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新一年生を見て、息子の苦しみが分かった気がした。


息子と一緒に分団登校をすると、下駄箱にたくさんの一年生がいる。

月曜日は大混雑。ランドセルや手提げ鞄から上靴を出さなくてはならないため、そのまま座り込んでしまっている一年生。カオス。

昨日は息子の友達の弟くんが、上靴を履き終わっても座りこんで動く気配がなかった。片道30分ほどかけて歩いてくるので、疲れてしまったよう。息子と私を見て少し笑顔を見せてくれるも、いつものように息子の名前を呼んだり、手を振ることはなかった。


息子と教室の前で別れ下駄箱に戻ると、まだ一年生の子が数人いる。さすがに息子の学年の子は一人もいない(去年は同じ時間に男の子が何人かいるのが当たり前だった。成長してる!)。
下駄箱で上靴をゆっくり履いている子、傘立ての前でウロウロして下駄箱に入るのが嫌そうな子、お父さんが車で送ってきてもなかなか車から降りられない子、その子を待っている子…

息子たちも3年前はこんなふうだったんだろうな…
険しい顔をして下駄箱を必死で通過する一年生の息子を想像すると、胸が苦しくなった。

その頃の姿を私は知らない。もはや知る術もない。その姿を見ていたら、もっと早く息子の学校での辛さを知ることができただろう。そうしていたら、あんなふうに毎朝泣いて大暴れさせることもなかったかもしれない。


みんなそうやって大きくなっていく。
でも、やっぱり中にはその流れに乗れず、不登校につながっていく子もいる。
息子はきっと我慢して我慢して、頑張っていたのだろう。それが一年生の最後の1ヶ月、プツンと糸が切れたように、激しく朝の登校を嫌がるようになった。

朝の様子を見ていると、子どもたちの大変さが身に沁みる。もちろん、そつなくこなしている子の方が多い。でも、そうではない子もいる。この朝の短時間が苦しい子は意外と多いのではないか。不登校の低年齢化の原因にもなっているかもしれないと思った。

今年度も朝付き添わなくてはならないことにもどかしさを感じていたけれど、このような現状を見ることができ、息子の苦しみにあらためて気がつくことができた。

毎朝学校を出るときに祈る。息子が今日も無事に帰ってこられますように。
そして、新一年生の子にエールを送る。先生たちにも、感謝の気持ちを込めて。

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