見出し画像

【第2回】飛べない蒼い鳥のための鎮魂歌|北田 斎

冬の墓標

 はじめて出会った鳥の鎮魂歌は、ひとりのミュージシャンの死を縁取るようにたちのぼったいくつかの歌だった。死の爆心地グラウンド・ゼロに立つ見えない墓標、そこに刻まれた日付は2009年12月24日。刻まれた名はフジファブリック、志村正彦。

 志村は1980年7月10日、山梨県富士吉田市に生まれた。中学三年の夏、初めて観た地元のライブでおくたみに憧れてミュージシャンを志す。ロックミュージシャンというと派手な衣装のイメージだったのに、Tシャツにジーンズというラフな格好で、「不況にならないようにがんばろう」という世相に乗らないロックをやる民生に強く魅かれたようだ[註1]。それまで打ち込んでいた野球をやめ、高校に入って同級生たちとコピーバンドを組む。そこから発展させ、上京後の2000年にフジファブリックを結成する。東高円寺のライブハウス・ロサンゼルスクラブでアルバイトをしながら、そこでの先輩だっただんのメンバーとも交流を深めていった。故郷の友人たちとのバンド活動もメンバーの就職などで長くは続かず、志村以外のメンバーは入れ替わってゆき、2003年ごろにベースの加藤慎一、キーボードの金澤ダイスケ、ギターの山内総一郎、ドラムの足立あだちふさふみ(2006年脱退)というほぼ現在のメンバーとなった。2004年にメジャーデビュー。うたいをおもわせる粘度の高いヴォーカルと妄想にまみれながらもどこかとぼけた歌詞、クラシック・ロックやプログレから歌謡曲、ブラジル音楽などを取り込んだ混沌としつつ強烈な印象を残すギター・ロックや、「四季盤」(デビュー時、四季をテーマにリリースされた四枚のシングル)をはじめとするノスタルジックで叙情的なバラードを持ち味としてきた。志村はほぼすべての歌詞と作曲、ヴォーカルとギターを担当していた。口数はあまり多くなく、不機嫌になるとさらに無口になってどんよりした不穏な空気だけにじませる。愛郷心が強く、本人は至って真面目なのだがどこか世間一般とずれている。たたずまいは妙なのだが、音楽に対する愚直な向きあいかたやソングライティングだけでなく、独特なユーモアもあり、一癖も二癖もある周囲の少なくないミュージシャンに好かれていた。奥田民生のつかみどころのないのらりくらりとしたイメージに憧れながら、音楽業界のなかで自分たちの居場所を切り拓くためにたゆまぬ努力を重ね、生真面目に自分を追い詰めていた[註2]。

 志村はたしかにかれにしか書けない魅力的な曲を生み出す力を持っていたが、それ以上に努力の人だった。高校時代からアルバイトを掛け持ちして機材や上京のための費用を貯め、そこそこの成績を維持しつつ曲を作って両親を説得した。上京し、晴れてメジャーデビューした後もその時代錯誤アナクロニスティックと言ってもいいような異常な努力は継続された[註3]。その甲斐あってバンドとしての歩みはおおむね順調だった。音楽の道へ進むきっかけとなった奥田民生と同じ事務所に所属し、目をかけられていた。ライブの動員数も着実に増え、タイアップもコンスタントにあり、結成10年を迎える2010年には、志村の地元である富士急ハイランド──そこはかれが初めて奥田民生のライブを観た場所であり、15年越しの夢の舞台だった──でのライブが決まっていた。だが志村個人としては、休む暇もない過酷な音楽活動を続けていくなかでのしかかるプレッシャー、そして流砂のような不安に足を取られ、次第に心身の不調を漏らすようになっていた[註4]。

