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『迷惑をかける』とは「相手を迷い惑わせる」ということで、頼っちゃいけないわけじゃない。

この1週間は、「ここ数ヶ月で子供の自殺が大幅に増加している」というニュースにひたすら心を痛めていた。

※この記事は、2020/11/29に書いたものをリライトしました。

日本の15〜34歳における死因トップは『自殺』という現状がある中で、こうした社会課題を解決するために自分がすべきことは何か?と、色んな悲しみを想像していたのがここ最近の僕だ。

マクロな視点ではなく、目の前の人に対して、ミクロにできることを考えていきたい。

ときに日本人は、「周りに迷惑をかけてしまうこと」に対して過敏に反応してしまう。

もし迷惑をかけないことが誰かのためになるのならば、それは温かな行動だ。

けれど、迷惑をかけないことで互いの心の距離が離れ孤立したり、本当に困っている人が周りに助けを求めにくい空気(同調圧力)を作り出してしまうのならば、それは冷たい行動だと僕は思う。

『迷惑をかけないこと』が、必ずしも温かさを生み出すとは限らない。

むしろ、『気楽に人を頼ったらいい』というマインドを持った方がより多くの温かさを生み出せるはず…と、僕は信じている。

だからこそ、周りに迷惑をかけまいと選択した行動が、「はたして本当に迷惑をかけてしまったのか?」をじっくりと考え、温め直すことが大切だと思う。

『迷惑をかける』とは、相手を迷い惑わせることであって、人を頼っちゃいけないわけでは決してない。

例えば、『相手に何をしてほしいか』をハッキリと伝えずに、「何でもいいから援助して!」という漠然とした頼み方をしたら、相手は何をすればいいのか分からず迷い惑わせてしまう。

それは、頼るというよりも「甘えている」にすぎないのかもしれない。

例えば、本当はお金が必要なのに、そこには一切触れず、相手に察してもらうような煮え切らない頼み方をすれば、迷い惑わせてしまう。

さらには、「もっと頼ってほしい」と想ってくれている人が周りに居てくれるのに、そこに気がつかず、「自分ひとりで抱え込まなきゃいけないんだ」と意固地になっていたら…

迷惑をかけちゃいけないという呪縛に囚われているその精神状態こそが、相手にとって迷惑になってしまうだろう。

『迷惑をかける』とは、「相手を迷い惑わせる」ということで、頼っちゃいけないわけじゃない。

頼り方をやわらかくすれば、むしろ、それは相手の力になるし励みになる。

相手を信じてコチラから頼ることで、「人を幸せにすることができる」という相手の魅力を、引き立てて差し上げることができる。

相手の存在を肯定して差し上げることができる。

自分をさらけ出し頼り頼られることで、温かな気持ちでハッピーな瞬間がやってくる。

自分は相手に何を求めているのか?をハッキリと伝えずに「察してよ」と甘えてしまったり、「あなたを信じています」という気持ちを行動で示さなければ、周りを迷い惑わせてしまう。

「あなたに話を聴いてもらうと心地よいから、相談したい。」という頼り方をすれば、自分が自分であることの価値を、互いに確認し合うことができる。



今の日本に必要なことは、『他者を信じて頼る』ということと、自分はこういう力を貸すことができるよー!と『頼りがいを示すこと』なんだと、僕は思う。

僕らは心の奥底で孤独を抱えていて、孤独があるからこそ、育まれる温かさだってあるはずだ。

孤独はやがて、深淵な愛へと移り変わってゆく。

 ただし、その孤独を自分自身で抱きしめる時間や、他者と共に背負い合った記憶がないと、冷たく埋もれてしまうだろう。

孤独を噛みしめた末に育まれる愛こそが、『社会で孤立する人を減らすこと』に繋がるのだと、僕は信じている。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするエッセイです。
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