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キミはスネ夫くんになればいい

「こいつ(スネ夫)外して出木杉くん入れたらよくね」

 子供の頃、ドラえもん映画を見てそう感じたのは筆者だけだろうか。

 藤子不二雄の国民的漫画にしてアニメ「ドラえもん」はかつて原作者が年に一度大長編を連載し映画になる流れがあった。映画ではドラえもん含めいつものメンバーが人知れず世界の危機や不思議な事件に巻き込まれて、いつもの立ち位置を変えて結束し友情を確かめ合い知恵を絞り邪悪に立ち向かいそしてゲストキャラクターと別れて日常に戻っていく。

 その中で気になるやつがいる。スネ夫だ。

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前回も述べたが簡単なドラえもんのあらすじ

 何をやってもさえない少年、のび太はある日自分の子孫を自称する少年にドラえもんという謎の存在をつけられる。将来ののび太が無能によっておこす事業失敗に伴って子々孫々にまで累が及び子供のお年玉ですら50円という貧困に苛まれていることへの抜本的解決としてドラえもんをお目付役とし、運命を修正しつつ子孫は生まれる結果だけ残す高度な真似をするという。のび太はその主張を素直に受け入れ、温厚な両親もドラえもんを受け入れた。ドラえもんとのび太は異なる感性を持ち多少の無茶を繰り返しつつ二人はやがて別れ難い絆を結んでいく。しかしその関係にも終わりが近づいていた。

 ネタバレだが、最初にのび太が乗り越えてドラえもんを送り出す時に立ちはだかるのは寝ぼけてやってきたジャイアンである。スネ夫くんではない。この後も続刊し作者の代表作になる。そして作者の死に伴って未完となった。のび太くんはドラえもんを親友とし家族としてサボりつつも目に見えない程度にコツコツ努力は続ける。実際成績伸びているし大学も出る。

 以上が簡単なあらすじである。本稿で述べるスネ夫くんは優秀な子供であるが出木杉くんほどではない。のび太の結婚前夜では彼ものび太の門出を祝うので友情は続いているものと思われる。

では映画版でのスネ夫くんはどうか。(※当記事ではあくまで原作者存命中の大長編及びそれを原作とした映画版を主としています)

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映画におけるドラえもん以下のメンバーが発揮するスペック

 ネズミ一匹に核兵器取り出す青ダヌキを語るのは今更だ。

 非常事態の時にしか役立たない不幸属性(悪運)、どこでも寝れる、手先が器用で如何なる飛び道具も器用に使いこなすのび太くんのような主人公補正は幸か不幸か(※おそらく幸いな事に)スネ夫くんにはない。

 大人顔負けの身体能力を発揮できそこそこ武器系の道具を使いこなす切り込み隊長(ストーリー上でも無茶ばかりして話を動かす役である)ジャイアンのような素の強靭さもない。

 可愛いとか優しいとか脱ぐとか表面だけではなくじつは物語そのものを打開しうる結束や説得を見せるしずかちゃんの献身的かつ隠れたリーダーシップがあるわけでもない。

 大長編及び劇場版のスネ夫くんは普段における金持ちアピールやジャイアンの暴力の威等と切り離されて一人の子供として主人公格として扱われる。つまりあんま強くないし、のび太くんより小柄な体格で、しずかちゃんの次に成績がいいくらいで、何かあったらその場にいない母を呼んで泣いているスネ夫くん。

「こいつハブにして出木杉くん入れた方がよくね」

 幼く愚昧な筆者がそう感じてもそれほどおかしくはない。

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この五人が仲良くしている謎

 いじめられっ子といじめっ子が年に一度は仲良くなり、団結しているのは子供から見たら激しく違和感があった。

 人間は涙の数だけ強くなれない。

 偉大なブッダですら王子という恵まれた環境に偶然生まれ、あらゆる贅を尽くし、悟りを苦痛と飢えに求めて失敗し、飢餓状態にてうまい飯を食って始めて苦しむことと喜ぶことは悟ること幸せと完全に別だと自覚した。
 ブッタほど恵まれていない子供が優しさや強さを習得する過程は抑圧もしくは学習の結果である。虫を踏み潰し偏見と思い違いで他者を退けいじめ破壊して幸運にも反撃を受けるなどして、やがて他人もまた自分と同じ人であると学習していく。

