齋藤美衣

言葉と実体としての本が好き。 1976年、広島県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。…

齋藤美衣

言葉と実体としての本が好き。 1976年、広島県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。 14歳、白血病での一年間の入院中に短歌を作り始める。2022年、短歌作品「蚱蝉」30首でO先生賞を授賞。同年ASDと診断される。2023年から俳句も作り始める。2024年に第一歌集を出版予定。

マガジン

  • ソーシャルダンシング

    ある日、突然世の中の基準がダンスになってしまったら。 誰が優れている、何が正しい、世の中の基準は本当に正しいものなのか。 基準が変わったことで翻弄される人々を描くことで、社会の在り方をあらためて問う小説。

  • 畑のがっこう

最近の記事

わたしはあふれそう

5時に目覚ましが鳴って、たんすの上にあるそれを止めるためにベッドを出た。 それからいけない、とおもいながら再びベッドに入る。 ベッドはなまあたたかくて、やわらかい。 誰かが甘やかしてくれているように、ぬるくわたしを包む。 でもそうしているわけにいかないから、ぱっと起き上がる。 草いろのコットンセーターとうすいグレイのパンツ、白い下着一式を引き出しから的確に取り出して、洗面所に行った。 うがいをして、着替えて、それから顔を洗う。 お湯を沸かして、お米を研ぐ。 食洗機と洗い

    • 泣く場所と逃げる場所

      逃げてばかりの人生だった。 人が努力したり、目標に向かうなかでわたしは何事からも逃げていた。 小学生のときは忘れものが多くて、学校についてから忘れてきた体操服や教科書を何とか隣のクラスから借りることばかりしていた。 かんじんの忘れものをしない、ということがどうしてもできなかった。 忘れものはいまも多い。 その都度、出先でどうにかするという方式は、子どものころからちっとも変わっていない。 体育がきらいだった。 体育がきらいなあまり、あらゆるスポーツ、体操服、体育教師、体育館

      • あたらしい人

        四月はあたらしい感じの人が街にあふれている。 その人が、いったいどこからあたらしい感じを出しているのか毎年ふしぎに思っている。 電車に乗って出かけた。 わたしの前には中学生らしき女の子が6、7人寄り集まっている。 みな紺のジャンバースカートに、ベージュのブラウスを着ている。 足元は茶色の揃いのローファーで、これも揃いの白い靴下である。 少女たちはさざめくようにわらったり、ちいさな声で話したりする。 どの少女もとてもあたらしい感じを出している。 スカートから伸びた脛は、

        • 花筏

          春に対していまひとつ積極的になれなかった。 わたしはうたぐりぶかいたちなので、みんながよいというものをいちいち疑う。 しかも人々はよくよく考えもせずに、さまざまなものをよいと言う。 春はいいねえ、桜が咲いてきれいだねえ。 あたたかくなっていい季節だねえ。 春はあたらしい希望の季節だねえ。 そんな言葉が飛び交う。 春は無防備すぎやしないか、と思う。 満開の桜なんて、一切の思考を放棄しているように見えてくる。 わたしは入学式も、花見も、春物のかいものも、おしなべて苦手なのだ

        わたしはあふれそう

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        • ソーシャルダンシング
          10本
        • 畑のがっこう
          7本

        記事

          たまごと革靴

          ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』にこんな場面がある。 「とっさに衝動を抑えきれなくなったアシマは、その靴に足を入れてみた。持ち主の汗ばんだ感触が残っていて、それが自分の汗と混ざるような気がしたものだから、心臓が全速力で打ちはじめた。いままでのアシマにしてみれば、これはもう男性経験というに近い。革靴はしわがついて、重くて、生暖かかった」 (ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』) 足の大きさは何十センチも違うわけではないのに、少し大きな靴に足を入れるとどうしてあんなにすっ

          たまごと革靴

          つけまつげ/春泥

          お化粧がずっとできなかった。 まず、どうしてするのかがよく分からなかった。 そして成人式で初めて他人に施されたお化粧は、たいそう気持ちの悪いものだった。 べったりしたものが顔の表面全体を覆って、息というものがぜんぜんできない。 世の中の女の人は、こんな苦痛に耐えているのかとおどろいたものだった。 お化粧というものが何のために必要で、いつからするべきかを誰も教えてくれなかった。 それなのに、みんなどの時間の隙間にそんなことを覚えたのか、大学生にもなるとお化粧をしている人がち

          つけまつげ/春泥

          しろい膝小僧

          朝は5時に起きて、まずお米を研ぐ。 それから着替えて、顔を洗って、エプロンをきりりと締めてお湯を沸かす。 春休み初日から、次男は学校の春季講習が毎日4時間あってふだんと何も変わらない。 お弁当を作る。 塩壺に塩を入れようとしたら、うっかりこぼしてしまった。 もうその頃には、おもては半ば明るい。 台所の窓からもうすあかりが感じられる。 塩の粗い粒はそのあかりの中でことさら美しく光っている。 塩をこぼしたのもまたいいかもしれないと思うように、かがやいている。 通院の日だっ

