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「ワンピース」から学ぶ『自分にできること/できないことを見定める大切さ』

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◯◯から学ぶ●●
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『◯◯から学ぶ●●』と題して、毎週水曜日に更新しています。

僕が好きな本やマンガ、映画、音楽などから学んだことを綴っていくような感じです!

毎週更新と書いていますが、先週はお題が思い浮かばずにサボってしまいました(T_T)

見てくれている方、ごめんなさい(T_T)

さて!今回取り上げるのは、

大人気マンガ【ワンピース】です!

さっそく深堀りしていきましょー!

■自由と責任と頼ること

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ルフィは海賊であり、ヒーローになることを好まない。

自分が好きなことをやった結果、周りからヒーローとして讃えられることはあっても、自らそうなることは望まない。

それはルフィが『自由』を求めているからであり、「自分がやりたいことをやる!」という姿勢を貫いているからだ。

そして、その『自由』を全うするためには、自分で『責任』を負わなければならない。

海賊は自由であるが故に無法者であり、例えば自らの持ち物を盗まれたり、賞金稼ぎから命を狙われたとしても、法で守られることはない。

やりたいことをやって、法外の自由を満喫する反面、自分の身は自分で守るという『自己責任』がついて回る。

・・・一方で法で守られている一般市民は、法の下では自由だが、「定められた法を守る」という『責任』が課せられている。

海賊のように法外で自由を謳歌していようが、堅気の一般市民のように法の下で自由を満喫していようが、『責任』はなくならない。

自分の好きなこと、やりたいことを自由に行う際には、周りからは「お前の自己責任だぞ!」と言われるだろう。

ワンピースの世界に限らず、リアルな僕らの世界であっても、この『自己責任』を背負いきれなくて、好きなこと・やりたいことに踏み出せない人がいるはずだ。

自分で決めたことに自ら応える自信がなかったり、一人で責任を背負いきれず、自由を諦めることもあるだろう。

・・・その一方で、ルフィは自由を謳歌している。

マンガの主人公だから、海賊だから、強いから、血筋が良いから、等々。

色んな理由もあるかと思うが、ルフィが自由であり続けられる1番の理由は、「人に頼っているから」だと、僕は思う。

■周りに頼らない強さは支配を生む

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ルフィには、たくさんの心強い仲間がいる。

自由を求めて冒険を続ける過程で出逢った仲間たちだ。

「ルフィなら心配ない」「あいつならやってくれる」と、仲間たちから信頼されている。

それは、ルフィが「自分にできること」「自分がやるべきこと」を明確に伝えて、『自分にはできないこと』を、周りに頼ってきたからだ。

例えばアーロン編でルフィは、俺は剣も使えないし、航海術もないし、料理もできないし嘘もつけない。だけど「お前(アーロン)に勝てる!」と言い放った。

アラバスタ編では、「クロコダイルをぶっ飛ばしたらいいんだろ?」と、自分がやるべきことを伝え、それ以外のことは仲間に託した。

空島編では、「俺が黄金の鐘を鳴らすから、その場所まで届けてくれ!」と、仲間たちに頼りきった。

エニエス・ロビー編では、CP9で1番の強者であるルッチを倒さなければ仲間が殺されてしまうから、ルフィはルッチから目を離さず、「お前は俺が倒す」と言い切った。

・・・このようにルフィは、『自分にできることとできないこと』がよく分かっていて、自分ができないことに心から感謝して頼っている。

(例えば)

ドレスローザ編でドフラミンゴを倒そうと決めたのは、レベッカが飯をおごってくれたことがキッカケで。

ルフィは飯を買うことができなかったから、自分ができないことをしてくれた相手に対して、自分にできること(ドフラミンゴ討伐)で返そうとしている。(元々はドフラミンゴは生かしてカイドウとぶつける作戦だった)

・・・ここで、「人に頼らずとも、自由を謳歌できるのか」について考えてみたいと思う。

ルフィは、強い。

その強さ故に、自由を得ることができているのかもしれない。

では、ルフィより圧倒的に強い相手が現れて、周りへ頼ることもしなければ、その自由はどうなるだろうか?

