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安部公房、映画に行く ──ルイス・ブニュエルの「忘れられた人々」

 今日は安部公房の誕生日で、生誕100年です!🎂
 たくさんの作品が電子書籍化されました!
 せっかくなので、私も何かアップしたいと思い、もう12年も前になりますが、安部公房の同人誌に書いた原稿を引っぱり出してみました。
 去年刊行された、『親密な手紙』(岩波新書)で大江健三郎さんが、ちょっとふれてくださったのは、この原稿のことです。
 よかったら、お読みください。



(1)安部公房が生涯のベスト1と宣言している映画

『カフカ、映画に行く』という本があります(H・ツィシュラー著・瀬川裕司訳・みすず書房刊)。

 映画好きだったカフカが、どんな映画を見て、それがどういう内容だったか、丹念に調べた本です。

「カフカがどんな映画を見ていたって、そんなことはどうでもいいのでは?」と思われるかもしれませんが(私は思ってしまいましたが)、これがなかなか面白い本です。

「カフカの書くという行為に対して、いかなる程度であれ影響を与えたのはどのような映画であったかについてさまざまな考察をおこなって」います。

 それも強引に関連付けているわけではなく、「訳者あとがき」にもあるように、「余計な〈解釈〉をさしはさむことなく、あくまで事実に基づいて若き日の作家の内面と映画との関係をあばき出す著者の手並みは誠にあざやかで、感動的ですらある」という好著です。

「映画館のカフカ」(『カンポ・サント』所収)というエッセイの中で、作家のW・G・ゼーバルトもまったく同じ理由でこの本をほめています。

 安部公房もまた映画好きでした。
 映画評もたくさん書いています。『裁かれる記録―映画芸術論』という本も出しています(新潮社の『安部公房全集』では8巻に入っています)。

 私は、この『裁かれる記録―映画芸術論』のおかげで、ずいぶんいろんな映画に出会えました。
「眼には眼を」(アンドレ・カイヤット監督)などは、この本で知らなければ、いまだに知らないままだったのではないかと思います。
 安部公房の言葉を借りれば、「もし知らずに過したらひどい損をするところだった、見落とさないでよかった」というところです。この本にはとても感謝しています。

 今回、あらためて『裁かれる記録―映画芸術論』をパラパラとめくってみたら、最近DVDが続々と発売されて再評価著しいダグラス・サークを既にほめていたり、生誕100年でさまざまなイベントが行われている木下恵介の「楢山節考」についての評があったり、読みふけってしまいそうになります。

 さて、安部公房の映画評は基本的に辛口で、厳しいものが目立ちます。「映画はもうそこまで行きづまってしまったのか?」とか「救いがたいものになっている」とか「失敗作」とか、身も蓋もない表現が続出します。ほめているもののほうが少なく、ほめている場合でも、たいていいくつかは問題点が指摘されています。

 しかし、そんな中で、完全に手放しで絶賛されている映画がひとつだけあります。「私がこれまで見たすべての映画のなかで、まぎれもなくベストワンの作品であることを宣言」とまで言い切っています。
 それがルイス・ブニュエル監督の「忘れられた人々」です。

『裁かれる記録―映画芸術論』の中の「忘れられたフィルム」から引用してみましょう。

「せんだって、あるグループから、映画会のフロクの講演をたのまれた。映画の前におしゃべりをするのは、いつもどうも気がすすまないのだが、その映画が、ルイス・ブニュエルの『忘れられた人々』だと聞いては、ちょっと断るわけにもいかず、けっきょく引き受けさせられてしまった。『忘れられた人々』は、私に対して、一種独特な強制力をもっているようだ」
「さて、一時間にわたって、私は熱弁をふるった。少々興奮気味、まるで自分の作品を弁護しでもするように、熱心に説得につとめた」
「こみあげてくる熱弁をおさえることはどうしてもできなかった」
「見おわったときには、まるではじめてみたときのように、頭のてっぺんまでが水につかったような、ぼうっとした気持ちになっていた。たしかに、ベストワンであることはまちがいない。私のサービス満点の演説も、この恐るべき作品には、とうてい歯がたたなかったのである」