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子供は弱者をいじめ排除しおもちゃにし成長する

 強い子はその成長過程でいじめや抑圧を行う実験を比較的自由に試行し、弱い子は自殺したりアレルギー物質を食べさせられたりして脱落する。よしんば生き延びても大人になってなおPTSDに苦しむ。実際には優しく他者に振る舞える要領があるのは過去にちょうどいい『遊び相手』を得た強い子だけである。彼らは自分たちがいじめや排除を行った自覚すらないし覚えてもいない。握り潰して遊んだ粗末な人形なんていちいち大人になっても思い出さない。

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本当に強いとは異端である

 弱い子は将来権威を得たりすがったり後天的に強くなっても別ジャンルの弱者を叩き続けているのがだいたい現実だろう。精神の病や特性を持つと自称し理解を求めつつ性暴力被害者を叩いたりする。あるいは性平等を称しつつ現実世界の性犯罪よりエロ漫画を叩く。

 例外も当然あるが虐げられてなお優しいということには極めて強い意識が必要だ。そしてそんな子は元から異端ではあっても本質で弱くはない。彼らは自らを虐げるものでも自分の被害を伴わない喜びならばとりあえず相手を祝福できるし危険に手を差し伸べさえする。

 子供が優しいとか純粋というのは一面でしかなく、彼らはどこまでも残忍になれる。
 周りに反していじめに加担しない代償に排除されるならはいじめに加担した方が安全だし暴力装置を操って自分の手を汚さない方がなお賢い。スネ夫くんがいい感じでジャイアンを乗せるように。

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ならばドラえもんはファンタジーか

 大人になってから彼らを見ると何だかんだでやりあっていて一方的と言い難い。まあ「新しいバットの調子をみたいから殴らせろ」とか言い出すのは時代背景もあって目を瞑るとしてもだ。

 ジャイアンはのび太くんがチームに入ると負けると知りつつ結構野球に誘っている。ちなみにここでものび太くんの代わりに誘われれば出木杉くんは活躍している。

 体格で勝るジャイアンにビビる出木杉くんだがいざ喧嘩になるとジャイアンに勝つのではないだろうか。ネットで調べてみた限りでは証拠は出せなかった。コミック全巻持っている方お願いします。

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というよりジャイアンこと剛田武くん自体が結構複雑な男だ

 いや性質は単純であるが。親の金でいばり散らし自分の威を借りるスネ夫くんが倒れれば心配するのは彼だ。つまるところ彼はあくまで傲慢なガキ大将であって無意識もしくは意識的にに他人をいじめ迫害するいじめっ子とは本質的に異なるのび太が海外に行くとなると今までの分殴れと言い出すので理不尽な男であるのは事実だろうが)なぜなら彼はのび太をいじめるとドラえもんが出てくると既に学習しているのだ。なのにチョッカイをかけるならばのび太よりジャイアンとスネ夫はバカなのかと疑問が出るだろう。ジャイアンは戦績はよろしくないが自ら野球チームの監督兼打者をこなし、暇さえあれば実家の手伝いをさせられ、愛犬の世話もするし、妹を大事にしている。
(※余談だがスネ夫にも弟がいて海外で養子として暮らしている)

 そして劣等生ではあるがのび太よりは成績は良い。彼の父は成績が悪いことは仕方ないが不正だけはするなと教える熱い男である。これが現実世界にいたパソコンをハッキングして成績書き換えた中学生ならある意味オール5を取るより有能だろうにこのようなところに郷田家の教育方針がうかがえる。のび太は郷田家の親二人に対しては憎しみなどは抱いていないようだし困った兄にも妹に対してもたまに嫌いと断言はしても憎んでいると言い切れない。単純に二人に利用される程度にお人好しなだけかもだが。