蒼い鳥は飛べない

 志村の生前にリリースされたフルアルバムは四枚存在する。四季盤のうち秋盤までを収録したファーストアルバム『フジファブリック』は叙情的な曲のなかにオフビートな曲がちりばめられている。二枚目の『FAB FOX』はプログレッシヴ・ロックを取り込んだ、怪しくふてぶてしい曲が前面に出てくる。三枚目の『TEENAGER』は一転してポップだが、「Surfer King」や「パッションフルーツ」などサーフロックや横ノリのリズムを呑み込んだ怪しい曲でも新境地を開いている。四枚目の『CHRONICLE』はスウェーデン・ストックホルムでレコーディングがおこなわれた。それまでの作品にはあまり滲んでこなかったオルタナティヴ・ロックの要素が前面に出たアルバムで、忘れてゆくこと/忘れられてしまうことに対する苦悩、自信のなさ、憔悴した心やさびしさを吐露するような歌詞が多い。

 フジファブリックの代表曲として挙げられることが多いのは、叙情的なバラードのはくである「若者のすべて」や、志村にとって特別な曲だった「茜色の夕日」などだろう。もちろん、それらは否定しがたく素晴らしい。だが、やはりわたしは奇想のうたに強く魅かれてしまう。志村は音楽のなかでめくるめく妄想を繰り広げていく。夕暮れの路面電車の車窓から、つかの間目に飛び込んできた花屋の娘との起こりえない恋を膨らませてみたり(「花屋の娘」)、真夜中二時過ぎに街を逃げ出し、夜空の果てへと不穏な逃避行を夢想したりする(「銀河」)。今まで数多くのミュージシャンたちが屈折した感情を込めて「東京」と名のつく曲を世に送り出してきたが、そのなかでもフジファブリックの(メジャーデビュー以前から存在したという[註5])「東京炎上」は異様な曲だ。ひたすらに異物として東京という街にたたずんでいる。複雑な感情を抱えながらそこで生きていこうというある種の妥協はまったくない。徹底的な拒絶がある。直接なにが起きているのか、歌詞のなかでははっきりと触れられない。ただ「真っ赤な東京の街で揺れていた/サイレンの音が頭に響いた//後ろの正面で視線を飛ばした/真っ赤な東京の街で揺れていた」とはじまる。焦燥感を掻きむしるギターと、冷たくつややかなキーボードの音が競り合う。そして「笑って見てた そして逃げた/真っ赤に揺れる街を逃げた/そのうちふいに振り向きざま/目と目が合った君は万華鏡」[註6]とよそ者のこうしょうが響き渡り、劫火のなか、あやしい宴が繰り広げられる。

 一方で、勢いよく「ヘイヘイベイベー 空になって あの人の前で踊ろうか」[註7]と啖呵を切りながら、じりじりと一向に踏み出さないまま曲が終わったりするような煮え切らない歌詞も多い(「ダンス2000」)。妄想であっても、妙に踏み越えられないリアリティラインが存在するのだ。決して野放図な妄想ではない。現実とどうにか向き合っていくための切実な夢想だ。

 志村が書いた曲にはぎりぎりの逃避願望として、飛翔のモチーフが多くあらわれてくる。だが妄想でさえ、かれは飛べていない。「虹」では「週末 雨上がって 虹が空で曲がってる/グライダー乗って/飛んでみたいと考えている」と歌い出し、サビでは「グライダーなんてよして/夢はサンダーバードで/ニュージャージーを越えて/オゾンの穴を通り抜けたい」[註8]と願望を膨らますものの、「〜たい」という語尾が連ねられてゆき、やはり願望は願望のまま終わる。あるいは「銀河」もそうだろう。とりわけ「蒼い鳥」(2007年)はもっとも無惨かつ象徴的な曲だ。「深い海の中から」「羽ばたいて見える世界を/思い描いているよ/幾重にも 幾重にも」[註9]と引きずり込まれるような重苦しさで歌われる。その少し前に書かれたとおもわれる未発表曲「シェリー」は対照的に明るい曲調で、「やあ どうも そうかい とりあえずはようこそ/そして 小さくなっていたものが飛び立った//さよなら そして過ぎてく日々に感謝を/思い描いた通りに大きく飛び立った 飛び立った」[註10]と歌われているが、志村の生前はアルバムにも採用されず、ついにリリースされることはなかった。後に完全生産限定盤としてリリースはされるものの、再発や配信はされておらず、あくまで未発表曲であるということなのだろうか、広く世に出すべきという意志は薄いようにおもえる。やはり志村のなかでも歌詞にどこか真実味を感じられなかったのではないか。

