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3年前のわたしは

適応障害 と診断された2021年の春。

コロナの真っただ中で将来が見えなく苦しい時期に精神科の先生にそう告げられた。

どこかでおかしいとは思ってた。

でも自分は言語化できるまでにすごく時間を要する人だから、違和感はあったけどその根っこの部分の問題を長らく見つけることができなかった。

楽しいことが大好きな私。それは今でも変わらないけど。

わくわくするけど、わくわくしきれない自分。

それは大人になってしまったからだと当時の私は勝手に自己完結してた。

社会人ってこんなもんよね。てことの積み重ねがいつの間にか自分のキャパシティを超えてしまっていた。

繊細でロマンチストで、理想と現実がぐちゃぐちゃのまま社会に出て、人間ってこんなにいろんな人(もちろん悪い意味で)がいるのか。と絶望もしたり。

コロナで加速したのは言うまでもない。

みんなも余裕がなくて、未来が不透明だからこそ世界全体が困惑してたし、人の黒い部分がすごく剥がれ見えた時期でもあったと思う。

それがSNSが発達してしまった現代では人々が露骨に感じることができる状況下にあった。

嘘と本当が濃く混ざった、本当に混沌とした世界になってしまったな。令和。と思った。

そういう状況だったのもあって人と必要以上に絡むのをやめていた。

だから2か月ほどSNSは開かなかった。

実際SNSを断つのは環境的にもかなり難しくて、仕事でパソコンに触らないといけないからギリ見てないとかそんなレベルだけど。

その間は自分が「今」見えているものと触れているものに集中できた、と思う。

不必要な情報が入ってこなくなったら頭が幾分かすっきりしたし
今までSNSに使っていた時間を野菜を育てたり、山に登ったりする時間にあてたことで自分は自然が大好きなんだと気づけた。

すっごいスッキリした!とかではないけど、どのくらいの距離でSNSと接すればいいのかとかの判断ができたいい機会だった。

3年後の今、2024年春はだんだん世界が落ち着いてきて、なかったことにはできないけどみんな今までの生活に戻ろうという雰囲気がメディアでも私の周りでも感じる。

私の今の心はアップダウンが正直激しい。

本当は好きなはずなのにどうしても心がわくわくしないとか、頭と心が一致しないときも多い。けど。

今の自分がときめくときの感覚もわかってきた。
自分を扱う方法というのがやっとわかってきたような気がする。

でもこれは3年前苦しんだ自分がいたから。
点と点はつながる。いや私主体の出来事なんだからつなげる。

そうか。やっと言葉にできた。
長い月日はかかってしまったけど、良かった。

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