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アルバイトがしたい!2 服部真里子さんのこと

アルバイトがしたいと思い始めて早3ヶ月が経つ。車の免許をとってから、やることがひとつもないのだ。

暇だなあ暇だなあと思いながら暮らすことにもいよいよ飽きたので、わたしの定位置である食卓の椅子ともはや癒着を起こしつつある臀部をなんとかもちあげ、ついにとあるバイトにエントリーしたのだった。といっても実際にはスマホ上ですすっと指を滑らせただけなので、かわらず臀部は椅子にくっついたままなのだけど。

そして。それからもう2週間は経つかしら。待てど暮らせどバイト先からの返事はない。折り返し連絡が来るとのことだったはずなのだけど。もう当時のやる気も情熱も冷めてしまっているので、いっそどうにかエントリーはなかったことにしてほしいとさえ思いはじめているところ。

そんなゆるみきった暮らしのなか。大好きな歌人の服部真里子さんがご病気で療養されるということを一昨日の夜に知って、それからこころが沈んでいる。めそめそとしてしまっていけない。わたしがめそめそとしたところで、わたしの力ではどうにもできないこと、ただ遠いところから、どうか快復されますようにと祈るしか、今わたしには、それしかできないこと。

やることがひとつもない、とはじめに書いたけれど、日々しこしこと短歌は作っていて、じつは服部さんには某賞の連作の編み方についての相談に乗っていただいていたのだった。

そしてちょうどその日、服部さんがくだんのお知らせツイートをする少し前に、ツイッターでお返事のDMをもらっていた、というところだった。

第二歌集出版前のお忙しいなか、一つひとつの質問に丁寧にこたえて下さり、連作の編み方についての的確なアドバイス、そしてわたしの短歌に対するあたたかい励ましまでいただいて、とても嬉しくまた背中をぐんと押していただいた思いだったのだけれど。

服部さんには先月までの一年間、NHKカルチャーセンターの「こんにちは短歌」という講座で大変お世話になっていた。わたしにとって、はじめて通う短歌教室。それまで「かばん」(所属している短歌同人)以外、いや「かばん」にもそんなに知り合いが多くないこともあって、すこし不安でどうしようかなと迷っていたのだけれど、でも敬愛する歌人の短歌教室なんて。こんな機会、めったにないよね。行くよね。行くしかない!と思って、それで思い切って申し込んだ。今思えば申し込む前にも服部さんにDMして心配なことを色々と質問したのだったな。そのすべてに優しく丁寧にこたえていただいて、それで安心して臨むことができたのだった。

毎回いただける資料はめちゃくちゃ勉強になるし、歌会では悔しさに毎度動悸がするほど良い短歌がたくさん並んでいて、お互いの評もさることながら、服部さんの歌の読みを最後に聞けるのが楽しみで仕方なかった。服部さんの目の前の席に陣取ってつねに、しきりに、頷きながら話を聞いていた。

なんでこんなにこの場所は日なたみたいにあたたかくて居心地がいいんだろうといつも思っていた。当時学校で自分が受け持っていた教室のどんよりとした空気と比べては絶望するほど、そのくらい回を重ねるたびに、わたしは服部さんの教室がどんどん好きに、なっていった。

たとえばある回では、

服部さん「講座の時間がいつも押してしまって。気づくといつもあと15分しかないんです。時間配分って難しいですね。どうしたらいいものか…」
われわれ「…」
受講生Hさん「時計を…その…こまめに見たらいいんじゃないですかね」
他の受講生「…!」
服部さん「なるほど…!それは妙案!」

かくして講座はそれ以降、無事時間ぴったりに終わることになったり(そのときの愉快な雰囲気をそのまま伝えるのって難しい…!)。

またなぜだか服部さんの椅子がめちゃくちゃポンプアップされて天高く上がってしまったときも(爆笑に包まれながら元の高さに戻される椅子、このまま始めなきゃいけないのかと思って焦りましたよ、とあくまで笑顔の服部さん)、またすこし前に話題になった『Sister On a Water』をめぐっての服部さんの見解を聞いたときも、そして最後の講座で一人ひとりに、メッセージを下さったときも。卒業するみたいでなんかほんとにすこし泣きそうだった。しかも全員の短歌を覚えてそれぞれ諳んじて下さったことにものすごく驚いたり。それらぜんぶ。 「こんにちは短歌」に通えたことは、まぎれもなく、しんじつわたしの人生のよろこびなのだった。

服部さんは『Sister On a Water』のインタビューのなかで、

歌会とは、「来た人に『あなたが来てくれてうれしい』という気持ちを伝えること」であるとおっしゃっていて、ああ。まさにそれを体現されているんだ、そういうことなんだ、と合点した。

講座で感じた居心地のよさは、そのまま「あなたが来てくれてうれしい」というまさにわたしたちへの、そしてわたしたちの作った短歌への敬意であった。服部さんの評は、いつも誰よりも丁寧だった。歌の一つひとつに時間をかけて、言葉を尽くして、評して下さっていた。それは短歌への、一人ひとりへの誠実さ、そのあらわれだとただただ思う。その姿を見て以来、歌会で評するときには力のかぎり、言葉を尽くそうと思うようになった。

だからなのかどうしてなのか、服部さんを知らなかったときよりもずっと、わたしは服部さんの短歌が好きになってしまっているのだった。そんなの、ほんとはわたしの中ではナシだった。作品は作品、作者は作者のはずなのに。なんでこんなに。ずっとずっと、歌が深く自分の身体に入ってくる。そんなの聞いてない。誰も何も言ってないけどそんなの本当に、知らなかった。でも、もう前とは違うところに立って、わたしは服部さんの短歌をこころから、愛している。

春だねと言えば名前を呼ばれたと思った犬が近寄ってくる (服部真里子)

春だって春でなくたって、すべての季節のさなかに、そのあわいに、思い出しては愛誦する、おそらくわたしがこの世で一番好きな短歌。
「春だね」というつぶやきが連れてくる、あらゆる喜びの総体としての、そしてその実体としての、見知らぬ犬。春というこのまるごとわたしの目の前にある、というかあってしまう世界に今、まさに今ここに立っていること、そして息をしていることをお互いに祝福し合うように、犬とわたしはゆっくりと距離を縮めて、こんにちは、とあいさつをするのだ。
同じ連作「行け広野へと」のなかの「人ひとり待たせて犬の顔覗く犬の瞳にさくらは流れ」もとても好き。

でも冬は勇気のように来る季節迎えに行くよまぶしい駅へ (服部真里子)

何度だって毎度毎度、秋が終われば冬が来て、わたしは冬は苦手だけれど、そのたびにため息が出るけれど、でもほんとうは、そのたびに一度きりの、わたしのまったく知らない季節なのだ。あるいは勇気のようにやってくる、その冬の一日をわたしは全身で、受け止める。



最後になりましたが、どうかどうか、ゆっくり療養されて、どうかどうか回復に向かいますように。時間をかけても、ばっちり快復されますように。わたしたちは、わたしは、ずっと待っています。



#日記 #エッセイ #短歌 #暮らしのこと


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