女の子とウサとの哲学的会話「失敗しないためにはどうすればいいの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「はあ……」
ウサ「どうしたの、サヤカちゃん。ため息なんかついて」
サヤカ「聞いて、ウサ。今日、わたし失敗しちゃったんだ。友だちのところに遊びに行ったんだけど、その友だちに小学校1年生の弟がいるのね。その子の前で、うっかりね、サンタさんが、お父さんやお母さんだってこと言っちゃったの」
ウサ「なるほど」
サヤカ「運良くその子、わたしの話聞いてなかったみたいで、セーフだったんだけど、でも、もしかしたら聞かれていた可能性もあったわけだから、小さい子がいるのに、その子の夢を壊すようなことを言っちゃうなんて、本当に失敗したなあと思って。あーあ……わたし、ちょくちょく失敗するんだあ。この前も、夕飯のお片付けしてたら、グラス割っちゃったし。ねえ、ウサ、失敗しない方法って無いのかなあ」
ウサ「ふふ、失敗しないで生きることができたらいいかもしれないよねえ」
サヤカ「うん、わたし、なにか言ったりしたりする前に、ちゃんと考えたり注意したりしてないのかな。そうしていれば、失敗しないで済むのかな」
ウサ「たしかに、なにか言ったりしたりする前に、じっくりと考えたり注意したりすれば、失敗は減るようにも思えるよね。でも、それって、本当かな」
サヤカ「違うの?」
ウサ「じゃあ、失敗について考えてみよっか。サヤカちゃんは、そのサンタさんの正体について、お友達の弟くんに、聞かせようと思って言ったわけじゃないよね?」
サヤカ「もちろん、違うよ! 言ってから、気がついたんだもん」
ウサ「うん。誰も失敗しようと思って失敗する人はいないよね。だって、もしも、失敗しようと思って失敗したら、それって成功だってことだもんね。これを『成功の失敗』って呼ぼうか」
サヤカ「『成功の失敗』って変なの。でも、ウサの言っていること分かるよ。それで?」
ウサ「人は失敗してしまったあとに、それが失敗だったって分かるわけでしょう?」
サヤカ「うん」
ウサ「そうだとしたら、失敗する前に失敗について考えることはできないことにならないかな。だって、失敗した後じゃないと、それが失敗だって分からないんだから」
サヤカ「失敗した後じゃないと、失敗だって分からない?」
ウサ「そうよ」
サヤカ「そうかなあ。たとえばだよ、テストの前にさ、勉強していかないようにすれば、テストを受ける前からテストに失敗するってことが分かるよね。これって、失敗する前に失敗について考えることができていることにならないかな」
ウサ「テストの前に勉強していかないようにして、テストで失敗するっていうことは、失敗しようとして失敗しているわけだから、それは『成功の失敗』の方にならない?」
サヤカ「そっか……うーん……そうすると、失敗するまでは、それが失敗かどうか分からなくなって……ねえ、ウサ、これってすごく怖いことじゃないかな。だって、自分がしたことが、あとから失敗だったって分かるなんて」
ウサ「そうね」
サヤカ「……なんかそう考えると、何をしてよくて、何をしちゃいけないのか、分かんなくなってきちゃったよ」
ウサ「そのために、礼儀作法とか道徳とかがあるのよ。礼儀作法や道徳っていうのは、何をしてよくて、何をしちゃいけないのか、ということを教えてくれるものなの。それに従っておけばいいことにしておきましょうっていう決まりなのね」
サヤカ「うーん……でもさ、ウサ。礼儀作法とか道徳とかって、おおざっぱなものでしょ。たとえば、今日のわたしの場合みたいにさ、『友だちに小さな弟がいるときは、その近くでサンタさんが親であることを話してはいけない』なんて決めてくれてないじゃん」
ウサ「ふふっ、たしかにね」
サヤカ「だったら、どうしたらいいの?」
ウサ「実はね、この件に関してはね、どうしようもないのよ」
サヤカ「どうしようもない!?」
ウサ「うん、失敗することは、あらかじめ知ることができないんだから、失敗を避けることはできないの」
サヤカ「えー……そんなあ」
