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自由とは? ~構造と文化人類学と集合的無意識と~

はじめに

みなさん、自由って何か考えたことありますか?大抵の人は自由がいいと思いながら、どういう状態が自由なんだと考えてないでしょう?
本記事では自由とは何かを、そして自由にしたことは良かったことなのか?という疑問を提示していきたいです。

人は構造というゆりかごを作る

文化人類学という学問があります。わたしにとってこの文化人類学はいくつかの文脈がありますが、今回数学との関わり合いがある側面から見ていきます。
数学には群論という分野がありますが、対象の集まりを特徴によって分けて、つまりグルーピングして解析していく分野ですが、この分野を文化人類学で応用した例があります。
文化人類学の第一人者であったレヴィ=ストロースがオーストラリアの部族、ムルンギン族の親族関係は複雑でどうなっているか、わかりかねていた。偶然に出会った数学者アンドレ=ヴェイユに話したところ、ヴェイユは群論を応用して定式化して見せたということがあったらしい。
特徴によってグループ分けするというのはものの集まり、つまり集合にグループという構造を組み込むことです。わかりやすく言うとヴェイユがやったことはムルンギン族と言うグループにある家族関係、親族関係という構造を見事整理したと言うことです。
まぁここまで話のまくらです。意外と言ってはなんですが、群論が解き明かしたように、原始的な集団の親族関係には複雑な構造がよく見られます。もっと言うなら、動物や昆虫も複雑な構造を持った集団を形成することがあります。
まるで、集団は構造的になることが自然なようにです。

そして人は儀式をする

集団に親族構造があるように、他にもしきたりや宗教という構造があります。宗教やしきたりによって集団が構造化された例はいくつもあります。例えばインド。ヒンドゥー教のしきたりカースト制によって人は階級という構造を背負わされています。階級によっては職業まで決まってしまいます。日本も江戸時代はある意味そうでしたね。
宗教やしきたりは行為さえも構造化します。インドでは右手のみを使って食事をするのはヒンドゥー教の教えからです。イスラム教では豚肉を食べることを禁止されています。キリスト教、カトリックの保守派は堕胎を認めません。このように人を特定の型にはめ込んでいきます。
このような型に民族を超えて共通した、似通ったものがあることに注目したのがユング心理学で言うところの集合的無意識です。似たようなシンボルが民族を超えてあったりするのは、人の思考の中に構造があると言うことかもしれません。
そして一番型にはまった行為といえば、儀式です。
祭りもそうです。
私たちは一定の手順をすることによって、豊穣や災害が起きないことや平和を祈ります。
人というのは過去に遡れば登るほど、構造というなにかに大きなものに囚われているようです。

人は慣習を破り英雄にならんと欲する

儀式には恐ろしいものもありますね。人身御供なんかはそのいい例です。若い娘を神に差し出して、災いを遠ざける。村や集落にとって必要だったかもしれませんが、やはり人の命を奪う儀式というのは悲しいものです。
いろんな人が死にたくないと思い、生贄になったり、死なせたくないと思いながら生贄を差し出していた歴史を思うとやるせなく切なくなります。
そんな人が昔々にもいたのでしょう。八岐大蛇の神話やしっぺい太郎の伝承のように悪い神を退治して生贄の慣習を打ち破る伝承はそのような思いを受けて生まれたのかもしれません。もしかしたら本当に慣習をやめた人がいるかもしれません。生贄の習慣をやめるきっかけになったものを英雄と称えるのは犠牲を望んでなかったことの証かもしれません。
この時、人はしきたりや宗教といった構造から解き離たれています。これは重要なことです。
慣習やしきたりは絶対ではないということです。

自由とは構造を壊すこと

前節で見たように構造を壊すことができます。生贄として納められていた娘たちは生贄の役目から解放され、自由になったということでしょう。
ヨーロッパでも昔は階級がありました。家族や平民や王族という身分制があり、その階級は変わることはありませんでした。革命によって王政が終わり封建制という構造が壊れたので、階級がなくなって人はその分だけ自由になりました。
自由とは構造が壊れ、複雑さが減ることのようです。
社会が単純になればなるほど自由になるのかもしれません。

まとめ

自由とは構造、つまり社会に何らかの体制や仕組みがなくなることです。英語のbe free from〜の意味通りですね。
そして別の見方をすれば自由自在と同じ意味とも取れます。
ただ社会にあるしがらみをなくすことこそ、社会的に自由になれますが、自由になりすぎるというのは人とのしがらみを消すことになってしまいます。それでは孤独です。
自由としがらみのつり合いを取るのが現代に生きる人にとって大事なことなんでしょう。

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