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死を寿ぐ

『シンクロと自由』 村瀬孝生 著:医学書院

 著者である村瀬孝生さんは、老人ホーム「よりあいの森」の所長をされている方です。本書はその実体験を通した介護経験談なのですが、ただの介護エッセイではありません。テーマとなっているのは、”わたし”という自己と他者がどう同調、シンクロできるかということです。もしくは”わたし”の内面と外部との世界の同調の在り方など。
 こうして書くと難解なのですが、ようするに認知症である老人と関わるときに、どう相手の気持ちを介護者が読むか、というときにこのシンクロが生きてくるそうです。

 僕にも経験があります。自分でトイレに行くことができないお年寄りを、どう失敗なくトイレに連れていけるのか?
 そのとき意識を相手にシンクロさせていくことで、タイミングが分かるときがあるのです。不思議なのは、きちんとトイレで排尿できた喜びは当人だけでなく、それをケアするものにさえ伝わってくること。お年寄りの排尿が、介護者にとってまるでわが身のように感じる瞬間があります。著者はそれを介護者がお年寄りと、体の交感をしているからと言います。
 ケアの本質はそこにあるかもしれません。どこまでわたしの体を、別のわたしにシンクロさせていくのか。

 シンクロについては、なにもわたしと他者との同調だけではありません。わたしの内面の体験がそれに関連した何かに強く同調するといったシンクロもあります。
 そういえば思い出すことがあります。
 数年前に世界を騒がせた遠くイスラム世界で頻発していた「イスラム国」と呼ばれたテロ集団がありました。連日テレビのニュースなどでも拘束された人々が、オレンジの囚人服を着せられテレビの前で脅迫される映像は衝撃的でした。
 だいたい介護施設のお年寄りはテレビが好きです。連日施設のテレビで僕もそのニュースをよく見かけ、僕たち介護士はそのイスラム国が作る映像をまるで映画みたい、と言い合っていました。ようするに現実感がなかったのです。
 その時期、夜勤で朝方オムツの交換に入ると不思議なことがありました。だいたい暁闇での交換の時間は皆寝ている時間帯で、いちばん夢を見ている時間帯です。よくこんな夢を見たとか、半分夢うつつで語ることはよくあります。
 その頃、決まって戦争の話をそれぞれのお年寄りが一斉に言い始めたのです。崖から海を見たら、沖にアメリカの艦隊の船が見えて怖かったとか、空襲で夜空が真っ赤に燃えいたとか、大陸から命からがら逃げてきたとか…。
 オムツ交換の短い時間に語る話なので、あくまで断片なのですが、さっきまで夢で見ていたことだから妙に生々しかった。
 きっと彼ら彼女らにとって、あのISの映像はすくなくとも「映画みたい」、ではなかったのでしょう。昭和一桁世代にとって戦争は体験なのです。オレンジの拘束服を着せられた囚人がナイフを突きつけられるシーンを見て、遠い記憶が呼び起されたのかもしれません。
 遠い世界の出来事が自分の記憶とシンクロして夢という形で出現する。まるで集団催眠にでも罹ったかのように彼らは語り、そして彼らの語りは集団的なトラウマ語りだと僕は思ったのです。

 ちょっと話が逸れてしまいました。シンクロの話はもとより、著者は最後本書のなかで、長い間年寄りと関わってきた中で、自らが長生きをしたいと思うようになったと言います。自分が老いて衰えることを実感したい、その時感じる悲しみや喜びや世界の見え方がどう変容するか見てみたいと。そうやってやがて死んでいくところをしっかりと受け止めたいのだそうです。そこには大きなとてつもなく大きな生命感を感じてしまうのは、僕だけでしょうか。
 村瀬さんは続けます。理想は火葬ではなく、土の中で埋められて、腐敗して微生物に分解されること。他者から食われ、食ったものは排泄しまた土に戻るという、大きな生命の循環。死んで天と地、そして生きものたちがぼくの死を寿いでくれる世界。
 その妄想は、長年介護してきた著者の限りなく深い生命の賛歌でした。

 最後に僕にも言わせてください。
 まだ介護の仕事をはじめた二十数年前のことです。ひどい認知症で施設に入所してきたお爺さん。その人は元官僚で大変偉い人だったとのこと。若造の僕の口の利き方が悪かったのでしょう。その人は僕に口の利き方についてくどくどと説教を始めました。その物言いは高圧的で大変身勝手な言い分でした。きっともっと若かりしころこうやって人を怒ってきたんだろうと察しました。
 その瞬間でした。僕を睨みつけしゃべりながらお漏らしをしたのです。ズボンはみるみる染みが出来、やがて音をたてておしっこを垂れ流します。床はみるみる小水で水溜まりが出来ました。しかし当の本人はそれさえも気づかないのです。垂れ流しながら説教をするその光景は滑稽そのものでした。そして僕はそっとさりげなくそのかつて偉い人をトイレに連れていき、着替えをさせたのでした。
 僕はそのとき思ったのです。人間はどんなに偉くてもそうでなくても、地位があろうがなかろうが、お金持ちだろうが貧乏であろうが、ニンゲンは等しくただ食べて、小便し、排泄するだけの生きものなんだと。それは真理で、その思いは僕を自由にしました。
 そしてあの頃の若造は、いまだこの介護の世界で悪戦苦闘してるのでした。

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