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【エッセイ】若者から学ぶ全力

先週末。小学生から高校生たちが出場する作文発表会を観覧しに行った。

自分が書いた作文を朗読する発表会だ。
どの子の発表も素晴らしかったが、ある女子高生の作文が心に残っている。

タイトルは『今度こそ、全力だ!』

この春、彼女は大学生になるはずだったが、希望大学に合格できず浪人することになったそうだ。
どうして大学に落ちたか、いろいろと考えたという。
考えたぬいて「自分に自信をもてなかったから合格できなかった」という結論に至ったようだ。

彼女は受験勉強中、大丈夫かな? 大丈夫、と気持ちが揺れ動いていた。
友達からは「頑張っているね」と言われるが、自分の中では怠けている気がする。
彼女は、自信が持てないまま受験に臨むことになった。そして結果は良くなかった。

全力で勉強していると思えなかったから、自信がもてなかったこと気づいたそうだ。
今度こそは全力で勉強することを誓うと、作文で宣言していた。

この発表を聞いて、すっかり忘れていた”全力”を思い出した。
私は子どもの頃、テスト勉強を頑張るタイプだった。
成績優秀というわけではないが、テスト前はいつも
「やるだけはやったんだ」
思って臨んでいた。
だからテストの当日はなんだか清々しい気持ちで机に座り、
答案用紙が配られるのを待っていた。

あの”全力で挑んた”という爽快感を最近はすっかり忘れていた。

全力を出しているかどうかは、他人からは分からない。
でも、自分は自分を見ている。

最近の世の中は、できるだけ楽をして結果を得ようとする風潮ががある気がする。その上、結果が全て。
私もその風潮に影響されて暮らしている気がする。
もちろん、無駄な無理をしすぎることを防ぐ為に生まれた策であろうから、大切なことではあるとは思う。

でも、私いつ全力出したっけ?

料理は時短だし、仕事もほどほどだし、文章もあまり書いていない。

確かに体は楽ではあるが、全力を出した時に味わう爽快感、達成感までも失っているとこと気がついた。もしかしたら、楽しいという感覚までも減っているかもしれない。

子どものころ父が「過程が大事なんだ」とよく言っていた。
結果を重視する今の時代は真逆だ。その影響もあって私はテスト勉強を頑張れていたのかもしれない。

全力を出したかどうかは、自分が分かる。
やるだけやったと思えたら、きっと何事も楽しくなるに違いない。

来年、彼女が全力を出したと思えて受験に臨めますように。



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