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「墓参り」から学ぶ『家族仲の深め方』

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◯◯から学ぶ●●
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『◯◯から学ぶ●●』と題して、毎週水曜日に更新しています。

僕が好きな本やマンガ、映画、音楽などから学んだことを綴っていくような感じです!

さて!今回はお盆の時期ということもあり、日本の風習を題材にしました。

今回のテーマは【墓参り】です!

さっそく深堀りしていきましょー!


■お墓参りにはどんな意義があるの?

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この時期といったら、墓参りが定番ですよね(^^)

実家に家族で集まったり、お墓にお参りだけでも時間を見つけて帰ったりする方も多いかと思います。

僕は今実家住まいで、父方の祖父のお墓が近所にあるので、昨日行ってきました。

・・・ただ、僕がこの『お墓参り』に価値を感じたのはここ数年のことで、それまでは「なんで墓参りしなきゃいけないの?」と思っていたんです。

「自分の親」ならまだしも、会ったこともない祖父(僕が生まれる前に亡くなった)のお墓に、僕が参る意味ってなんだろう??

子どもの頃は、親に連れて行かれるまま、訳もわからずお墓の前で手を合わせていた記憶があります。

そして実家には当然、祖父の仏壇があります。

母は仏壇に毎日お参りしているけれど、(毎日お供え物を代えてくれたりありがたい!!)、孫の僕がお参りするのは盆と正月くらい。

両親や祖母からしたら、「じいちゃんに孫の元気な顔を見せてやってくれ」という気持ちでいるのかもしれません。

ただ僕としては、少し冷たいようですが、「亡くなったじいちゃんが僕の顔を見ることはできないよな」と思っていました。

それどころか、両親が「孫にお参りをさせること」で、「私達は先祖を大切にできる子どもを立派に育てたんだ」という家庭内政治的なアピールを、祖母に対して行っているように感じていたんですね。

・・・すっごい勘ぐる子どもですね(^_^;)汗

ですが最近では、このお墓参りや仏壇に手を合わせることに、自分なりの意義を見いだせるようになってきたのです。


■お墓参りをキッカケに相手が歩み寄ってくれる?

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両親や祖母にとっては、祖父のお墓を参ることには、確実に意義があるんですよね。

「昔からの風習だから」「世間の常識だから」という理由もあると思いますが、もっと大切な意義もあるはずです。

・・・きっと両親や祖母は、「お墓参りに家族で行きさえすれば、家族仲が深まるはずだ」と、期待しているのでは?と思うのです。

祖父のお墓に手を合わせ、各々が自分と向き合うことで、家族の大切さにきづく。

そして、「きっと相手が変わってくれるはずだ」という、淡い期待を抱く。

今までどれだけ喧嘩をしていようとも、いざこざがあろうとも、

「相手が謝ってくれたら、態度を変えてくれさえすれば、”家族だから”許してやろう」

こんな決意を、お墓の前で固める。

お墓参りをキッカケに、自分以外の家族も『家族の大切さ』に気づき、相手がこちら側に歩み寄ってくれるはずだ、と。

僕の家族や親戚同士は、昔から色々とこじらせてそこぶる仲が悪く、4年前に僕も実家へ帰ってきて、ここ数年で関係が少しずつ改善してきたなぁという状態なのです(^_^;)

・・・確かに、お墓参りやお盆は家族が集まりやすい素敵なイベントであり、孫やひ孫など、子どもたちの笑顔もあるおかげで、和やかな雰囲気になりやすいですよね♪

でもね?

「周りが変わってくれる」「周りが何かを変えてくれる」と思っているうちは、家族を大切に想うからこそ、関係をもっとこじらせることになる。

・・・そんな中、僕が『お墓参りに見出す意義』は、お盆に家族で集まることで、自らが行動を起こすキッカケになるということ。

「お墓参りに家族で行きさえすれば、家族仲が深まる」わけではない。

お墓に参るために家族が集まり、そこから改めて中を深めるための行動を「自ら起こす」からこそ、仲が深まる。


■【さいごに】相手の芯を折らないこと

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では、お墓参りをキッカケにした「家族仲を深めるための行動」とは、具体的に何をするのか?

それは、「お互いが大切にしていることを確認し合うこと」だと思います。

(例えば)

●死んだじいちゃんは、妻のばあちゃんにとってどんな大切な存在だったんだろう?

●父にとって、じいちゃんはどんな存在だったんだろう?

●母にとって、じいちゃんはどんな存在で、例えば毎日仏壇にお参りしていることには、どんな意味があるんだろう?

・・・こういったことを、確認し合うことが大切だと思うんですね。

(本人同士だと、かつての憎しみやら嫉妬やらが再熱しやすいので、ウチの場合は孫の僕が間に入ったりしています)

「自分が大切にしていること」を確認するのも大事ですが、

何より大事なことは、

「相手にとって大切なことは一体何なのか?」を知ることだと思います。

・・・その相手に合わせる必要なんて全くないし、合わせない方が良いと思いますが、

「相手が大切にしていることを否定すること」を、自分が無意識にしてしまっていないか?を確認することが大事。

例えば、相手が「世間体としてお墓参りに行くこと」を大切にしているのなら、形だけでも一緒に墓参りに行ってあげることで、相手が大切にしていることを否定せずにいられる。

その後、「実は僕はお墓参りがキッカケで、家族が和やかに一緒にご飯を食べられることが大切なんだ」と、伝えることもできる。

自分が大切にしていることを大事にしながら、相手が大切にしていることを大事にすることだって、できるはず。

・・・時にはそこがぶつかり合うこともあるけれど、そこは、喧嘩してもいいと思うのです。

喧嘩といっても、「俺が正しい!」「お前が間違ってる!」「俺のやり方に合わせろ!」ではなくさ?

あなたがそれを大切に思うのは勝手だけれど、こっちはこっちで大切にすべきものがあるから、それを貫きますよ?

・・・という喧嘩ですね(^^)

「相手の芯を折るための戦い」ではなく、「自分の芯を曲げないための戦い」ね。

・・・さいごに、冒頭で申し上げた通り、僕は昔から父に「じいちゃんに元気な顔を見せてやってくれ」と言われてきました。

それはきっと父が、「俺は立派に子どもを育てた」ということをじいちゃんに示すことで、「自分が死んだじいちゃんに認められること」ができたんだと思います。

生前、父とじいちゃんの間で色々とあっただろうし、父は「祖父や祖母に認めてもらうこと」を大切にしているようでした。

それに対して、高齢の父に「親の評価なんて気にしなくていいよ」なんて野暮なこと、僕には言えません。

父は父なりに、「親の評価を気にした方が生きやすかった時代」を必死に生きてきたのですから、そこは否定しては元も子もないので。

その想いを推し量ることができるようになってからは、僕がお墓に参ったり仏壇に手を合わすことにも、大きな意義があると思えます。

・・・僕自身も、家族それぞれが大切にしたいことを確認するだけではなく、自分が大切にしたいことも伝えています。

僕にとっては、どんなご馳走を食べようが、どんなお酒を飲もうが、食卓の雰囲気に『和やかさ』がないと、家族の時間を楽しめません。

僕はその芯を貫くために、家族が大切にしていることを一緒に大事にするし、やわらかくあり続けようと思います(*^^*)

・・・さあ。長くなりましたが、読んで頂きありがとうございます!

以上ですっ!!




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