          しろい膝小僧

          ひらくこと、ひらかれること

          朝起きて着替えて顔を洗ったら、お湯を沸かす。 お湯が沸いたら、白湯を一杯飲む。 あたたかい湯をごくりごくりと飲むと、体のあちこちにその温度が行き渡る。 体のすみずみまで湯が届く。 わたしの体がどこまであるのか、よくわかる。 いつも思ったよりも遠くまでわたしの体はある。 体がずいぶん遠くまで伸びているさまを感じて、わたしは愉快になる。 ところで、わが家では白湯のことは「おぶちゃん」と呼んでいる。 以前、ある地方では白湯のことを「おぶ」と呼ぶと聞いたことがある。 その響きがい

          ひらくこと、ひらかれること

          すこしさみしい

          きのうからさみしい。 さみしい、とてもさみしい。 さみしいが極まって、途方に暮れる。 夫に「わたしはとてもさみしい」と言ってみる。 「そうか」と言って頭を撫でてくれる。 本を読むげんきもなくて、ベッドにもぐり込む。 夫の側に枕を持参して入る。 いつの間にか眠ってしまっていた。 夫がわたしの脇に入ってきて、目が覚めた。 すこし眠っても、そして目を覚ましても、さみしい。 眠っている間は、さみしくはなかったけれど、人に責められている夢を見ていたのでくるしかった。 夫がわたし

          すこしさみしい

          春の塵

          昼ごはんにぶどうパンを食べてから、散歩へ出た。 わたしは運動のための運動がきらいだ。 運動のためではない運動は好きだ。 だから散歩は、散歩のための散歩ではなく、何かしらのちいさな用事を作って外へ出る。 今日の用事は、コーヒー豆を買うことだった。 とても天気のよい午後だった。 わたしの前を男の人が歩いている。革ジャンに深緑色のキャップをかぶっている。耳たぶには直径2センチほどの真ん中に穴の空いたピアスが嵌め込まれていた。 ぼっかり空いたピアスの穴から向こうが見えそうだった

          歯医者の椅子

          歯医者の椅子の背もたれがゆっくりと沈む。 深海の中に潜っていくようなうっとりとした恍惚感に、わたしの背中は倒れていく。 わたしは歯医者の椅子がとても好きだ。 あの椅子に座って背もたれが倒れていくとき、よろこびが体をめぐる。 なんてきもちよいのだろうか。 口を開いて、何かされているのを忘れるくらいの快楽だ。 3ヶ月に一度の検診の日だった。 今日の歯科衛生士さんは初めての人で、もの静かな方だった。最初に行われる歯茎のチェックも、金属の器具をやわらかく当てる。やり方もゆっくりし

          歯医者の椅子

          豪奢な夕焼

          電車に乗っていた。 電車に乗るときは、ぼんやり外を見るか本を読むかのどちらかである。 わたしの向かいのシートにもぎっちり人が隙間なく座っている。みな手には長方形のスマートフォンを持ちそれを宙に浮かせて、指先を滑らせながら、滑らせながら何らかをみている。 スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、スマートフォン、であったシートに途中で変更があった。 一人が席を立って下車して、別の人が乗り込んで来て座った。 その結果、ス

          豪奢な夕焼

          夢のようになるだろう

          朝は5時に起きて、着替えたらお弁当作りをする。 以前は6時でよかったのに、高校2年生の次男が「1時間早く学校に行って、静かな教室で勉強したいから、朝ごはんを1時間早くしてほしい」と言い出した。 1時間朝を早くする、ということの大変さをきっとわかっていないのだ。 わたしは憤慨して、ずいぶん強硬に反対した。 勉強のしすぎは体にわるい、とか、朝はしっかり眠ったほうがいい、とか、みんなが勉強するからって影響されてどうする、とか、そんなに勉強したいのなら自分の部屋で1時間早く起きて

          夢のようになるだろう

          春月

          友に小包を送った。 中身はパンと本である。 ここ数ヶ月わたしが依存して毎日くり返し食べているぶどうパンを、友に送ろうと思った。 冬のことである。 関東から四国まで。ぶどうパンを送った。送料はたぶん1500円くらい。パンより高い。 このぶどうパンはとてもおいしい。 ぶどうパンのありようを超えないが、そのぎりぎりのやりすぎでないほどの量の干しぶどうが入っている。 わたしはぎりぎりのものが好きだ。 なぜか。ぎりぎりのものは生きている感じがする。 なまぬるいものは、ただただたい

          助詞が。

          くり返すたちである。 テレビ番組の「NHK短歌」を録画していたのを見た。 吉川宏志さんの回で、テーマは助詞だった。助詞はけっこう好きな方だ。 吉川さんにわたしは見えていないので、最初はソファでごろごろしながら見ていた。 司会は尾崎世界観さん、ゲストがいしいしんじさん。このお二人の作品も挙げながら助詞の話は深まっていく。 おもしろくて途中からついつい起き上がって見る。 たまらなくてもう一度番組を最初から見る。 番組の中で尾崎世界観さんのバンド、クリープハイプの「本当なん

          レタスのおへそ

          まひるまの台所で、レタスの球をひらく。 レタスはとうめいのぱりぱりしたビニルに包まれている。あれはどうしてなのだろうか、レタスのおへそあたりのビニルのつなぎ目がぎゅっとくっついていて、気をつけて開いてもふかく亀裂が入ってしまう。 レタスのビニル袋はレタスの葉のように繊細で、ひらいてふたたび使うことができたためしがない。 レタスの葉は冴えざえとした青だ。 キャベツの外葉のように、相手を喰ってやろうというほどの力に満ちた青ではない。 どこまでも鮮やかの許容範囲をやや控えた色合

          レタスのおへそ