女の子とウサとの哲学的会話「昨日の自分と今日の自分って同じなの?」

〈登場人物〉
サヤカ……小学5年生の女の子。
ウサ……サヤカが3歳の誕生日にもらった人語を解するヌイグルミ。

サヤカ「ねえ、ウサ。昨日の自分と今日の自分って、同じ自分なのかな。昨日お母さんに怒られてね、ムカムカしてたんだけど、でも、今日になったら、どうでもいいことみたいに思えちゃってさ。それって、どういうことなんだろう。お母さんに怒られたこと自体は昨日と今日で何も変わっていないわけだから、そしたらさ、わたしの方が変わったってことにならないかな」
ウサ「そう言っていいと思うよ。人間の細胞は数年で入れ替わるっていう話もあるみたいだからね。日々、サヤカちゃんは変わっているって考えてもいいんじゃないかな」
サヤカ「でも、そうするとさ、たとえば、わたしが今日またお母さんに怒られるとするでしょ。で、ムカつくとするよね。でも、明日になったら、明日の自分になってて、またどうでもいいことのように思うとするとさ、今日感じていたムカつきって、いったい何の意味があるんだろう」
ウサ「今日また怒られてムカつくとして、そのムカつきは、今日のサヤカちゃんにとって意味があるんじゃないかな」
サヤカ「でもさ、今日のわたしにとってしか意味が無いとしたらさ、今日起こることってあんまり重要じゃないってことにならないかな? だって、明日になったらその意味が無くなっちゃうんだから」
ウサ「うん、そう言ってもいいね」
サヤカ「そうだとすると、人間の一生って、『今日』のくりかえしなわけだから、一生に起こることの全部も、意味ないってことにならない?」
ウサ「なっちゃうね」
サヤカ「うーん……それはなんかちょっと嫌だなあ」
ウサ「そうかなあ。それはステキなことだと思うけど。明日になったら明日の自分がいて、同じできごとに対しても違った風に感じる可能性があるとしたら、日々別の世界を生きているようなものでしょ。一生に起こる事の全部に意味が無いとしても、その意味が無いっていうことが大きな意味を持っているんじゃないかな」

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