見出し画像

レッチワースと千里山

イギリスに住むならば、必ず訪れてみたいと思っていた場所があった。"レッチワース"という、ロンドン郊外にある町だ。観光地でもなければ、プレミアリーグ強豪チームの本拠地でもないこの町の名前を聞いたことがある人は、そう多くはないだろう。知っているという人は恐らく、都市マニアか道路マニアの人ではなかろうか。

というのも、この町は、"近代都市計画の祖"と呼ばれるエベネーザー・ハワードという社会改良家が提唱した"田園都市"の理念に基づいて建設された世界で最初の町なのだ。
そしてまた、イギリスをはじめ、ヨーロッパではよくあるラウンドアバウト(環状交差点、日本で言うところのロータリー)が、英国内で初めて作られたとされている町なのだ。
しかし、そんなレッチワースを訪れたいと思っていた私は、都市マニアでも道路マニアでもない。ではなぜ、レッチワースという町を知っていて、訪れたいと思っていたのか。

そのわけは、私のホームタウンである吹田市千里山にある。"千里山"という町もまた、レッチワース同様、特に有名な町ではない。ただし、昨年起きた交番襲撃事件によって、千里山という地名が何度も全国放送で連呼されたようだけれど、そんなことで有名になっても嬉しくなかった…
話を本題に戻そう。そんな千里山、あまり知られていないけれど、実は由緒ある町なのだ。大正時代に郊外型田園都市として宅地開発された、日本で初めての町なのである。"田園都市"と聞くと東京の田園調布や、多摩田園都市を思い浮かべる方が多いだろうけれど、それらの町に先んじて、我らが千里山は開発されていたのであります!!!千里山駅から西側に伸びる坂道は、その名も"レッチワースロード"。レッチワースロードと名がついたのは開発当初ではなく、割と最近の話だけれど。

そんなわが町千里山のモデルとなったレッチワースは、ロンドンからは車で1時間ほどの距離にある。もし、観光旅行で日本からイギリスに来たのならば、レッチワースには立ち寄らないだろう。なんせ、イギリス(ロンドン)には、大英博物館、自然史博物館、ビッグ・ベン、ハロッズ、世界的に有名なみどころが山ほどあるのだ。また、少し時間に余裕のある旅だったとしても、それならば超有名どころのストーンヘンジに足を運ぶだろう。自分のホームタウンに縁があるからと言って、都市マニア道路マニア以外の人にとってはこれといった見どころのないレッチワースを訪れるための時間は作らないだろう。
しかし、幸いなことに、私は今、旅行者ではなくロンドン市民として暮らしている。いつまでいられるかはわからないが、とりあえずしばらくは住む予定だ。時間に余裕はある。だったら、訪れるしかないではないか。そうだろう?

前置きが長くなり過ぎたけれど、そんなこんなで、わが家から車で1時間ほど走ったロンドン郊外のレッチワースを訪れたのである。
まず初めに、英国で最初に作られたというラウンドアバウト(環状交差点)へ。英国の道路によく見られるラウンドアバウト。しかし、わが町千里山にも同じものがあったのだ。そう、千里山駅西側にある噴水のロータリーは、このラウンドアバウトを模して作られたものなのだろう。イギリスも"ラウンドアバウト"なんて長い名前じゃなくて、"ロータリー"でええやん。いやいや、本家がラウンドアバウトなんだってば。はい、すみません。

