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『わたしを離さないで』発掘記事+α

◆はじめに
『わたしを離さないで』はカズオ・イシグロの代表作のひとつであり、2005年に刊行された小説です。
作者のカズオ・イシグロは1954年に長崎県で生まれ、その後イギリスに移住した日系イギリス人小説家。1982年に出版した長編小説『遠い山なみの光』で脚光を浴び、第三作『日の名残り』で英国最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞し、2017年にはノーベル賞を受賞しました。
「記憶は捏造する」「運命は不可避である」といった中心的テーマがありながら、書き方を一作ごとに変えることで様々な手触りを持つ作品を発表し続けています。

◆あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間であるトミーやルースも提供者だ。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく――2005年に発表され、国内外問わず話題になった作者の代表作。

◆読んでみて
物語は主人公キャシーの回想によって、かつての日常が淡々と語られていく。しかし突然出てくる「提供者」や「ポシブル」という耳慣れない言葉から、ここで語られていることが我々のよく知る「安心した日常」とは決定的に異なっていることが明らかになってくる。
一応ネタバレになるので彼女たちの出生の詳細は避けるが、その真実が明かされたからと言って物語的な強度が落ちることは無いだろう。なぜならこの小説は現代では未実装のシステムを社会が実装したら、世界は、私たちはどうなるのか、という思考実験を書いたものだからだ。
カタルシスのある小説では無いし、その真実も物語の途中で何でもないことのように明かされる。しかし、だからこそ事実を受け入れ、その上で作中の人物たちが笑い、泣き、悲しみながら生きていこうとする姿に胸を打たれる。一人称での語り口は抑制が効いた文体でありながら、多くの人が共通して経験してきたであろう青春時代の「痛み」を的確に捉えており、エモーショナルな情動を湧き起こす。その切実な語り口は私をとらえて離さず最後までぐいぐいと読ませる力があった。

◆おわりに
本作は2010年に映画化されており、舞台化やテレビドラマ化もされています。タイトルの「わたしを離さないで」とは作中で登場する曲の歌詞の一説ですが、私は「(世界から)わたし(が居たという記憶)を離さないで」という意味で読みました。問題提起をしつつも、読み手の記憶を掘り起こすような物語であり、深く心に残る作品です。

上のはむかし書いた感想文。映画を観て再読したときに書いた気がする。本作はキャシーという女性の一人称で綴られた物語で、読者は彼女の人生を追体験していきながら、徐々に明かされていくヘールシャムの真実を知ることとなる。抑制が効いた淡々とした語りによって、「死」という逃れられない終わりの前に、いかに生きていくかという「希望」を描いているのだと思います。消えゆく命が遺せるものはあるのかという問いとともに。

さて、ここからあんまり関係のない話。
先日、祖父母の家の遺品整理をしていて、いくつか物をもらい受けた。祖父が使っていた懐中時計だったり、祖母が持っていたガラスで作られた亀の置物だったり、私が子どものころからずっと居間に置いてあった万華鏡だったりを。使い道はほとんどないのだけど、いずれも祖父母たちの思い出を感じられる品々で、眺めていると確かにその人たちが居たのだという実感がこみあげてくる。人が人生でのこせるものなんて限られてるし、大抵のものは消え去る運命にあるけれど、居たことを忘れないために、忘れたくないという気持ちを大切にしたいがために、こうして私は持ち帰り、わざわざ文章に起こしているのだろう。懐中時計はいくらネジを回しても動かなかった。今度時計屋に持っていってみようと思う。

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