 『CHRONICLE』に収録された「Sugar!!」も浮遊感や疾走感のある曲で、「本当はこの僕にだって 胸張って伝えたい事がね/ここにあるんだ//空をまたいで 君に届けに行くから待ってて//全力で走れ 全力で走れ 36度5分の体温/上空で光る 上空で光る 星めがけ」、「見上げてごらん 空は満天の星空だよ//全力で走れ 全力で走れ 滑走路用意できてるぜ/上空で光れ 上空で光れ 遠くまで」[註11]と繰り返し発破をかけている。だが依然として想像の段階に留まっていて、どうにも行動に移せているような感じがしない。

鎮魂歌たち

 2008年から2009年にかけてのブログには、不調をこぼす記述がいくつも残っている。デビュー以来、まとまった休みを取ることはなかったが、「電車に乗れない病気」のために一ヶ月の休養を取り、声帯のポリープの手術も受けていた。あまり食事を取らず痩せていることを心配されたり、持病の発作にも見舞われていたことも書かれている[註12]。多くの人がそれを知っていたはずだが、その先に訪れた死は、とは言えやはり唐突だったし、人びとを物凄い力で打ちのめしてあの日の寒さのように冷徹に一瞬で感覚を奪っていった。年末だったからカウントダウンライブなどライブの多い時期だったが、親しいミュージシャンたちが声を震わせながら、あるいは途方に暮れたようにフジファブリックの曲や志村に捧げた自らの曲を歌うのを、そして楽器だけがセッティングされ、無人のまま映像と音源が流れていくフジファブリックのステージを、呆然とライブレポなどで追っていた[註13]。

 そこから数年のうちに、無数のレクイエムが生まれた。まず挙げられるのは、TRICERATOPSトライセラトップス「Invisible~透明のハグ~」(『WE ARE ONE』2010年)、GREAT3「彼岸」(『GREAT3』2012年)[註14]、堕落モーションFOLK2(盟友スパルタローカルズの安部コウセイと伊東真一によるフォークユニット)「夢の中の夢」(『私音楽 -2012春-』 2012年)[註15]などだろう。GREAT3のかたよせ明人あきとはファースト・アルバムまでフジファブリックのプロデューサーを務めた人物で、特に志村とは公私ともに深い交流があった[註16]。トライセラトップスも先輩バンドだがキャリア初期から共演も多く、ヴォーカルのしょうは人懐こく志村を構っていた[註17]。和田は志村とのデュエットを想定して曲も作っていたという[註18]。スパルタローカルズは同年代のバンドであり、志村と安部は互いをライバルとして認識しあっていた。スパルタローカルズが解散を発表した時には、志村が安部に電話口でめずらしく声を荒らげたという[註19]。

 「Invisible~透明のハグ~」(詞・曲:和田唱)は、明澄でポップなメロディーのシンプルなギター・ロックである。不可視の存在と再び関係を結び直すように歌う。和田は「この曲を聴きながら、みんなそれぞれの、もう会えない、でもとても会いたい人を思い浮かべて欲しい。俺はそのどうしようもない気持ちへの対処法を常に考えてた。この曲は、少しだけその気持ちへのセラピーになったかもしれない。何を隠そうこの曲を書いてる時、一番頭の中にいたのはフジファブリックのシムシムだ。だからちょっと特別な曲なんだ」[註20]と書いている。

 「彼岸」(詞・曲:片寄明人)は一転して雷雲のように重苦しい悲しみが覆いかぶさっている。ギターの分散和音アルペジオもその足取りのように重い。「泣き疲れた/その後に/僕がどうやって歩き出すのか/それを見守ってる/近くて遠くから/心で/今も/君を感じてる」[註21]と繰り返し歌う。先立たれた後悔や未済感を吐露し、心臓の鼓動に彼我の間に横たわる決定的な断絶を感じ取り、残された者がその先をどう生きてゆくのか、それを模索している。