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のび太をいじめるな

 かくものび太は強い。もちろん喧嘩は弱く実際毎回いじめられてバカにされているがだいたい当日にはひみつ道具を手に奇想天外な発想とともに仕返しに来る。ドラえもんに安心して未来に帰ってほしいがためにほとんどまだ何もしていないジャイアンに向かっていき、彼が嫌になって辞めるまで殴りかかってきたことまである。男三人は微妙なラインで力関係が上下しているので無限に差が開くいじめ関係に落ちていかない。暴力面でものび太とジャイアンが実は拮抗しうるのはわかった。喧嘩は弱くても襲うにはデメリットが多い。つまりいじめたり『遊ぶ』にはめんどくさい奴なのだ。

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なぜのび太とジャイアンは徹底的に潰しあわないか

 のび太は敵を殺すくらいなら自分が死んでしまいかねないやつだ。特に女に甘い。ある意味一番敵に回したくない。ジャイアンの行動はのび太相手にビビることはないのは当然だという確認作業的なものを感じなくはない。彼はのび太をいじめる必要はない。もっと弱い子、幼い子をいじめればいい。(確かアメを幼児から奪っていなかったっけ?)そして徹底的に存在をないものとしてのび太を扱えるのに、下手に関わってドラえもんの道具で逆襲されるとわかっていながらメンバーがいないと理由をつけては野球に誘い、あるいは拉致同然に練習につきあわせる。その反面幼稚なマウンティングをし明らかに恐喝などイタズラやいじめで済まされないことまでやる。そのくせのび太がほかのいじめっ子にやられていたら男粋を感じて加勢に入る(※ビビりつつスネ夫も裾を捲って参加するし三人ともここでは道具なしで結束する)。のび太も断れないとはいえジャイアンのためその妹のため奔走する。本来の時間軸では義兄弟になるだけのことはある。

(※のび太の子孫が連れてきたドラえもんの干渉などによって作品世界は子孫であるセワシが生まれるという結果以外は分岐したが、本来ののび太はジャイアンの妹を妻として何人もの子供を育む)

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パラレルワールドでは

 トヨタのCMでは三〇歳になっても結婚できないのび太が登場するが、ジャイアンの妹であるジャイ子の配役=前田敦子なので普通に勝ち組だ。忘れてはならないがジャイアンは家業の雑貨屋をスーパーに拡大し暇があればカラオケを嗜む程度の才覚がある。だがドラえもんが現れなかった世界線ではおそらく彼はのび太の借金に大いに苦しまされたはずである。

(※原作にてのび太はドラえもんがいない世界線では就職できなくば即会社を立ち上げビルを借りるか買う経営能力を見せている。その写真から見るにかなりの数の社員がいる。ドラえもんのいる世界では大学卒業とほぼ同時期にしずかちゃんと婚約関係になることも考えれば大人になったのび太をただ無能と呼ぶのは無理がある)

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おお心の友よ(義兄弟)

 長々となったがジャイアンとのび太の関係はジャイアン曰く心の友(※強制)で、のび太はとても辟易しているが全く嫌なわけでもなさげなところで、暴力と女というのび太の弱点を的確に掴む郷田兄妹がのび太の兄貴分を自称したいといったところと言える。猿でも頻繁にこういった行動を取る。

原作版小太りブサイクでもCM版前田敦子でもジャイアンから見れば可愛い妹

 いいのかジャイアン。そいつのび太なのに可愛い妹預けて。原作ではそのような描写が時々出る。
 原作と全く関係がない前田敦子が良いかは読者個々人のご意見に任せるとしても、漫画家として大成し得る妹、基本的経営能力を持つ兄はのび太から見て鬼門だ。

(※のび太とドラえもんの出会いにより二人がこの将来を得、本来の世界線ではないという可能性は大いにあるが)

