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窓越しの隣人

前回のnoteで、ようやくイギリス人の友人ができたと書いた。そのうちの一人、メアリーについて書こうと思う。
メアリーは、うちの隣のアパートに住んでいる。息子のマークと二人暮らしで、今年80歳になる優しくてチャーミングなおばあちゃん。彼女との交流が始まったきっかけは、昨年末に遡る。

昨年末、わが家は一時帰国で日本へ帰っていた。久しぶりの日本の空気、家族、友人との再会を満喫していたとき、ロンドンのお隣さん(メアリーとは反対側に住む日本人家族)からLINEメッセージが届いた。「さっき、隣のアパートに住んでるっていうイギリス人ぽいおばあちゃんと息子さんがうちを訪ねてきて、しょうこさんちの庭で水漏れしてるみたい、と教えてくれたの。夫が一緒にアパートまで行って、塀越しにしょうこさんちの庭を覗いたら、水が噴水みたいに出ていたって。だから不動産会社に連絡しておくね」とのことだった。私が住んでいる家は、というかロンドンは古い家が多く、しょっちゅういろんな不具合が起きる。だから、水漏れしてもさほど驚きはしないのだけれど、自分たちの不在中に起きてしまうとは…。日本人のお隣さんが不動産会社に連絡をしてくれて、不在中でも修理対応をしてくれたので、事なきを得た。両隣の親切な方々がいなければ、私たちの不在中2週間ずっと水が漏れっ放しだったと思うと恐ろしい…。
そうして、日本からロンドンへ戻ってすぐに、まずは日本人のお隣さんのところへ、新年の挨拶も兼ねて、お土産の塩昆布を携えてお礼を伝えに伺った。その際に、最初に水漏れについて教えてくれた御婦人と息子さんの名前や部屋番号を聞いているかと尋ねたけれど、特にご存知ないようだった。でも、やはり最初に教えてくれた人にちゃんとお礼を伝えたいと思い、不動産会社に問い合わせてみると、「名前はお伺いしていないけれど、隣のアパートの○○番にお住いの方でした」と教えてくれた。部屋さえわかれば、名前がわからなくても訪ねることはできるので、とりあえず翌日に訪ねてみることにした。

御婦人を訪ねるにあたり、手ぶらで行くのもあれだけど、イギリスの方に何を渡せばよいのかと悩んだ末に、和紅茶(パッケージにJapanese Black Teaと書いてあるもの)、JALの機内でもらったおかき(Japanese Rice Crackers、原材料も英語での記載あり)、折り紙で折った鶴と鹿、それに“Thank you, ありがとうございました"と書いた手紙を添えて持って行くことにした。娘と息子と一緒に、アパートのインターホンを恐る恐る鳴らしてみると、男性が出てきた。少し怯えたような不審そうな表情を浮かべていた。「私たちは隣の家に住んでいる者です。あなたが年末の水漏れ事件を知らせてくださったと伺ったので、お礼に参りました」と伝えると、あぁ、と納得した顔に変わり、「ちょっと待っててください」と奥に戻った。再びアパートのエントランスに戻ってきた彼は老婦人を伴っていた。彼の母親だった。改めて御婦人と男性に挨拶とお礼を伝えると、私の手を取り、「わざわざ来てくれてありがとう。私はメアリー。こちらは息子のマーク。初めに息子が水漏れの音がすると気がついたの。その翌日になっても音は続いているから、あなたの家を訪ねたけどいなかったでしょ。その次の日にまた行ってもいなかったから、あなたの隣人を訪ねたの。そうしたら、すごく親切丁寧に対応してくれてね。その後に来た不動産会社の人もまた親切丁寧だったわ。すぐに修理してくれたみたいで良かったわね。あのままだったら、あなたたちが日本から戻って来たときには、庭は池になってしまっていたでしょうからね」とニコニコしながらいかにもブリティッシュな英語で話してくれた。マークはその横で黙って立っていた。おしゃべりな母と物静かな息子、という対象的な親子の姿が、なんだかとても微笑ましく感じられた。私がお礼の品を手渡すと、メアリーは「まぁ、親切にどうもありがとう」と受け取り、そのままハグをしてくれた。ふっくらと柔らかく温かかった。

