体にとっても、さらには孫子の世代にとっても、決して幸せなことではないはず。

障子という薄紙一枚で隔てる「間合い」は、いちおう区切ってはあるものの気配は繋がっていて切れることはありません。

咳払いもクシャミも衣擦れの音も聞こえてきますから、隣で何をしているのか何となく空想はつきます。むしろ見えない分、より空想が広がるかも知れません。

けれども空間としては建前上あくまで区切ってあるワケなので、障子という結界は「切りつつも繋がっている」、そんな間合いを作り出し、人にそのような関係性の取り方を立ち上げさせます。

それが私たちの中に、隣の他者に対する繊細な「気遣い」という心の働かせ方を育てているのだと思うのです。

そのようにして「人は信頼されたときに育つ」という人育ての極意を、そのまま住まいの環境に埋め込んでいったのが、日本文化の方法だと言えるでしょう。

人々のあいだに垣根や簾や障子といったほのかな仕切りを立て、「用がなければこの先ご遠慮願いたい」と、最終的な決断を相手に委ねるような、信頼を前提に作り上げられた街並みは、そこで暮らす人々をそのような心性で包み込み、育んだことでしょう。

私はそこに、「ここで暮らす人々の幸せな営みが、いつまでも末永く続くよう…」と願いを込めた、先人たちの美しい思想を感じるのです。

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