 ドラえもんなしで生きた世界線ではのび太はこの兄妹に大いに迷惑をかけたはずなのだ。しかし野比一族はその後も子孫を絶やさず、少額でも子供のお年玉を50円とする生活を続け借金を返し続けている。もし融資を支えている一族がいるとすればそれは郷田家であるとみなすのが順当だろう。のび太と出木杉が親友ならばのび太とジャイアンは本質的には兄弟なのだ。

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じゃ長編以外でも微妙じゃないかスネ夫

 普段ジャイアンの暴力や家の金の威をかりるが頼れるのは自分しかなくなったら母を呼んで泣きだすスネ夫。やっばりこの子要らなくないか。

 ここで弁護するがスネ夫くんは決して無能ではない。むしろ親の遺産を有用に使い愛する弟のために背伸びしちゃう程度には可愛いし実際弟に見せたい自分を演じる程度に有能だ。勉強もしずかちゃんほどではないができる。絵も描ける。ジャイアンやしずかちゃんのような破壊的な音楽の才能もなく普通に楽器も使える。(※しずかちゃんは嫌いなピアノが得意で大好きなバイオリンは破滅的という特異な才能を持っている)。ラジコン飛行機、自動車(無免許)、ジオラマなどに至っては従兄弟に家庭教師まで頼んでやっている。深夜まで勉強し、趣味の世界にまで努力する。だが周りにより恐ろしい才能たちがいるだけだ。

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「出木杉なら仕方ない」

 彼らはそう諦める。しかし家庭教師までつけたジオラマですら出木杉くんの足元にも及ばないはずののび太がドラえもんの道具と汚しのテクニックをつけて追い越してくる。繰り返すがスネ夫くんは努力をする。本当は深夜まで頑張って100点を取ったのに親の誤解とのび太たちのお節介で爆破隠蔽までされてしまう。踏んだり蹴ったりにもほどがある。名は体を表すというが拗ねていいレベルだ。

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何をしても上位互換がいる

 時々彼は親や親族自慢、お金自慢、ジャイアンに便乗してのび太をいじめる。
 のび太はドラえもんにもっといいものを出してもらう。ハブにしたのび太に誘われることもあれば対立もする。

 金というアドバンテージはワケのわからない道具に覆され、趣味も勉強も頑張っているのに上位互換が何人もいる。ハブにしたやつがあっさり許して一緒に遊ぼうとか言ってくる。バカで運動もできないはずの男がわけのわからない道具を借りて誰も思いつかない応用を見せ、先程自らをハブにしたものを誘って格の違いのような措置を見せる。これはグレていい。

遊びに全力を尽くせ

 スネ夫やのび太が恐竜やプラモやメカなど作者が好きそうなネタを出してきた場合、多くの場合のび太が作者の代弁者と言われるが、一概に言えない。のび太とスネ夫の対立構造を持って趣味の世界でより素晴らしい才能やカネの力の格差に出会っても楽しみ続ける。遊びに努力する。これは素晴らしい才覚だ。そもそもこの時代に遊びにまで家庭教師をつけるのはスネ夫とその親族だけなのだ。

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スネ夫くんが立ち上がる時

 普段泣いているのび太は世界の危機に最後まで機転をきかせて立ち向かう。しかし真っ先に泣くのはスネ夫であり意外なことにジャイアンだ。二人ともその場にいない母に助けを求め泣く。
 しずかちゃんも泣くが男どもと違い大泣きまではしない。皆子供であり両親の庇護を求めて泣く。だがここには両親はいない。大人に頼れない。そして多くの場合世界の命運が小学生四人の肩に乗っているのだ。

真実も正義もわからない

 複雑多様なる現代社会において何が真実で何が虚偽か善悪の基準すら我々は掴むことができない。

 少し別の話をするが例として瞑想を語る。目を閉じて呼吸だけに意識を向けろと瞑想術を学ぶと教わる。そこでわかるのは人は心すらコントロールしきれないことだ。痛い痒い暑い寒い。音に気取られ眠気に負け妄想が捗りちっとも心は落ち着かない。まして身体の状態や他人のことなどわかろうか。