千里山のロータリーよりもずっと整然としていて、道幅も広く見通しが良い。さすが本家は違うな、と羨望の眼差しで拝んでしまう悲しき分家のサガ。ラウンドアバウトの真ん中には「UK's First Roundabout」の看板。もちろん、忘れずに記念写真を。
千里山のロータリーは噴水と一体化しているけれど、本家のラウンドアバウトには噴水はなかった。しかし、ラウンドアバウトから駅に向かって続く美しい並木道を通り抜けると、そこには大きな噴水のある広場があった。きっとこの噴水とラウンドアバウトを両方別々に作るのは予算やら土地やら、いろんな大人の事情で難しく「じゃあまとめてひとつにしてまえ!」という発想に至ったのだろうと、ひとりで勝手に納得。千里山の噴水には、てっぺんに小便小僧がいた記憶だけれど、こちらにはいなかった。噴水の設計者が「イギリスの要素だけじゃなくて、ベルギーの要素も入れちゃおうぜ!」と折衷したかったのかもしれない。またまたひとりで妄想。
広い噴水の周りには、ベンチでくつろぐ老夫婦や、芝生でフットボールに興じるこどもたち、よちよち歩く赤ちゃん、いろんな人が、各々の時間を楽しんでいた。この日はあまり良い天気ではなかったけれど、天気の良い日には、きもっとたくさんの市民で賑わっているのではないかと思う。千里山の噴水の周りにもベンチがあり、仕事の合間に休憩しているスーツ姿の男性、世間話をしている近所のおばちゃんたち、ハトを追いかけるこどもとその様子を見守るお母さん、いろんな人の姿があった。規模感や佇まいは全く異なるけれど、"市民の憩いの場"であるという点では、どちらも同じだった。

広場を抜けて、そのままレッチワースガーデンシティ駅まで歩いた。駅舎は、三角屋根のこじんまりとした、レンガ造りの可愛らしい建物。そういえば、千里山駅も三角屋根だったような?それもレッチワース風?何でもかんでも千里山と重ねて見てしまう。
駅の周りは、レストランや商店が並んでいるけれど、ごちゃごちゃしている感じはなく、品はありながらも気取ったところのない郊外のマダムのような雰囲気だった。そう感じるのは、恐らく道幅が広いこと、チェーン店が少ないこと、道にゴミが落ちていないこと、などがその理由ではないかと思う。
私の住んでいる地域には、日本人が多く、また中東系の人もたくさん見かけるのだけれど、レッチワースでは、日本人はおろか、アジア人をほぼ見かけなかった。中東系の人はいないではないけれど、とても少なく、圧倒的に白人が多数を占めていた。きっと、こういう町に住むと(たぶん高過ぎて住めないけど)、今、住んでいる町とは全く違う印象を、イギリスに対して抱くようになるのだろう。

そんなレッチワースは、わざわざ観光で訪れて何があると問われれば、これといったものはないかもしれないけれど、日常をゆっくり過ごすのには、とてもよい町なのではないかと思う。ラウンドアバウトから噴水広場へと続く美しい並木道、この並木道の移ろいを眺めて季節を感じながら、この町の人は日々を過ごすのだろう。私たちが訪れた時には、落ち葉が歩道を覆っていて、しっとりと湿った枯葉色が、この町の秋の色を教えてくれた。

レッチワースと千里山。モデルとなった町と模した町。私にとっては、新しい町とふるさとの町。実際に町の様子や建物が似ているかどうかということは、正直なところどうでもよかった。それよりも、初めて訪れた異国の町を歩きながら、ふるさとの町の様子を思い出すということが、なによりも不思議で楽しい体験だった。
レッチワースの噴水を見上げながら、中学生の頃、千里山の噴水にあった公衆電話から、友達と一緒に好きな男の子の家に電話かけたりしていたなぁと思い返していた。今のこどもたちはもう、好きな子の親が電話口に出たらどうしよう、というドキドキ感を感じることなんてないのだろう。
また、噴水近くの美容院にずっと通っていたので、オーナーさんは今もお元気なのかな?と懐かしい顔を思い出したりもした。

イギリスでの生活は、私にとって、新しい景色や経験との出会いの日々で、有名な観光地、流行りのカフェなど行ってみたい場所がたくさんある。ありすぎて訪れる場所を選べないほどたくさんある。けれども、今回のレッチワースのような、"異国なのに訪れる前から自分に縁のある場所"(たとえそれが思い込みであったとしても)を、あえて訪問先の選択肢に入れてみることで、有名な観光地とは違った経験を得られるかもしれない。
次はどこへ行こうかな。