かつてルフィは、クロコダイルや青キジ、マゼランやカイドウといった圧倒的な強者に破れている。

破れた先には、牢屋に投獄されるなどの『不自由』が待っていた。

しかしルフィは、「周りへ圧倒的に頼ること」で、その不自由から抜け出してきた。

普段から、仲間や身の回りの人へ頼り続けた結果として、助けてもらうことができた。

・・・一方で、ドフラミンゴやゲッコーモリア、カイドウといった強者たちは、『自分にできないことはない強さ』を目指しているように思う。

今はまだ周りへ頼っているが、もっと強くなれば、周りへ頼らずとも自由を謳歌することができる!と考えているのではないか?

そういった「周りへ頼らないことによる強さ」を極めた結果、本人は自由になるのかもしれない。

だが、その強者の自由を守るために、誰かが支配されるという構図になっていくはず。

彼らの下には、支配された者たちが必ずいる。仲間であってもそうでなくともだ。

その点は、天竜人という圧倒的に強い権力を持った自由な存在が、人々を支配している現状が、答えを示しているように思う。

■【さいごに】自分にできないことを頼る勇気

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自由を謳歌するには、自己責任を全うしなければならない。

これが、世の鉄則。

責任を果たせないのならば、不自由な状態を受け入れなければ、社会が成り立たない。

・・・日本には法律があって、その法の下であれば、自由が認められているよね。

当然、自己責任もついて回る。

周りの人が自分よりちょっと自由なことをしようとすると、「周りへ迷惑だ!自分1人でやれ!」と、自己責任を説いてくる人もいる。

自ら頼りを差し伸べるわけでもなく、自分に悪影響があるわけでもないのに、相手の自己責任をつついてくる。

・・・それはきっとさ。

自己責任=周りへ頼らないこと=自分だけでやるべきこと

と、思っているからだと思うんよね。

でもさ?

自分が自由になるために、自己責任を全うするために、周りへ頼ったっていいんよね。

ルフィみたいにさ。

『自分にできること/できないこと』がハッキリしていればさ。

「俺にはこれができる!でもこれができない!だから力を貸してくれ!」と、自己責任を果たすために頼ればいい。

その結果、今よりも少し自由になれるはずだし、力添えをしてくれたその相手の価値を高めることにも繋がる。

その相手も、少し自由になる。

「自分にできることを誰かのためにやると決めること」こそ、自己の責任を果たすために、必要なことだから。

・・・現代の日本はさ?

常識や倫理観で他人を不自由に閉じ込めて、少しでも自由を謳歌しようもんなら、「自己責任だぞ!周りへ頼るな!」と叫ぶ人が多すぎると思うんよね。

それはきっと、そう叫ぶ人自身が、不自由に苦しんでいるから。

自己責任を全うして、自由を謳歌する自信がないから。

「自分には何ができて、何ができないのか」を知らず、周りへ頼ることもできないから。

自信がないから、他人をも信じることができない。

・・・誰かが自由を目指して、自己責任を果たそうとしているのなら、「自分にできること」をその人のためにやって力を貸したらいい。

「自分にできることが誰かのためになった」と感じた瞬間に、『自信』を得られるから。

そしたら、自分も他人に頼りやすくなって、自己責任を果たせるようになっていくはず。

・・・まずは、『自分にできることを誰かのために』やってみて、『自分にできないことを人に頼ること』を始めたいよね(^^)

自己責任だからって、自分1人で背負う必要なんてないでしょう。

周りへ頼る必要がなくなった末の自由なんて独りぼっちだし、周りへ頼らず不自由を抱えていたら、それも寂しいよね。

・・・ということで、長くなりましたが読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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