 安部公房にとって「忘れられた人々」がいかに特別な映画であるかがわかります。
 なぜそんなに特別なのか?
 そのことについて、『カフカ、映画に行く』ならぬ『安部公房、映画に行く』を、こじんまりと、たった一作についてですが、やってみたいと思います。
 と言いましても、本家のようにしっかりしたものではなく、あくまで私のたんなる推測にすぎず、これは論文ではなく、気軽なエッセイなので、その点はご了承ください。

(2)「アンダルシアの犬」→「糧なき土地」→「忘れられた人々」

 まずはルイス・ブニュエルについて簡単にご紹介しておきましょう。

「あらためて説明するまでもないことかもしれないが、このルイス・ブニュエルは、シュールリアリズムのもっとも破壊的で代表的な作品『アンダルシアの犬』を、ダリと共同してつくった監督である」

 と安部公房も書いていますが、『アンダルシアの犬』を見たことがない人でも、このDVDのジャケットになっている写真は、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

 シュールリアリズムの映画と言えば、これが第一に挙げられますし、今見ても衝撃がある名作です。

「だがその後、ブニュエルは(中略)こんどはドキュメンタリストとして、『糧なき土地』を製作した。これは、あくまで非情な、そして残酷な貧困の記録で(後略)」

 ブニュエルは、シュールリアリズムの映画を撮ったあと、今度はドキュメンタリー映画を撮っているのです。
「これを単純に、シュールリアリズムからの脱皮などと考えるのは間違っている」と安部公房は言います。「シュールリアリズムから記録的方法への移行ということは、それぞれの本質からいって、極めて自然な、そして必然的なことなのである」

 そして、その後に撮られたのが『忘れられた人々』です。(ここまでに3作しか撮っていないわけではありませんが、それぞれの時期を代表するのは、この3作です)。

 この『忘れられた人々』はじつに驚くべき映画です。というのも、この映画では、シュールリアリズムの方法と、ドキュメンタリーの方法が、見事にひとつに溶け合って、新しいリアリズムの方法が確立されているのです。

 普通に考えれば、シュールな表現と、ドキュメンタリーな表現というのは、とても両立するものではありません。
 ドキュメンタリーにシュールなシーンなんて入れれば記録性が台無しになりますし、シュールな作品にドキュメンタリータッチを入れればシュールさが薄れてしまうでしょう。
 幻想的かつ記録的な映画を撮れ、なんて言われたら、誰でも困ってしまうはずです。

 ところが、この映画では、シュールリアリズムの方法と、ドキュメンタリーの方法が、決して互いを打ち消しあったりしません。それらの方法は別々に存在するわけではなく、ひとつの新しいリアリズムの方法として一体化しているのです。

 たとえば、こんなシーンがあります。私が下手に説明するより、また安部公房の説明を引用しましょう。

「ラストに近く、少年頭目ハイボも、警官のピストルに射たれて死んでしまう。その瞬間まで、観客の誰もが、この気味の悪い不良少年を、どうにも救いようのない男だと思いこまされていたのだが、その死のありさまによって、たちまち事情が一変してしまうのだ。そのありさまとは、べつに説明でも解釈でも、また筋立てでもなく、ただ次のような簡単な、死のきわめて即物的な描写なのである。──意識は失っても、まだ体だけが生きつづけ、ゆっくり、意味もなく、首を左右にふりつづける、ハイボの表情のアップ。すこし下から撮っているので、唇の上の薄い鼻ひげが目立つ。その上を、きざみつけられた記憶が、次から次に、川のように流れてゆく。死と生のあいだをつなぐ、孤独の橋……それはまた、内部と外部の境の壁が透明になり、互いに透けあってみえる二つの世界の通路でもある。(シュールリアリズムと記録的方法の、見事な統一でもある。)この橋を行く孤独な少年ハイボを、誰に咎められよう。人は、ハイボと一緒に、恐怖の目をもってこの橋につながる残酷な背景を振返って見なければならないのだ。……それから、ふと、ハイボの喉仏がぐっと下り、ゆっくりともとに戻りながら、首が静止し、視線がとまって、死んでしまう」