ウサ「自分がいいと思ったことをね、とにかくやってみるしかないの」
サヤカ「自分がいいと思ったことだったらまだマシだけど、今日のわたしみたいにそんなこと全然考えもしないでやったことはどうなっちゃうの?」
ウサ「それも同じことね。悪いと思ってやったわけじゃないんだから、そういう意識しないでしたことも、いいと思ってやったことに含まれちゃうのよ」
サヤカ「でもさ、いくら自分がいいと思ってやっても、それで人を傷つけちゃうこともあるわけだから、やっぱり、そんなのって嫌だなあ」
ウサ「うん、だからね、自分がいいと思ってやったことっていうのは、この世の中では、それほど非難されないことになっているのよ」
サヤカ「えっ、どういうこと!?」
ウサ「たとえば、今日、サヤカちゃんのサンタさんについての発言で、小さな子が傷ついたとしても、サヤカちゃんにその子を傷つけるつもりなんかなければ、それほどサヤカちゃんが責められることはないの。失敗はね、責められないことになっているのね」
サヤカ「失敗は責められない?」
ウサ「そう。もちろん、これは程度問題だよ。たとえば、その小さな子のすぐそばで、友だちとボール遊びなんかして、そのボールがその子に飛んで怪我させることになったら、いくら傷つけるつもりがなかったなんて言ったって、責められないわけにはいかないわ」
サヤカ「そっか……誰も失敗しようと思って失敗する人はいないわけだから、すごくひどい失敗以外は、それほど責められないんだ」
ウサ「安心した?」
サヤカ「……ねえ、ウサ。たとえ、責められないとしても、傷つけたことには変わりないわけでしょ? そうしたら、他人から責められなくてもね、自分で自分のことを責めちゃうと思う」
ウサ「そうね。そうなっちゃうかもしれないね」
サヤカ「だとしたら、他人から責められなかったとしても、あんまり変わらない気がするなあ。というか、もしかしたら、他人から責められないことの方が辛いかもしれない。思いっきり責めてもらった方が、かえって気が楽ってこともあるかも」
ウサ「そういう可能性もあるね」
サヤカ「だったら、全然、問題は解決してないよ。あーあ、失敗したくないなあ……」
ウサ「ねえ、サヤカちゃん。サヤカちゃんは、一年生くらいの頃、自転車に乗る練習をしていたけど、そのとき、何度も転んで失敗したでしょう?」
サヤカ「うん、なかなか乗れなかったことを覚えているよ」
ウサ「それでも、その失敗を続けるうちに、自転車に乗れるようになった。そうすると、失敗っていうのは、成功するために必要なことだって言えないかな」
サヤカ「うーん……自転車の場合は自分のことだからいいけど、今日の場合は他人のことだからなあ。自分が傷つくことだったら構わないけど、他人が傷つくのが嫌なんだあ」
ウサ「他人を傷つける失敗をしないようにする方法が、実は一つだけあるよ」
サヤカ「なになに!?」
ウサ「他人がいないところで暮らすのよ」
サヤカ「ええっ!? ……山奥とかで一人で?」
ウサ「そそ。周りに他人がいなければ、他人を傷つける失敗をすることもなくなるよ」
サヤカ「……うーん……でも、それってすごく寂しい気がする」
ウサ「それが嫌だったら、この社会で他人と一緒に暮らすしかないけど、そうすると、どうしても時には失敗をして、他人を傷つけることになっちゃうのよ。これは避けられないことなの。失敗しない方法は無いのよ。失敗しても、大抵は許されることになっているけど、サヤカちゃんが言うとおり、許されたって傷つけた事実が消えるわけじゃないから、自分自身で責めちゃうかもしれないね。でも、そうして自分で自分を責める中で、人間は成長するとも言えるのよ。いっぱい失敗して、いっぱい自分を責めて、そうやって成長したあとに、ある人を傷つけた分だけ、他の人によくしてあげればいいんじゃないかな」

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春日東風

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