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稲葉振一郎『ナウシカ解読 増補版』発掘記事

はじめに

漫画版『風の谷のナウシカ』は私が読んできた漫画の中でもオールタイムベスト10に入るくらい好きな作品で、視野の広さ、哲学性、戦記物としての面白さなど、中身が濃く魅力の多い作品だ。アニメ版とは異なる旅路、そして結末は作者である宮崎駿の深い洞察が反映されているのだが、その分難解な点もある。この『ナウシカ解読』はそんな『風の谷のナウシカ』という作品を多角的に分析した本で、きっと作品理解に役立つだろう。作者である稲葉振一郎は1963年生まれ、東京都出身の社会学者さん。専門として社会倫理学を扱っており、著書に『ナウシカ解読』、『宇宙倫理学入門』、『AI時代の労働の哲学』、『銀河帝国は必要か?』等、社会学以外にもSFやサブカルチャーに関する本を多数出版しています。

概要・内容

本書は社会学者である稲葉振一郎がマンガ、アニメ、SF作品などのサブカルチャーを扱った文章をまとめたもの。第一部は1996年に刊行された著者のデビュー作である『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』の本論を再録した内容で、社会学、哲学、軍事学など様々な専門知識を援用しながら『風の谷のナウシカ』という作品を紐解いていきます。やや難解ですが、アニメ版と漫画版の違いを出発点として、漫画版のナウシカが結末で取った行動の意味を丁寧に解説してくれているので、作品理解の手助けになるかと。
第二部は2005年に刊行された『オタクの遺伝子 長谷川裕一SFまんがの世界』の第2章のみを再録しています。長谷川裕一はSF漫画を多く出版しており、『ガンダム』の関連作品も書いているお方。この部では長谷川作品を掘り下げることで作品の魅力を語っています。
第三部は本書のための書き下ろし。個人的にはこの部分が読みたくて本書を購入しました。『風立ちぬ』、『マージナル・オペレーション』、長谷川裕一の新作『クロスボーンガンダム』を扱っていますが、特に伊藤計劃の『虐殺器官』と『ハーモニー』の考察は刺激的です。
第四部では短いエッセイが収録されており『まどかマギカ』、『ブラックラグーン』『エヴァンゲリオン』を引き合いに出しながら、虚淵玄の作品を初めとする「バッドエンド依存症」に陥っている作品がいかに「ハッピーエンドの試練」を乗り越えるのかについて論じ、最後は『シン・ゴジラ』にたどり着きます。

読んでみて

なぜ漫画版『ナウシカ』はアニメ版と違う結末に至ったのか。著者はアーレントやノージック、ジェーン・ジェイコブズを引用して作品を読み解いていきます。割とハイコンテクストな内容なのでついていくのが大変ですが、見方によっては『ナウシカ』というポピュラーな作品を扱うことにより、それら哲学書の入門になっているとも言えるでしょう。アニメ版『ナウシカ』も漫画版『ナウシカ』も、本書を読まなくともちゃんと楽しめる作品ですが、より理解を深めたいという方におすすめです。また、ナウシカ以外にも著者のSF論やサブカル論が提示されるので、サブカル好きにとっては刺激的な本。集えサブカル好きよ。この本には君たちが求めるものがきっとある――。

※ここから『風の谷のナウシカ』や『ハーモニー』の核心部分に触れる記事となりますので、未読の方は回れ右してください。


もうちょい踏み込んだ内容解説

第一部は1996年に刊行された著者のデビュー作である『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』の本論を再録したものとなっている。
漫画版ナウシカは、旧世界のエコ・テクノクラートたちが、汚れた旧世界を滅ぼし世界を浄化することで、理想の生態系である「青き清浄の地」を想像しました。しかし、この場所は遺伝子操作によって選別された人類しか入ることができない外部であり、現生人類であるナウシカたちでは生きていけない場所なのです。故に、政治指導者という地位にあるナウシカは、それを否定し、歴史から封印しました。現生人類がいずれ滅びる可能性があると知りつつ、ナウシカは誰にも言わず秘匿することを決断するのです。漫画版のラストは以上のようなものになります。
アニメ版と違い、なぜこのような結末に至ったのか。『ナウシカ』という作品を通して、ユートピアと戦争状態の在り方について考察を重ねてきた本論は、結論として、メタ・ユートピア論の問題定義に行きつきます。人間の世界にとっての外側、人間とは関係のないものたちとの出会いにおいて、ようやくユートピアが抱えるジレンマを突破出来るのではないだろうか。
それはSF的に考えればシンギュラリティ以後のAI、あるいは宇宙人などに置き換え可能だと思いますが、その出会いは人間にとって、果たして本当に救いなのかは疑問。捉え方次第で「救い」にも「災厄」にもなりえるその”出会い”は、結局のところひとつひとつの「他者」との出会いを通じて、そのたびごとに我々自身が取り組んでいくしかない問題である。漫画版『ナウシカ』のラストからはこのような哲学を受け取ることが出来るだろう――というのが結論となります。