正義は誰もわからない

 現実世界の弱者は、強いものに媚びへつらい、立場の異なるものを安全圏から排斥するのに夢中になる。なんせ世界には探せば敵が無数に観測できる。そして多くの場合インターネットの匿名に守られる。いじめっ子に逆らうとハブにされることもないのにわざわざタイムラインに出てきたから程度で我は正義と忙しい。

 レイプされたという女性がいる。
 司法は証拠不十分と判断する。

 加害者曰くこれはただの枕営業失敗で合意に基づくものという。

 刑事裁判で敗訴してなおそれらの発言などを証拠に民事提訴を女性が行いこちらは女性が勝利する。

 果たして我々はこの二人の間に何が起きたか実際は知りえない。

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善意は信じていい

 ゆえに、ここは女性の身に起きた不幸とささやかな勝利の労いをするべきである。たとえあなたが普段描いている作品を気に入らないと称して彼女やその知人があなたと普段敵対していてもそれくらいは許される。基本そうしたところで害はない。

弱者は善意すらコントロールできない

 しかし普段から双極性障害であると公言し暗に我は弱者であるとしておりしかも同じ女性で一歩間違えればありえる事態でも、彼女を誹謗する作品を世に送り出し、これはフィクションであるため中傷など行っていないとぬかしてセカンドレイプに加担する輩はいる。小学生とかによくいるよね。みんなで聞こえよがしに悪口言いまくって『お前のことなんて言っていない。自意識過剰気持ち悪い』と逆に被害者を装うやつら。しかしクラスに閉じ込められているならスクールカーストから逃れられないだろうからさておき匿名のインターネットにおいて一体なんの利点があるのか理解に苦しむ。

 もっとも現代のインターネットは本人以上にその人間を知っている。性嗜好や政治思想、健康情報までインターネットに接続している人物は少なくないし毎日の移動情報(GoogleマップやGPS)を熱心にGoogleやAppleに献上している(※Apple製品はオフラインでも位置を確認できる)。

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かくして弱者は死の荒野に投げ出される

 弱者代表の皆様はこのようにいつも喧嘩して誹謗中傷を利もないのに探し出し暴きたてて行い、残るのは荒野だけだ。もっとも筆者もフェミストが創作を暴きたてて無用な攻撃を加えた宇垣ちゃん事件には異を放った。なんせ同時期でよりセンシティブ内容と設定を含む薬屋のひとりごとコラボには彼らは攻撃していない。

 しかしべつにその攻撃者たちが今日は私の誕生日だから祝ってくれと不特定多数に向けて言い出したら一度矛を収め祝辞くらいはする。レイプの被害者が裁判で勝ったというなら不幸を嘆くとともにささやかな勝利を労わりもする。場合によってはうっかり助けてしまうこともあるだろう。

 しかしそれができないからフェミストも我々創作者も宗教者も右翼左翼ヴィーガンなども嫌いあい争い合う。あるいは配慮しすぎて話者10名以下の言語を侵略者の末裔が話すのは文化の盗用だと勝手に判断しその言語の話者や文化を図らずして絶滅に追い込む手助けをする。

 そして部外者は『あの弱者を名乗る連中は危険だ』と心に刻み真に悩む弱者たちがその荒野に放り込まれる。残るは死だ。

 では本項に戻ろう。スネ夫はどうなのか。

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『お前の仕事だ』とジャイアンは言う

 ここには自分を守る権力者はいない。金や立場など関係ない。媚びへつらう相手は既にさじを投げて助力は期待できない。

 敵は容赦なく攻めてきており泣こうが喚こうが変わらない。敵に身を委ねるならば別だ。

 冷静に考えてこれは裏切りがベストである。

 媚を売る相手であるジャイアンはもう泣き出していて価値はない。好きにすればいい。

 なんかよくわからないスイッチがありそれを操作する必要がある。そうしないと逆転はないと思われるが確証はなく、誰も操作したことない機械ならばやれと言う人間がやっても変わらない。なぜ自分にその役割が振られるのかわからない。

