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「つまらない」美術展に出くわしたら - 自分の中の「つまらない」を克服する方法

 時々つまらない展覧会に出くわすということがある。

 つまらない原因というものは様々で、たとえば私側の知識・経験不足というのもあるし、借りてきた絵をただ並べているだけとか看視員が全く機能していないとか、展覧会側に原因があるようなケースもある。美術鑑賞というのは自分と作品との「会話」と言える部分があって、それが不特定多数との「会話」である以上、噛み合わないということは決して珍しいことではない。

 以前はそういう感想も隠さず書いていたが、一度そういう話を書いた際、タイムラインが愚痴だらけになってしまったことがあり、当時フォロワー数で言うと500前後ぐらいだったが「影響力」というものを考えて、だんだんと書かないようなった。私の書き方の問題、またキャラクターの問題もあるのだと思う。長文で分析的な感想を書きたがる反面、批判的な感想の場合はそれが辛辣に映るんじゃないかという気がしている。今はそういう展覧会に出会ったときは、感想文自体を書いていない。

 文章発表はしないが、「なぜ自分がつまらないと感じたか?」、その原因は考えるようにしている。通信部だがいちおう芸大出身とは言えると思うので、一種のノブレス・オブリージュ(笑)のようなものである。
 上述のように知識・経験の不足、また展覧会の運営が原因であることもあるし、そもそもこういうジャンルの芸術が得意ではない、メッセージ・テーマ性に乏しい(もしくはわかりにくい、共感できない等)、技術的に拙く感じる等々、作品を眺めながらそういう分析をすることが多い。

 たとえば知識不足なら関連する本を読む、美術展に行く前に下調べをしておく、不得意ジャンルがあるのならそちら方面の作品に多く触れることで克服できる可能性がある。実際に克服するしないは本人の意思だが、こういった情報が言語化できていることで、展覧会情報を目にする態度も変わってくる。シンプルに楽しみたいのならそういう「克服」が不要な展覧会に行く、またそもそも美術鑑賞では無く動物園等に行くというのもあるし、不得意なジャンルにあえて挑みたいのならしっかり準備をしてその展覧会に臨む… というように、より良い選択ができるようになっていく。

 私自身は批判というものを一律に悪いものとは考えない。良いと思えるものについても批判的な視点から検討することは(学問の立場としては)大事なことだし、特定の条件下、また信頼関係を背景にして、相手に伝えることが必要な場面もあると思っている(逆を返せば、信頼関係の無い、無責任な批判を浴びせることが「誹謗中傷」と呼ばれているように感じる)。
 ただ、「つまらない」「ひどい」と言うために美術展に訪れているような状態が続いているとしたら、それは不幸なことだと思う。美術鑑賞がビジネスマンの教養として囃し立てられた時代もあったが、そういう半ば強要されたうえで「つまらない」のであればむしろ止めたほうが良いし、一方でその「つまらない」は努力次第である程度克服することもできる(作品自体がつまらない場合もあるので、100%と言えないのが心苦しいが)。

(※)ノブレス・オブリージュ … 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意。(デジタル大辞泉より引用)

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