 「夢の中の夢」(詞・曲:安部コウセイ)はミニアルバムの最後に置かれている。軽快なブルースハープとアコースティックギターからはじまり、「急行の電車が 君の生まれた町まで/かび臭いスーツの僕をのっけて走ってく/見慣れない景色が 曇ったガラスの向こうで すぎてゆく」というフレーズが引き出されてくる。葬儀へ向かう車中の混乱した感情と、そこから時間の経過とともに表面上の平静を取り戻すさまを淡々と描写していく。「そーいやさあれから 新しいバンド組んだよ/相変わらず ひねくれているけどカッコイイんだぜ/もし君が聴いてたら 何て言われたんだろうか 教えてよ」と自負を込めて歌い、「友達は今日も夢の中の夢で/終わらない音楽 鳴らし続けてる/友達は今日も夢の中の夢で/始まらない 恋を 嘆き続けてる/変わらない 愛を 祈り続けてる」[註22]と、夢という回路を通じて亡き友人を生かし続ける。

 あるいは明言はされていないが、舌に微かな苦みを残すような二曲目の「不潔なメロディー」(詞・曲:安部コウセイ)にも、亡き友人の面影はあるのかもしれない。一番では「とても軽薄な俺はすぐに/夜の暗闇にごまかされて/その場しのぎの 理由を 待ってる//午前3時の 都会の空を/ジャンボジェット機が 飛んでいるよ/君も 聴こえたかい//すり切れちまったいつかの言葉を/並べたら君とまた出会える筈だよ/途切れ途切れの声でつむいでくれ/祈りにも近い 不潔なメロディー」[註23]と歌われるが、フジファブリックのインディーズ時代の曲「午前三時」を思い出してしまう。ジャンボジェット機はボーイング747シリーズの愛称だが、この頃すでに旅客機から貨物機への転用が進んでおり、また時間帯から言っても貨物機だろう。だが安部はジャンボジェット機に何を託したのだろうか。

無垢なる鎮魂歌

 もっとも多くのレクイエムを生み出してきたのは、先立たれた三人のフジファブリックだった。残されたメンバーは解散せずにフジファブリックとして活動を続けることを決め、ヴォーカルはギタリストの山内が引き継ぐことになった。かつてジョイ・ディヴィジョンはイアン・カーティスの死により解散し、ニュー・オーダーという別のバンドを結成したが、かれらは同じ道を選ばなかった。そのことに大きな意味がある。フジファブリックは志村による志村の理想や目標を達成していくためのバンドだった。そしてそれを引き継ぐことを三人は決めたのだった。志村亡き後にリリースされた『MUSIC』(2010年)、『STAR』(2011年)を聴いた時、その音楽性が変わらずにフジファブリックらしさを保っていることに驚かされたのを今でもよくおぼえている。2014年、デビュー10周年を記念した日本武道館でのライブでは、山内は志村愛用のペール・ブルーのストラトキャスターを使い、志村とバンドへの愛情を語り、そして最後にマイクスタンドに志村のハットを掛け、志村の声とともに「茜色の夕日」を演奏した。なお、山内は現在までライブで一度も「茜色の夕日」を歌ったことはない。それ以外にも、かれらは志村の存在が依然としてバンドの核であることをくり返しくり返し明言し続けている[註24]。