ジャイアンはスネ夫に何を期待しているのか

 ジャイアンとスネ夫は、のび太とジャイアンのように本来義兄弟になる関係ではない。スネ夫はドラえもんのように超常の力を持たない。しずかのように魅力的でも飛び抜けて頭がいいわけでもない。自分に媚びへつらいあるいは親の金を自慢する少年に自分が泣いて諦めた事態を投げていいはずがない。普通にパワハラである。にもかかわらずジャイアンは非常事態はスネ夫に託す。またスネ夫が倒れれは真っ先に心配し駆け寄る。

 つまりジャイアンはスネ夫を相棒と見ている。

 いつも一緒にいるジャイアンは知っている。スネ夫が努力していることを。

 強いものにへつらい、親の金を自慢し、ヘコヘコしている情け無い姿しか見ていない他の人間とは違う。

 趣味にすら家庭教師を雇い深夜まで勉強に励み、思い得ないことでも媚を売り続ける少年が本当に大事にしているものを知っている。

 今しかないのだ。

 刀折れ矢尽き、敵に媚びへつらいを続けることはできる。だがそれは何のために行なっていたことなのだ?

 この場にいない母、海の彼方にいる弟はスネ夫が仮にここで友人達や人類、そして自分たちを裏切ったところでそれを知り得ない。

 ジャイアンはスネ夫が常に努力し、強いものにへつらい、決して褒められることばかりしているわけでもないことは知っているしそもそも当事者として関わっている。故に託す。彼の相棒の真の価値はここにあると。

出木杉くんならどうなるか

 そもそも出木杉くんの出番が多くなってなんでも彼がこなして作戦もそつなく提案し、危機そのものが起きないかもしれない(※初期の『のび太の恐竜』プロットではそうだったらしい)。トラブルが起きても謎のひみつ道具耐性と使いこなし能力で打開するかもしれない。やがて出木杉なら仕方ないとなって提案に附和雷同し、不満があっても唯々諾々と従うかもしれない。

出木杉くん以前に警察に相談しないのか

 まあ実際にタイムパトロールの援軍で解決した話もあるしそれでも良いのだが。実はこのチームの運営方針は『のび太の大魔境』でジャイアンが示している。安易に解決を求める道具は封印する(※作劇上での都合でもあるが)。原則として自分たちで人知れず解決する(多くは大人たちに信じてもらえないので出木杉くんがいれば協力を仰げたかもしれない)。そのせいでジャイアンはこの冒険で一度皆と仲を違えかけるが結果的にゲストと友情を育むとともに最終決戦で活躍する。

 なお、ジャイアンの慧眼と言うべきか、『のび太と雲の王国』にてこのチームは絶滅戦争を回避する過程で『ついうっかり』『知らずに重要なことをやらかしてしまい』国を一つ滅亡に追い込んでいる。過ぎた力は制御できないのだ。

出木杉くんがスネ夫の局面にいたら

 まずそのような事態に彼は追い込まれないだろうがあくまでも彼の身体能力は優秀な小学生でしかない。まず大人の助力を得ようとしただろうし、いつものジャイアンやスネ夫達のように『出木杉なら仕方ない』と優秀すぎる彼の提案が常態化し皆が唯々諾々と従うようになっていた場合は不和が生じていただろう。まあ嫉妬から『出木杉くんだけに任せない』とのび太やジャイアンあたりが言い出しそうだが。実際のび太は出木杉くんの素晴らしい性質を理解しつつも気に入らないと言い切る。しかしこの二人や普段を一人に集中させないようにしずかちゃんが計らわない場合、出木杉の指示を聞いていたメンバーはお前の判断ミスだと言い出すかもしれない(※正直出木杉くんでも打開できないならあまり関係ないのだが、例として過去にジャイアンのコンサートを回避できないのでのび太と共に死地に赴く覚悟を見せている。やっぱりお前ら仲良しだろ)。あくまで皆は小学生なのだから能力には限度があり場合によっては降伏なども視野に入る。敵を女の子だからと撃たないのび太とも違い最悪の事態を避けるために出木杉くんは行動もするだろう。

