めっちゃ不利な恋をどうにかしたい。
夏に河出書房さんから出版していただいたエッセイ「歌って、恋して、生きてやる」、お読みくださった皆さま、ありがとうございます。今年は「本」という、初めての制作をしたから、なんだか1年がぶっ飛びました。気づいたら年末のKarenです。ボサノヴァ歌ってます。
エッセイには、わたしがもがいてきたセンシティブなお話から、出会った人のエピソード、趣味の話、色々書いています。1話も長くならなようにしたから、抵抗なく読めるみたい。勇気をもらった、前向きな気持ちになれた、時々読み返してるというお声も多いです。ありがとう。とっても嬉しくて、励みになっています。
でね、恋愛の話もちょこちょこと出てくるんです。ミュージシャンて減点される一方だよねっていう話とか。そちらはぜひぜひ書籍の方で。
いやだけどね、ほんと不利だと思うんですのよ。マジで!!!
恋愛の初期って「相手を知りたい」「今なにしてるのかな」なんて考えて、ときめいて悶絶するじゃないですか。興味津々だもん。SNSとかついつい見ちゃったりメールしたり。
ところがわたしときたら、
フェイスブック、インスタ、note、やめたけれどこの前までツイッターとラジオもあった、そしてライブ。Youtubeの配信、ファンクラブ、なんならカレンダーもあって年中アナタを部屋の隅から見てるわよ…!という感じです。
もちろん、発信はライブのお知らせのため、覚えてもらうためのもの。忘れないでいてもらって、親しんでもらうためのもの。だからSNSで全てわかるわけじゃない。だけど、誰と会ったとか、こう考えてるとか、いつライブがあるとか、かなり見えるわけです。まんべんなくフォローしてたら、顔なんてブサイクなのから盛ったのまで日々なんかしら出てる。
翻って、わたしからは、相手がSNSにあれこれ投稿するタイプでない限り、「なにしてるのかな〜」な普通の状態。だから時々メールしたりしちゃう。だって話したい。思い浮かべて会いたいな、とか思う。そうすると相手は上記のもろもろにプラス、プライベートなメールや電話が加わるわけですね。
情報過多!
そりゃ「どうしてるかな〜」とか顔を思い浮かべて切なく思う時期、高速で過ぎる。見えるが故の嫉妬心もあっという間に慣れる(まぁでもこれはちょっと慣れて欲しい)。そりゃそうですよ。だからほんとマメにSNS見ないで欲しいし、ライブもそんなに来てくれなくてもいいし、カレンダーも飾らなくてもいい。いや飾って「おはよう」とか話しかけてくれたら嬉しいけども。スキしてくれたら、心の中で小躍りするけれども。
あれ?なんか向こうはもう、頑張って知ろう、知りたい!という時期過ぎてるな? わたし、まだ全然知らない気がするけど。なんなら、まだ心も開ききってないくらいなんだけど……?
この時代に男女で分けるのもナンセンスかもしれない。性はグラデーションだけど、だいたいにおいて男性は女性に対して「知りたい」という興味がある頃が一番エンジンかかってるじゃないですか。それが速攻過ぎるって、めちゃくちゃ悲しい。わたし、まだもうちょっとその時期、味わいたいよ〜〜!
そういうわけで、情報過多な方は「お腹いっぱい」、こちらは「え?もう飽きたの?」と、ガッツリ差ができるのがまあ早い。警戒心強め、緊張しい、というのもあって、「慣れる」まで行ったためしが殆どない。こちらは情報ほぼゼロで、向こうはすでに情報たっぷり仕入れていて、スタート地点が違いすぎて足並み揃わずコケる、ということもある。言うなれば、向こうはすでに3塁くらいにいて、いつでもホームベースへ走り込んで押し倒す最終地点なのである。
気持ちは嬉しいけれど、ゆっくり知りたいわたしには難しい(というか怖い)。
見てくれているそれは素なのかというと、微妙なところ。作っているとかそいういうことではなくて、それが全部ではないから。
色々オープンな状態が普通になって、ただ「興味」の恋じゃなくって、時間が経っても「こういうところがあるんだな」とか「そばに居て心地いいな」とか、愛になってくれるところまで、続くものを二人で育てていけるといいな。
いつか穏やかな愛に辿り着けるのかしら。
そろそろ育て始めないと、おばあちゃんになっちゃうねえ。
まあそれもいいか……。
そんな話も合わせて読んでくれたら、わたしのこれまでの無念も成仏すると思うので、みんなの力をAmazonポチ☆で分けてくれよな‥‥。
かあちゃん、オレ、強く生きるよ。
ボサノヴァは1950年代にブラジルのリオデジャネイロで生まれた音楽。日本ではカフェをはじめ、あちこちで流れています。曲目は知らなくても、皆さん一度はきっと耳にしていると思います。
((っ´ω`)つ ライブの情報そっと置いておきます。
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