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大好きな先生がいましたか?

 エッセイ連載の第27回目です。
(連載は「何を見ても何かを思い出す」というマガジンにまとめてあります)

 尊敬できる大好きな先生っていましたか?
 私は小6のときに担任がとても印象に残っていますが、恩師というのとはちょっとちがうような……

なぜ先生をそんなに好きになれるの?

 小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、大学のときも、先生のことを大好きになって心から尊敬している人がいた。卒業してからも、恩師と呼んで、何度も会いに行ったり、「自分もあんな先生になりたい」と教職の道に進んだ人もいる。

 はたで見ていて、不思議だった。よくそんなに尊敬できるなあと。とくにその先生をよく知っている場合には、「あんなのをねえ……」とよけいに首をかしげることが多かった。

 だから、大好きな先生がいる人のことを、とくにうらやましいとも思わなかった。自分にはそういう先生がいないことを、残念とも思わなかった。
 大好きな恋人がいるかどうかとは、ぜんぜんちがった。

算数の授業しかしない先生

 思い出に残っている先生なら、私もいる。
 小学校6年生のときの担任の先生だ。かなり高齢の(と小学生には感じられた)、おそらく定年間近だった、女性の先生だ。

 もともと数学の先生だったとのことで、数学しか教えなかった。他の教科は、市販のテストを配って、「教科書を見て、そのテストに回答しながら、自分で勉強しなさい」という自習だった。
 小学生に自習なんかさせたら、当然、ほとんどの子は勉強しない。それでも平気な先生だった。おかげで、小学校6年で習うようなことは、私はすべて抜け落ちている。

 今なら問題になりそうだし、当時だって問題だったかもしれないが、誰も親に告げ口しなかったようで、何事も起きず、ずっとそんな授業だった。

 算数だけは授業があったが、それも独特だった。
 難しい問題を1問、黒板に書く。それが解けた人から、遊んでいいのだ。
 遊びたい子ほど、熱心に取り組んだ。私もそうで、おかげで算数の能力はこのときにかなり伸びたと思う。あとからわかったが、中学の数学の問題とかも平気で出ていた。パズル的な問題も多く、私は数理パズルがすっかり好きになり、のちに雑誌で自作の数理パズルの連載をしていたこともある。

 というわけで、算数が得意な子は、その能力だけ伸ばされ、他の教科は全滅し、算数が苦手な子は全教科が全滅するという、すごい先生だった。
 たまに、理科の授業だけはやることがあり、その準備に四苦八苦するようで、やり遂げたときには、高い山にでも登ったような達成感で高揚していた。こんなに準備したんだと、生徒に自慢することもあったが、他のクラスの先生は全教科ちゃんとやってるんだけど……と、おそらくみんな、心の中で思った。
 体育は1年を通じてずっと野球だった。野球が好きではない私には苦痛だった。先生が野球好きだったわけではなく、運動場にも出てこなかった。クラスの多数決で決まったんだったと思う。

いっさい授業をしなくなった

 この先生は、途中から、本当にいっさい授業をしなくなった。
 とくに思い出深いのは、ここからだ。

 先生の夫が、突然、亡くなったのだ。
 そのことを先生は、生徒に語った。最初からかなりくわしく語った。
 夜寝ていたら、となりに寝ている夫がひどいいびきをかきだした。声をかけても起きない。なんだか、いびきがひどすぎて、ただごとではない気がする。でも、どうしていいか、わからない。何時間も、そのまま、横にすわって、夫を見ていた。今度は、だんだん息が弱くなっていって、ついに息をしなくなった。そうして死んでしまったのだと。

 小学生の私たちは、人の死というものをまだ身近に経験していない者がほとんどだった。まして、人が死んでいく様子をそんなにくわしく聞いたのは、みんな初めてだったと思う。私もそうだ。
 人はそんなふうに死んでいくものなのかと、そのことにも驚いた。今思えば、脳出血とかそういうことなのだろうけど、そういう知識もないから、いびきから始まる死というものに、圧倒された。人はもっとドラマチックに死ぬものだと、子どもだから思っていたのだ。現実はもっと得体が知れないもだと感じた。

 教室は水を打ったように静かになった。あんなに教室が静かだったのは、初めてだった。
 先生はたいへんな嘆き方だった。その悲しみと苦しみがひしひしと伝わってきた。
「先生、かわいそう」とか「先生、元気を出して」とか、安易な言葉をかけられる生徒は誰もいなかった。なぐさめるようなことを言うことさえはばかられると、子どもながら、みんなが感じた。

しだいしだいにくわしく細かく

 先生は次の日も、また同じ話をした。
 少し驚いたが、たしかに、いちど話しただけで気がすむようなことではないだろう。

 しかし、先生はその次の日も同じ話をした。その次の日も……。はっきり覚えていないが、卒業までずっとそうだったと思う。
 先生の夫が亡くなった日で、私たちの時間の経過も止まった。何回も何回も亡くなった日をループすることになった。

