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すこしさみしい

きのうからさみしい。

さみしい、とてもさみしい。
さみしいが極まって、途方に暮れる。

夫に「わたしはとてもさみしい」と言ってみる。
「そうか」と言って頭を撫でてくれる。
本を読むげんきもなくて、ベッドにもぐり込む。
夫の側に枕を持参して入る。
いつの間にか眠ってしまっていた。

夫がわたしの脇に入ってきて、目が覚めた。
すこし眠っても、そして目を覚ましても、さみしい。
眠っている間は、さみしくはなかったけれど、人に責められている夢を見ていたのでくるしかった。

夫がわたしの体を撫でてくれる。
体を撫でられると、そうか、ここは肩だな、とか、ここは太ももだなと知覚する。
わたしという存在はずいぶんと散逸している感じがする。

しばらくすると気がすんで、自分の側に枕とともに移動して眠った。
ふたたび責められる夢を見た。
朝起きると、すこしさみしいは減っていた。

着替えて、朝ごはんを作る。
朝ごはんは、きのうの残りの豚汁とごはんと目玉焼きとウインナだった。
目玉焼きを焼くときに、四つのうちひとつだけ黄身が割れてしまった。
くやしい。
さみしくはなくて、くやしい。

くやしいから、わたしではないだれかのをこの割れたやつにしようと思う。
でもなんとなく、自分で食べた。醤油を垂らして食べた。
食べるときはくやしくなかった。でもすこしだけさみしい。

朝ごはんの後、「葉山にお洋服を見に行こうよ」と夫が言う。
お洋服を夫と見るのは好きだ。

車に乗って出かける。
うちの下の坂をくだる時に、加藤さんのうちの前の大きな椿の木の葉に、車のサイドミラーが触れる。
葉の何枚かがさわさわと鳴った。

その時、風も吹いてきて、さらに大きく椿の木の葉は全体的にさわさわさわと鳴った。
赤い花がすこし高いところに咲いている。
咲きかけでもなく、終わりかけでもない。ちょうどよい頃合いに咲いている。

そう思ったとたん、ちょうどよいという人間の平凡な感覚で評してしまってしつれいだったのでないかと思う。
車は調子良く進んでいる。
だまって車の助手席に揺られながら、わたしは椿に対してのしつれいを考えている。

夫は上手に運転をしている。
今度は、助手席に座りながら、「助手席」と言う言葉に思いは及ぶ。
ただしいこの席のあり方に、わたしは及んでいないことについて考える。
わたしはただ座って車に乗っているだけで、運転の助手など何一つしていないのだ。
考えながらも、すんすんとさみしい気持ちはわたしの内側のふちに触れる。

目的のお店に着いた。
色あいのとりどりの洋服は、やはり浮き立つ気持ちがするものだ。
いくつかを試着して、洋服を買う。
洋服を買うとき、さみしくはなかった。
洋服を買ったら、ちょっとさみしいは遠のいたようだった。

わたしは知っている。
とても薄情な様子だと思うので、口に出したことはないのだけれど、わたしのさみしい途方にくれた気持ちにとてもよく効くのは、お洋服を買うことなのだ。
わたしのさみしいはものすごくこの世的だ。


お昼ごはんもそこで食べる。
かきとゴルゴンゾーラのグラタン。そしてアーモンドのタルト。
おいしい。うれしい。
さみしくはない。
やはり、わたしのさみしいはものすごくこの世的だ。

お洋服を買った帰り道、行きと同じ道をはんたいから車で通る。
先ほどの椿の木のところを、ふたたび通る。
今度は右側のサイドミラーが椿の葉に触れた。
葉は、先ほどよりも光っているような音でさわさわと鳴った。
椿の赤い花がやや俯き加減に、ちょうどよく咲いている。
もの思いしている様子に見える。

さみしいのかもしれない、と思う。
さみしいのかもしれない椿を見ながら、わたしはすこしだけさみしい。
さみしいのだった。
うれしい。もあった。
気持ちよい。もあった。
そして、さみしい。もある。

椿にもいろいろきっとあるだろう。
椿はずっと考えているようだった。
朝からずっと高いところで、考えているようだった。
椿はきっとさみしい。

明日になれば、椿は首からぽろりと落ちているかもしれない。
明日になれば、わたしはもっとさみしくて途方に暮れているかもしれない。
明日になれば、世界がもっとひらいてわたしを受け入れてくれているかもしれない。
明日になれば、わたしはちっともさみしく途方にくれていないかもしれない。

これを書きながら、やっぱりわたしはさみしい。
椿はいま、同じところに咲いているだろうか。
ちょうどよく咲いているだろうか。
わたしの好きな何人かのことを考える。
この人は、いまさみしいだろうか。
あの人は、いまさみしいだろうか。
世界は、いまさみしいだろうか。
わたしは、いますこしさみしい。

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