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不登校ってやっぱり認められないんだ。学びの多様化ってなんなんだろう?

旦那さんがモヤっていた。
私立の学校で働いている旦那さんは、上司が外回り先で「不登校の数を減らしていこう!」と言ったことに対して疑問を抱いたそう。
上司が言うには、不登校にはもちろんいろいろな原因がある。家庭であったり、発達障がいであったり、学校や先生の対応であったり…それでも、学校側が知識を増やし、対応を変えるなどして環境を整えていけば不登校の数は減らせる、と。


確かにそうかもしれない。数は少しくらいは減るかもしれない。

でも、当事者となった今、そんな簡単なものではないと切に思う。だったらもっと早くそうしてくれていたらよかったじゃないか!って怒りが込み上げてくる。

原因は一つではない、誰が悪いわけでもない、先生だって学校だって一生懸命対応してくれている、子どもの特性を理解しようと親も先生も必死でやっている。…それでもやっぱり学校に行けない、行かない選択をする子だっている。

自殺者はゼロにしなくちゃいけない。絶対。

でも、これだけ学びの多様化が叫ばれる時代、不登校はもはや数の問題ではない。
子どもたちが、自分の住む地域で伸び伸びと楽しく学校生活ができるなら、それに越したことはない。でも、みんながみんなそうはならないのが人間社会。誰一人何も疑問に思わず学校に通っている方がおかしい。

やっぱり、不登校は“減らされるべき”である、という認識はなかなかなくならないのだろう。

私だって、学校で嫌な思いや苦しい思いをする子がいなくなることを願っている。我が子が楽しく学校で過ごしてくれることを毎日祈っている。

「結局、行ける子、行けない子の違いってなんだろう…」
旦那さんがつぶやいた。

私も知りたい。考えても分からない。でもそれを考えるときって、やっぱり大多数の“行ける子”を肯定することになっていないか?

学びの多様化ってなんだろう?
学校という場所が、子どもが成長する場所であることは否定できない。でもそこでは苦しい子だってたくさんいる。学校に行く行かないじゃなくて、子どもがいかに成長する機会と出会えるか、大人がそういう機会や場所をどうやって与えていけるか、そんな視点から考えられたのが“学びの多様化”という言葉なはずなのに。


当事者になったことで見えるようになった世界。当事者にならなくったって、見ようとする気持ちを持ってくれたら、それだけで救われるのに。


そんなモヤモヤを吹き飛ばすべく、今日はカーテンを洗おう。
『旬のカレンダー』という本から知ったスプリングクリーニング。久しぶりの晴れが嬉しい。


子どもたちがみんな、新学期を明るい気持ちで迎えられる世の中になりますように。



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