しかしそれはこのチームの色ではない

 『のび太の小宇宙戦争』ではしずかちゃんは自信を持てないスネ夫にあなたの作ったものだからと命の危険も覚悟の上で信頼してラジコン戦車に乗り込んだ。また自らが女性だからという理由で戦いを辞退しない。彼女は時として敵をも介護し束の間の友情を育むのだ。『小宇宙戦争』のひとつの山場となるこの戦い、敵は無人機で無数。こちらはラジコン戦車を使って対抗する。命の危険を信頼で乗り越えて皆は奮起しラジコン戦車を再改造して戦いに挑む。

長編におけるのび太が行う英雄性とスネ夫の一般性

 のび太は悪運が強すぎるので危機に強いがともすればスネ夫と立場は変わらない。むしろ短編におけるのび太が行う情け無いアクションをスネ夫が普通の少年少女代表として行っている。

 いじめられたくない。
 のけものにされたくない。
 誰かに助けてほしい。

 全て当然で自然なことだ。

しかし忘れてはいけない。長編においてのスネ夫は立派な主人公格である

 一般性ゆえに苦しい悲しい辛い、そういった正直な気持ちを代弁する。誰が好んで危険や辛い目に遭いたいというか。大人でさえ安全なところで殴っている自覚すらない者が多いのに。

 人に媚び自分を裏切り他人の権威の傘に収まる。多くの人は弱い。自分を卑下しなくていい。皆がそうなのだ。誰もがどこかで妥協し媚びそして日々を生きている。そのままでいい。

 危険に飛び込んで受益や破滅を受けるファーストペンギンになれはしない。一般的な人間にはそのためには守るものが多すぎる。ファーストペンギンより流れ。決めるのは二番目に行うフォロワーだという研究結果がある。確かにそうだ。しかしそれでも世を変えるに足りない。

 英雄的で正義を愛する少数派の活躍そのものより、社会の流れが実際に大きく変わるのは一般の声が大きく変わり施政者が嫌々妥協するときに起きる。のび太達は政権交代だけならばできるが治世を行うには至らない。それを成し遂げるならば無知なる弱者たちが学ぶという死の荒野の道かあるいは施政者の限定的な翻心くらいしかない。この数十年先すらわからない時代において言動に一貫性を持つ人間は確かに信頼できるが施政者には向かない。

 時代を変えるスイッチを押す必要は本当はない。それを行わないからと責める者もいない。裏切りに気づく愛する人は目の前にいない。無関係ならば必要以上に責めなくていいし受益の限り祝福する必要も本当はない。

 それでも大事なもののために彼はスイッチを押す。

 彼は泣き苦しみあるいは急かされ、そのスイッチを押す。

 誰にも勝てずとも彼の手足は覚えている。楽しいことやちょっとした見栄のために延々と練習したこと、多くを学び活かしてきたことを覚えている。練習は裏切らないというが才能の差は歴然なのがこの世界である。しかしここにいるものの中で趣味に、道楽に、勉学に、あらゆることに修練を重ねたものはいない。修練は時として才能以上に人に自信を与える。ありもしない事態に応じる力を貸してくれる。そして愛するもののために戦う、愛してもいない他者の幸せを喜ぶ心をくれる。

君はスネ夫くんになればいい

 私は、私たちは名も知らない臆病な君を愛する。がんばれ全国のスネ夫くん。そして愛する者たちのためスネ夫くんになった大人のあなたへ。

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自称元貸自転車屋 武術小説女装と多芸にして無能な放送大学生