第二部は2005年に刊行された『オタクの遺伝子 長谷川裕一SFまんがの世界』の第2章のみを再録している。
本格SFとは、作中の虚構世界の現実性に対して、非常に広い意味での実現可能性にこだわる立場である――。しかし言うまでもなく、虚構世界を構築するのは現実世界に生きる作者、実在する人間たちに他ならない。その意味では虚構世界とは、現実世界の一部なのであり、そのようなものとしてまさしく現実世界を変えていく力なのである。
つまりはこれが、長谷川裕一のまんが世界を貫くメインテーマなのだ。エンターテイナーとしての長谷川は、一作一作でとりあえずの答えは出し続けており、そのつじつまあわせの技量はまんが界の中で屈指のレベルといえるだろう。

第三部は本書のための書き下ろしであり、『風立ちぬ』や長谷川裕一の新作『機動戦士クロスボーンガンダム』、『マージナル・オペレーション』を評論しつつ、伊藤計劃の『虐殺器官』と『ハーモニー』の考察となっています。
『虐殺器官』のラストで主人公クラヴィス・シェパードが取った行動理由は「信頼できない語り手」としての語りであるとして、『ハーモニー』のラストについて考察を重ねる。かつては自然選択のプロセス自体を目的論的に誤読して、意識や自由意志をいわばその「成果」と捉える社会ダーウィニズム的発想が流布し、SFにおいても最期に残った「意識」こそが素晴らしいものだという結論に至る作品が多かったが、伊藤はもはやそうした楽観に与することはせず、意識も自由意志ももっとはかない何事かであり、総体としての自然選択のプロセスの中で生じた、か細い支流に過ぎないとした。
しかし、『ハーモニー』の結末における語りもまた「信頼できない語り手」としての語りであるとするのなら、伊藤が次作『屍者の帝国』で提示しようとした世界はいかなるものなのか。伊藤の試みは道半ばで潰えてしまったが、本論がその先の未来像を考える架け橋となっている。

第四部では短いエッセイが収録されており『まどかマギカ』、『ブラックラグーン』『エヴァンゲリオン』を引き合いに出しながら、虚淵玄の作品をはじめとする「バッドエンド依存症」に陥っている作品がいかに「ハッピーエンドの試練」を乗り越えるのか、について論じ、最後は『シン・ゴジラ』にたどり着きます。
ハッピーエンドへの道行きを自ら壊した『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』はむしろ私たちを安心させた作品となっている。これは「バッドエンド依存症」には相応の根拠があるので、ハッピーエンドという大嘘を確信をもってぶちかますためには、周到な作り込みと、それと裏腹の蛮勇とを必要とすることを意味しているのだ。要は『エヴァQ』という作品は最終作へ向けて必要だったということである。
庵野秀明は、自らが手がけて、意図せず公共財となってしまった『エヴァンゲリオン』を、『シン・ゴジラ』の製作を通じて、ようやく『エヴァ』もまた公共財であることを引き受けた、と著者は論じる。

終わりに

このように考えると『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がとても祝福的で開かれた終わり方をするのは納得感がありますね。『ガンダム』や『ゴジラ』がもはや最初の制作者の手を離れ、上述した「公共財」としてのポジションにあるとするならば『エヴァ』もまた同様に、そのような伝統の中の作品群となったと言えるのでしょう。そして、そのような伝統的な作品群の継承こそ現在の庵野秀明が行っていることであり、『シン・ウルトラマン』や『シン・仮面ライダー』はその表明とも言えるのだと思います。その他にもアニメ、漫画、SF等のサブカルチャーに関する鋭い考察がてんこ盛りの本なのでおすすめです。

こちらは確か2020年くらいに書いた文章。1996年に発売された元の版は読んでいたのだけど、第三部の伊藤計劃に関する論考が読みたくて買い直し、せっかくだから内容をまとめとこうと思って書いたもの。見直すと全体的に箇条書きっぽく、あまり面白みのない文章になってるなあと感じる。まあ誰かに見せるために書いたわけではなく、備忘録として残したものなので仕方ないか。『ナウシカ』『ガンダム』『ハーモニー』『まどかマギカ』『シン・ゴジラ』、各年代を代表するこれらの作品はそれぞれ独立しており、一見関連性はないように見える。本書はそれらの作品群を一本の線で繋ぐことで、さらに議論を誘発させ、これから先のアニメ、漫画、SFといった文化を見通そうという試みを持った本だ。ちょっとむずいが面白いぞー。


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