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buzzというメッセージ

今、部屋の中をハエが飛んでいる。イギリスの家の窓には大抵の場合、網戸がついていないので、窓を開けているとすぐにハエやらハチやらが入ってくる。

ハチはともかく、ハエについては、刺すわけでもないし、家の中にいても大きな害がある訳では無いのだけれど、何よりもあの羽音が気になって気になって仕方がないのである。ハエの羽音、日本語だと「ブーン」という擬音語で表されることが多いけれど、英語だと「buzz」である。「zz」という音が、まさにあの耳障りな感じを明確に表現していて、日本語の「ブーン」より英語の「buzz」の方が、あの音のいまいましさを感じられる。
こどもが部屋にいて話をしていたり、ガチャガチャ遊んでいるときには気にならない音も、一人で静かに本を読んだり、noteを書いたりしているときに「buzzzzzz」と聞こえると、一気に集中できなくなってしまう。たかがハエごときに心が乱されるなんて、自分の器が小さいだけなのだけれども、本当に何も手につかなくなってしまう。その時に感じるどうしようもなくうるせえなという感覚は、「うるさい」を「五月蝿い」と表現した最初の人と、同じ感覚に違いない。そうか、「buzz」の的確な日本語訳は「ブーン」ではなく「五月蝿い」なんだ。ちきしょう、ハエめ。私の静かな時間を邪魔しやがって。殺してやる。

と、少し前までは思っていた。あの羽音を聞いた瞬間に、殺意が沸き起こっていた。叩き潰してやらねば気が済まなかった。しかし最近、その羽音に、ハエの存在に、異なる感覚を抱くようになった。

ある夜、私はリビングのソファに寝転がって本を読んでいた。そして読みながらうとうとと寝てしまったらしい。恐らく、私がソファで寝てしまってから1時間も経たないくらいの時間に、昼間にリビングに忍び込んで潜んでいたハエが動き始めたのだ。「buzzz」という音で目が覚めた。そのときの私の眠りが、"寝よう"という意思でベッドで寝ていた眠りならば、目が覚めなかったかもしれないけれど、ソファでの浅い眠りだったために、目が覚めたのだろう。ともかく、羽音がうるさくて目が覚めた。初めはもちろん、不快な気持ちである。せっかく寝てたのに、ハエごときが私の睡眠を邪魔するんじゃねぇよ、とまたも殺意が沸いた。しかしそのとき、いや待てよ、と誰かが囁いた。このハエは、リビングで寝ていた私を起こしに来てくれたのではあるまいか。「こんなとこで寝てちゃだめでしょ。起きてベッドで寝なさい」と伝えてくれているのではあるまいか。ふと、そう感じたのだ。そして私は、のそのそとソファから起き上がり、トイレへ行き、またリビングへと戻った。そのとき、ハエはまだリビングにいるはずなのに、羽音はしなくなっていた。しばらく耳をすませたが、結局聞こえなかった。そして私は"寝よう"という意思を持ち、ベッドで再び眠りについたのであった。もちろん、朝までぐっすりと。

また別のある日、私はベッドで昼寝(夕寝?)をしていた。どうしようもなく眠い日曜日の16時頃、夫に「17時まで寝て、起きたら夕飯の準備するわ」と宣言して、17時にアラームをセットして寝た。しかし、17時のアラームで私は起きることができなかった(無意識に止めていた。止めた記憶なし)。そんな私を、またもハエが起こしにやってきた。「おい、もう17時半過ぎたぞ。起きて夕飯作るんじゃなかったのか」と伝えに来た。そうだった、起きなくては。と、のそのそとベッドから這い出た。そのときにはやはり、もう羽音は聞こえなくなっていた。そして、台所へ行くと、夫が夕飯の支度を始めてくれていた。あらまぁ。ありがとうございます。

そして今日、noteに何か書こうかな、と考え始めたのと同じタイミングで、また羽音が聞こえたのである。今回は「起きろ」というメッセージではなく、「私の羽音について書いてみたら」というメッセージだと受け取ったので、今、こうしてnoteを書いている。

ハエの羽音が、ただのうるさいいまわしい音ではなく、何かのメッセージと受け取るようになったことは、何を意味しているのだろうか。別になんの意味もないだろうけれど、とにかく私は、何でもかんでも意味を持たせたがるタチだ。もちろん、今でも「うるさい」と感じるし、全くいまいましさを感じない訳ではない。けれど、今までとは違う感覚を抱くようになったことで、殺意が沸くことが少なくなった。できることなら、生きたまま捕まえて外に逃がしてやろうと思うようになった。何でもかんでも何か意味を持たせたり、関係性を持たせたりしようとする私の妄想癖が、1匹の小さなハエにも存在価値を見出すことに繋がったのなら、私の妄想癖も悪くはないと思う。つまり、今日のハエからの本当のメッセージは「あんたの妄想癖、悪くないよ」ってことなのだろう。ありがとうございます。