その翌日、朝から出かけていた私が昼過ぎに帰宅すると、一通の封筒が届いていた。“To Shoko ○○”と私の名前があるが、住所は書かれていない。誰からだろう、と思って封を開けてみると、昨日のメアリーからだった。「昨日は来てくれてありがとう。いただいたものはどれも素敵で気に入りました。今日も良い一日を」と、とても整った文字で書かれていた。----今まで見たことのある外国人(イギリスにいれば私が外国人なのだけれど)の中で、一番丁寧な英語だった。偏見かもしれないが、多くの場合、なんと書いてあるか読めないほど字が汚い人が多い。
わざわざこうしてお礼状を書いて届けてくれるところに、メアリーの温かい人柄を感じ、そんなメアリーと出会えたことが嬉しかった。

こうして、水漏れ事件をきっかけに、隣のアパートに住んでいても、今までは顔を合わせたことのなかったメアリーと顔見知りになったのだ。何をきっかけに出会いが生まれるかわからないものである。そして、今までは外で全く出会ったことがなかったのに、メアリーが手紙をくれた翌日に、偶然に家の前の道でメアリーとマークに出会った。「昨日は手紙をありがとう。とても嬉しかった」と伝えると「こちらこそ、素敵な贈り物をありがとう。折り紙の鶴と鹿がとても可愛くて、飾り棚に飾ってるのよ」と教えてくれた。「気に入ってもらえて嬉しいです。よかったら今度、うちで一緒にお茶でもしませんか」と言うと「もちろん、喜んで。あなたの家の窓から私のキッチンの窓が見えるでしょう?そこからいつでも呼んでちょうだい」といたずらっぽい笑顔で応えてくれた。マークは相変わらずメアリーの横で黙っているが、昨日の初対面時の不審そうな顔ではなく、はにかんだような笑顔だった。

メアリーが言っていたように、わが家の台所の窓からは隣のアパートが見える。しかし、それまで、あえて隣のアパートの窓の中の様子を見るようなことはしていなかったので、窓からメアリーやマークの存在を認識したこともなかった。しかし、そう言われた翌日、窓から外を見ると、確かに窓越しにメアリーの家の窓がよく見えた。台所のガラス戸を開け、庭に出るとさらによく見えた。そう思って眺めていたら、メアリーの姿が見えた。そして、彼女が私の方へと顔を向け、目が合った。すると、満面の笑みで手を振ってくれて、投げキッスをしてくれた。その姿は無垢な少女のようで、ほんとうに愛らしかった。彼女の投げキッスを受け取り、私もぶんぶんと両手を振り、そして投げキッスを返した。なんて幸せな応酬だろうか。その日、一日中機嫌よく過ごせたのは、メアリーとのこのやりとりがあったからに違いなかった。

それからと言うもの、窓越しにメアリーの姿を確認するのが私の日課になった。ほとんど毎日のように私とメアリーは窓越しに顔を合わせ、投げキッスを交わし合った。ときにはマークが顔を出すこともあるが、マークは笑顔で手を振るだけで投げキッスはなし。もちろん、それだけでも十分に嬉しい。大きな声を張り上げれば会話もできなくはないし、私は大阪のおばちゃんなので、大声で話すことにもさほとためらいはないけれど(ためらうべきなのだろうけれど)、相手はご高齢の淑女なので、そんな野暮なことはしない。こうして私たちは、声なき挨拶で交流するようになった。夫を紹介したのも、窓越しだ。

そうして20日ほどが経ったある日、私は意を決して(というほど大げさなことでもないが)、メアリーのアパートのインターホンを押しに行った。毎日の声なき挨拶だけでは物足りなくなり、メアリーのことをもっと知りたいという思いから、うちにお茶しに来ませんか、と誘いに行ったのだ。偶然の出会いから、挨拶を交わし合う仲となり、そこから更に親交を深めるべく、ドキドキしながらお茶に誘うなんて、まるで青春物語のはじまりじゃないか、と我ながら思う。

80歳前のおばあちゃんと、40歳前のおばちゃんとの青春物語ならぬ、朱夏あるいは白秋物語は、次回へと続く。