 先生の話は、日を追うごとにくわしく、細かくなっていった。
 死んでいく人の様子が克明に語られていくので、みんな大変な緊張で聞いていた。みんなで、先生といっしょに、亡くなっている先生の夫の横にすわって、じっと見つめているようだった。大きないびきや、それが弱い息に変わって消えていくのが、聞こえてくるようだった。知らないはずの先生の夫の顔が見えるようだった。
 だから、毎日同じ話で聞き飽きるというようなことは、まったくなかった。日を追うごとに、話の中にさらに引き込まれていき、どうなってしまうのかという思いだった。

 ずっと授業をしなかったわけで、もし学校側にバレていたら、たいへんなことだっただろう。しかし、バレることはなかった。これもまた、誰も親に言わなかったのだと思う。私も言わなかった。

 人の死について、その悲しみについて、小学校6年生で、ここまで語りこまれたのは、すごい体験だったと思う。とてもおそろしかったが、先生も話すことできっと少しは助かる面があっただろうし、しーんとしてみんなで話に聞き入るという日々を過ごしたことは、それだけでも後にも先にもないことだ。

不合格の落ち込み

 この先生は、卒業の前にも、やらかしてくれた。これは私だけに関することだが。
 中学受験の合格発表を、どういう事情だったか忘れたが、生徒自身では見に行かず、先生がひとりで見に行って、結果をクラス全員の前で発表した。

 私は「不合格だった」と言われた。
 言われたときは、そうかあと思っただけで、別にショックはなかった。不合格でも、普通に地元の中学に進めばいいだけで、私はそれでまったくかまわなかったからだ。

 ところが、帰り道でだんだんおかしな気分になってきた。どうやら、不合格で落ち込んでいるようなのだ。なぜだろうと思った。地元の中学に行くのは、べつにかまわない。では、なぜ落ち込むのか?
 クラス全員の前で不合格と言われたらからか。あいつは不合格でこっちに来たと、中学で言われそうだからか。それも少しあるような気がした。そんな見栄っ張りだったのかと、それも少しショックだった。

 しかし、それだけではない。不合格ということ自体が、なにか重苦しい気持ちにさせるようだった。これはたんに試験の点数の問題で、私は試験の点数など気にしたことはなかった。受験勉強もしていない。だったら、不合格になっても、なんてことはないはずだ。それになのに、落ち込む。どんどん落ち込んでいく。
 不合格というのは、それがどういう理由で不合格かということとは関係なく、何か不思議な力を持っているのだ。そして、人を落ち込ませる。

 中学受験前に、「不合格になったらいやだから」と言って受験をやめた友達がいた。そんなに不合格をおそれなくてもとそのときは思ったが、この帰り道では、「あいつがおそれていたのは、これだったか!」と思った。あいつも受験は初めてなのに、この不合格の落ち込みをあらかじめ想像できていたとは、なんてすごいやつなのだ! とすっかり感心して尊敬してしまった。

どうしてそんなウソを?

 翌日、学校に行くと、先生が「本当は合格だから」と言った。
 私はうれしいと感じるより、「なんてことをしてくれるんだ、あんたは!」と茫然とした。

「どうしてそんなウソをついたんですか?」と思わず聞くと、
「早いうちに挫折を経験しておいたほうがいいと思って」
 と言われた。
 早すぎじゃないか? と思った。小6だ。

 まあ、おかげで、不合格という烙印は、その試験の本質とは関係なしに、人を落ち込ませるものだということは、よくわかった。これは理屈では理解できないことだから、体験できてよかったとは思う。
 しかし、やっぱり、先生のやることではないとも思う。

いちばん好きだった先生でこれ

 というわけで、私はこの先生がとても好きだったが、恩師とか、尊敬とか、自分も教師にとか、そういう感じではまったくなかった。
 これまででいちばん好きだったのが、この先生なのだから、かわいそうな子なのかもしれない。
 しかし、最初にも書いたように、自分ではそれをとくに残念なこととは思っていなかった。

人生で初めて先生と呼びたい人に出会って

 ところが、最近になって、心から先生と呼びたい人に出会った。
 相手は先生と呼ばれるのをいやがる人だったが、「今まで先生と呼びたい人がいなかったから」と、無理に頼んで先生と呼ばせてもらった。
 その人の言うことが、いちいち心に響き、すべてメモしておきたいくらい大切だった。
 心から尊敬できて、迷いがまったくなかった。
 コロナが始まるまで、週1でご自宅に通わせてもらったが、まさに「惚れて通えば千里も一里 長い田んぼもひとまたぎ」だった。恋愛以外でもこういうことがあるのかと、初めて知った。

 こういう人に出会えたのは幸運だったが、そのときはたと気づいて愕然としたのだ。
 してみると、他の人たちは、学生時代から、こんな経験をしていたのかと! こんなに尊敬して、会うだけで嬉しく、言葉のひとつひとつを大切に聞く、そんな相手が、下手すると小学生のときからいたのか?
 だとしたら、それはうらやましい! すごくうらやましい!
 私はそのとき初めて気づいてしまったのだ。学生時代に尊敬する先生がいなかった自分は、すごく残念な人だと……。
 



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