 そして、安部公房は『忘れられた人々』について、こう書いています。

「前衛精神と記録精神がいかに共通の方法のうえに立ったものであるか、またその結合がどんな成功を生みだすかの、記念碑的道標だったと思う」


(3)『壁』→ルポルタージュ→『砂の女』

 ルイス・ブニュエルの「アンダルシアの犬」→「糧なき土地」→「忘れられた人々」という歩みは、「シュールリアリズム」→「ドキュメンタリー」→「シュールリアリズムの方法とドキュメンタリーの方法の結合による、新しいリアリズムの誕生」という進展であったわけです。
 そして、安部公房はこの流れを「極めて自然な、そして必然的なこと」と言うのです。

 そこで安部公房自身の歩みを振り返ってみると、安部公房も最初に『壁』というシュールリアリズムの作品を書き、その後は記録文学への志向を強め、ルポルタージュなどを書き、そうして『砂の女』に到達しています。
『砂の女』は、砂の穴の底の家に囚われるというシュールな設定と、ドキュメンタリーのような表現が、見事に一体となって、新しいリアリズムを生みだしています。
 これはまさに、ルイス・ブニュエルの歩みと、ぴったり重なり会うものがあるのではないでしょうか。

 安部公房が「忘れられた人々」を最初に見たのは、この「忘れられたフィルム」の原稿を書いた「五、六年もまえ」ということです。「忘れられたフィルム」が書かれたのは1958年10月なので、52年か53年頃ということになります。
「忘れられた人々」が日本で最初に公開されたのは、1953年8月11日なので、おそらくこの封切りのときに、安部公房も見たものと思われます。
 安部公房が記録文学への志向を強めたのは52年頃からですから、53年頃と言えば、まさに記録文学の方法を身につけようとしている最中です。
 しかし、その目標は、記録文学を書くこと自体にあったわけではなく、さらにその先に新しいリアリズムを生みだそうとしていたはずです。
 その模索の時期に、「忘れられた人々」を見たわけです。
 安部公房はいったいどう思ったでしょうか?

 ここからはもう推測でしかありませんが、シュールリアリズムから記録文学へと進んできた自分の歩みが間違っていないことを、再確認したのではないでしょうか。そして、その先に新しいリアリズムへの到達があるという、たしかな希望も手に入れたのではないでしょうか。
 安部公房が『砂の女』を書くのは、1968年ですから、まだまだ先です。
 しかし、この時点で、このまま進んで行けば、いつかそこにたどり着けるという確信を得たのではないでしょうか。

 そう考えると、安部公房が「忘れられた人々」にこれほどまでに感動し、特別に入れ込んでいることも、よく理解できるように思います。

(4)シュールリアリズム→ドキュメンタリー→新しいリアリズム

 で、けっきょく何が言いたいかと言うと、
 ブニュエルの「アンダルシアの犬」→「糧なき土地」→「忘れられた人々」をまず連続で見て、
 その後で、安部公房の『壁』→『飢餓同盟』(記録文学的な作品として。『石の眼』や『けものたちは故郷をめざす』でも)→『砂の女』というふうに連続で読んでみると、
 とても面白いですよ、ということです。
 映画鑑賞と読書のオススメです。

 私は実際にそのように見て、読んでみたことがあるのですが、とても楽しい体験でした。
 安部公房の頃にはブニュエルの「アンダルシアの犬」と「糧なき土地」を見るのは困難だったようです。「残念ながら私はこの作品を、シナリオと、解説と、それにいくつかのスチール写真でしか知らない」と書いています。
 私の頃もまだ見ることは困難でした。ただ、たまたま「ピアフィルムフェスティバルPFF」で、ブニュエルの多数の作品が上映され、それで見ることができました。学校をさぼって通いすぎて、大学一年生にして退学になりかけた思い出の映画祭です。

 今では、なんともありがたいことに、すべてDVDが出ています。昔の苦労がウソのようです。
 DVD-BOXもあります。
「ルイス・ブニュエル DVD-BOX6 アンダルシアの犬/忘れられた人々/若い娘」

「ルイス・ブニュエル DVD-BOX3 ロビンソン漂流記/それを暁と呼ぶ/糧なき土地」

 安部公房のほうは新潮文庫、あるいは『安部公房全集』でどうぞ。

 以上、ささやかな『安部公房、映画に行く』でした。

(頭木弘樹 2012.11.21)


ラジオ放送のお知らせ

3月24日(日)の深夜28時(月曜日の午前4時)に、
NHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」のコーナーで、
「安部公房の絶望名言」を放送します!
よろしかったら、お聴きください。


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