 富士急のライブで初めて披露された「会いに」(詞:志村・加藤慎一/曲:志村)を皮切りに、志村が関わらない初めてのアルバムとなった翌年の『STAR』に収録された、「ECHO」、「STAR」(ともに詞:山内・加藤/曲:山内)などもそうだ。「ECHO」はビートルズの匂いを感じさせるミドル・ナンバーで、誰かの不在を確かめるように歌われる。「STAR」は冒頭一分ほど漂うノイズを含んだ靄のような音像を晴らすように、印象的な温かく眩いギターのアルペジオが力強く響き、そこから加速していく。山内のヴォーカルもやはり粘度が高くもったりしたところがあるが、志村と違い突き抜けるような朗らかさがある。バンドの中心人物であり、かれらの人生を大きく変えた人物の不在と向き合い、前に進むことを真っすぐに宣言する。だがこの曲は歌詞というよりも、何よりもギターが雄弁に歌っているのではないか。これ以降、シンガー、そしてメインコンポーザーとしてバンドの矢面に立っていくことになる山内が、ギタリストとして生み出した特異な鎮魂歌だったようにおもえてしまう。そんな山内がコンポーザーとしての経験を積み、ソロとして発表したのが「白」(『歌者 -utamono-』2022年)だった。ストリングスに彩られたピアノの美しいバラードで、かつてレコーディングに赴いた冬のストックホルムをおもわせる情景から、「君と出会えた事が 僕のすべてと言い切る 他にはひとつも残らなくてもいいくらい」[註25]と、逃げ場もないほどひたむきにただ一人に向かって、かれとともに生きた時間と取り残された後の年月をかけて心の内側に降り積もった想いをほとばしらせる。それが誰であるかに想像の余地はない。「「ギターを弾いて欲しいんです」迎えてくれた言葉 今でも澄ましては胸を暖めています」[註26]とまで歌い切っているからだ。おそらくここまでさらけ出した歌はフジファブリックでは歌えなかっただろうし、ソロという角度からフジファブリックに光が当てられた時に強烈に照り返してくるものとして、避けがたく山内が音楽を続ける理由が露わになったのだろう。志村は忘れられることを怖れていたが、残された者たちは決してそれを許さない。2021年12月22日からは、志村の故郷である富士急行下吉田駅の列車接近音が「若者のすべて」と「茜色の夕日」に変更された[註27]。フジファブリックはこれからも不在を抱えながら、その不在ゆえに在り続けるだろう。

 さて、ここまで取り上げてきた鎮魂歌たちは、残された者たちが死に打ちひしがれ、その不在をなぞり、死者とともにその先をどう生きてゆくのかを模索していく歌だった。そこにとりかげはない。では深い海に沈んだ蒼い鳥を引き上げるのはだれか。かつてバンドメンバー以外でただ一人、かれが親友と呼んだミュージシャンがいた。メレンゲ、クボケンジ。次回は親友が生み出した鳥の鎮魂歌に耳を傾けたい。


【註】
[1]志村 2011a:390頁
[2]片寄 2010
[3]志村 2011a
[4]志村 2011a:270、272-273頁 
[5]片寄 2010d
[6]志村 2011b:78-79頁
[7]志村 2011b:131頁
[8]志村 2011b:46-47頁
[9]志村 2011b:52-53頁
[10]志村 2011b:168-169頁
[11]志村 2011b:92-93頁
[12]志村 2011a:270、272-273頁など
[13]小池 2009a、小池宏和 2009b、兵庫 2009など
[14]片寄 2012
[15]安部 2013
[16]片寄 2010
[17]フジファブリック 2011a、和田 2009
[18]和田 2009
[19]安部(2020)。その後、2010年にHINTOを結成
[20]和田 2010
[21]GREAT3 2012
[22]堕落モーションFOLK2 2012
[23]堕落モーションFOLK2 2012
[24]フジファブリック 2015
[25]山内 2022
[26]同上
[27]SMA(2021)、富士急行線(2021)

【参考資料】
志村の半生については、基本的に志村2011aを参照したが、記録の残っていないライブでの発言やウェブサイト、ブログ等も含む。

● 安部コウセイ(2013)6月30日のツイート 。最終アクセス日2023年9月24日 [旧Twitter、現X]
● 安部コウセイ(2020)12月24日のツイート(文中のリンクは現在非公開)。最終アクセス日2023年10月9日 [旧Twitter、現X]
● SMA(2021):「「若者のすべて」「茜色の夕日」が「下吉田駅」にて列車接近音として実施されます」、12月16日。最終アクセス日2023年9月24日[ウェブサイト]
● 片寄明人(2010a):「フジファブリック1」、7月11日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010b):「フジファブリック2」、7月12日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010c):「フジファブリック3」、7月12日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010d):「フジファブリック4」、7月13日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010e):「フジファブリック5」、7月14日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010f):「フジファブリック6」、7月15日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010g):「フジファブリック7」、7月16日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010h):「フジファブリック8」、7月17日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010i):「フジファブリック9」、7月20日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2010j):「フジファブリック10」、8月3日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● 片寄明人(2012)12月25日の投稿。最終アクセス日2023年9月24日[Facebook]
● GREAT3(2012):『GREAT3』、EMIミュージック・ジャパン [アルバム]
● 小池宏和(2009a):「奥田民生ひとり股旅 COUNTDOWN JAPAN 09/10 クイック・レポート」、『rockinon.com』、12月28日。最終アクセス日2023年9月24日[ウェブサイト]
● 小池宏和(2009b):「氣志團 COUNTDOWN JAPAN 09/10 クイック・レポート」、『rockinon.com』、12月28日。最終アクセス日2023年9月24日[ウェブサイト]
● 志村正彦(2011a):『東京、音楽、ロックンロール 完全版』、ロッキング・オン
● 志村正彦(2011b):『志村正彦全詩集』、パルコ出版
● 堕落モーションFOLK2(2012):『私音楽 -2012春-』、Bauxite Record / VINTAGE ROCK std. [ミニアルバム]
● TRICERATOPS(2010):『WE ARE ONE』、tearbridge records [アルバム]
● 兵庫慎司(2009):「フジファブリック COUNTDOWN JAPAN 09/10 クイック・レポート」、『rockinon.com』、12月30日。最終アクセス日2023年9月24日[ウェブサイト]
● 富士急行線(2021):「列車接近音にフジファブリックの楽曲を採用」。最終アクセス日2023年9月24日[ウェブサイト]
● フジファブリック(2011a):『フジファブリック presents フジフジ富士Q –完全版-』、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ [DVD]
● フジファブリック(2011b):『STAR』、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ [アルバム]
● フジファブリック(2015):『Live at 日本武道館』、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ [DVD&Blu-ray]
● 山内総一郎(2022):『歌者 -utamono-』、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ [アルバム]
● 和田唱(2009):「シムシムへ」、『トライセラトップス和田唱日記』、12月26日。最終アクセス日2023年9月24日 [ブログ]
● 和田唱(2010):「WE ARE ONE 全曲解説」、『トライセラトップス和田唱日記』、9月9日。最終アクセス日2023年9月24日 [ブログ]
ロッキング・オン(2010):『ROCKIN’ON JAPAN』6月号

連載『鳥の鎮魂歌』について
大切な存在に先立たれた時、人はしばしばその欠落に鎮魂歌を宿す。そのいくつかは鳥のかたちをとって生まれ落ちる。そうしたうたの力を借りて、人は斃たおれたものの魂を再び羽ばたかせるのだ。——しかし、なぜ鳥なのか。その鳥はどこへ向かうのか。現代のロックやポップスに沈められた「神話的想像力」を汲み上げる、「うた」を批評することの新たな試み。

著者:北田 斎(きただ・いつき)
1991年、神奈川県藤沢市生まれ。横浜市立大学、学習院大学大学院修士課程修了。修士(日本語日本文学)。文芸批評、アジア史、神話、民俗学などについて学ぶ。研究テーマは鹿のフォークロア。特に鹿の耳と声に注目し、上代日本列島において、人と神の意志を双方向に媒介するものとして鹿を論じる。文字登場以前の原初の社会のコスモロジーを構成する要素として大きな比重を占めるであろう音と声に関心を持つ。ロックなど現代の音楽から、人の営みの根源的な部分に迫りたいと考えている。