ここを見逃したらノーエリートです!『天カス学園』再入学に向けたチェックシート(ネタバレ有レビュー&備忘録)

皆さん観ましたか『クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』!?
めちゃくちゃ面白かったです!宣伝などで「本格(風)ミステリー」なんて予防線を張る必要など全くない、ド直球に端正でフェアな本格ミステリでした。お子さんから親御さん、おじいちゃんおばあちゃん世代まで幅広い層が鑑賞する作品として、ストレートに分かりやすいものから一見見えにくいロジカルなものまで、全編にわたって張り巡らされた伏線・手がかりの難度のバランスも素晴らしく、「みんなが推理に参加できる」作品になっていたのではないかと思います。

(※ところでジャイアント馬場さんなど登場するワードがクラシックすぎるのでは?と思う場面もあったけどちゃんと子供たちは笑ってるんですよね。馬場さんとかチャンドンゴンさんで。私も当時11歳で『オトナ帝国』を映画館で見てちゃんと大爆笑して大号泣したので、「これって大人向けすぎない?子供分かるの?」なんて言葉で、クレしんで英才教育を施された児童のリテラシーを舐めないでよね、って話であります)

観た人の感想をツイッターでサーチしていたら、「うわー、そこも伏線だったのか」と舌を巻くこと多々あり、またクレしんファンの友人たちとdiscordで喋る中でも発見がいくつもあったので……『天カス学園』をリピートすることを「再入学する」と呼んでいる方がいて超良い表現だと思ったのでパチッて、「再入学時にチェックしておきたいポイント」をミステリ部分中心にまとめて、自分用の備忘録を兼ねたレビューとしていきたいと思います。
死ぬほどネタバレしますので未見の方は今すぐPC・スマホを切って映画館へ!!!!



ネタバレするので気をつけてくださいね!!!!言いましたからね!!!?ネタバレだけ読んで見た気になるのはノーエリートですよ!!!!



本作、ミステリとして「一見、〈イージーなダイイングメッセージもの〉に見えて、実は〈ダイイングメッセージを残すための筆記具を手に入れられる場所はどこか〉から〈本当の犯行現場はどこか〉へと謎の性質自体がスライドする」構造がまずめちゃくちゃ上手いんですよね。大山誠一郎先生の『アルファベット・パズラーズ』の諸作とかをなんとなく想起しました。

しかも、冒頭の「ひろしさんが持ち物チェックをするくだり」で、「学園指定の持ち物の中に筆記用具が含まれていないこと」と「天カス学園の授業はすべてタブレットで行われること」が控えめながら既に明示されていて、チョコビを巡るしんちゃんと風間くんの喧嘩が「風間くんは学園に指定されたもの以外を持ち込んでいない」ことの補強にもなってるんですよね。

実験装置の巨大さから、犯行を隠すためのダミーの犯行現場を用意しなければならなかったというのは合理的ですし、「クレヨンしんちゃん映画」として「本当の殺人事件は起こせない(言うてもブリブリ王国とか雲黒斎とか確実に人死にが出てる映画もいくらでもありますが)」制約を逆に生かした、「被害者自身が証言者になることで成立するトリック」なのが見事です。

「ロロさんが時計塔に出入りしている」→「時計塔の一階で隠れてコモドドラゴンの赤ちゃんを育てていた」という設定が、単なるミスリードでなく、「ロロさんが犯人だったら、赤ちゃんを隠している時計塔に注目が集まるような犯行方法は選ばない」という容疑者消去と、「時計塔に日常的に出入りしていたロロさんが犯人も被害者も見ていない(そして犯人もロロさんの存在を認識していないからこそ時計塔を利用し続けた)=時計塔は本当の犯行現場ではないし、死体は一階から運び込まれたのではない」という傍証にもなってるのとか本当、周到すぎて怖い。

友人の某クレしんファン小説家が「現場検証のシーンで風間くんがハシビロコウのコスプレをしていたのは、『私は飛んでここに来た』ことの暗示だったのでは?」って言ってたんですが、マジ?

あとこれは、本邦最高峰の天カス学園研究者の方がツイートしてて震えたのですが、最初のカットから大伏線が張られてたんですね……ここ、再入学時のチェックポイント①にします。

「サスガ君だけ、発見された時に濡れていなかった」「風間君たちと倒れている向きが違った」という手がかりも丁寧。
「止まっているはずの時計台の鐘が鳴り響き、死体が発見される」というホラー的趣向が、「死体運搬のトリックの副産物として鳴っていた」と鮮やかに解かれるのは、『本陣殺人事件』の琴の音とか、あるいは思考機械の「呪われた鉦」なんかを連想してクラシックミステリ魂を感じましたね。
「サスガ君が校庭のモニュメント群のメンテナンスをしている」という地味な伏線が派手に効いてくるのも熱い。

で、チェックポイント②なのですが「サスガ君の発見時には鐘は鳴っていたか」も確認してきます。もちろん、鳴っていたとしても「犯人として、不自然でないように鐘を鳴らす」のは当たり前なんですが、彼の時だけ鳴ってなかったら震えます……。

そもそも「壊れて止まった時計台」という舞台が物語にめっちゃフィックスしてるんですよね。
『天カス学園』は、豆沢サスガと風間トオルというふたりの「止まってしまった/止まってしまう時計の針を無理やりにでも進めようとした男」の話じゃないですか。
サスガ君は「走るのをやめてしまったチシオちゃんを救いたい」、風間君は「かすかべ防衛隊の終わりを避けたい」というのが本作における行動理念であって、そして「止まってしまう時」の象徴である壊れた時計台が崩壊した瞬間から、事件の解決とクライマックスという形で「それぞれの時が動き出す」。ここの演出は思えば、『夕日のカスカベボーイズ』の太陽が動き出すシーンを連想させるものですね。
さらに言えば「クレヨンしんちゃん」という終わらない日常もののコンテンツで「日常の終わり」を語るという試み自体が、「止まった時計の鐘を鳴らす」ようなものだともいえるかもしれません。

『オトナ帝国』が「過去へのノスタルジー」の映画だったとすれば、『天カス学園』は「やがて過去になる『今』へのノスタルジー」の映画なんですよね。このあたり、米澤穂信先生の古典部シリーズや、陸秋槎先生の諸作にも通じる「青春学園ミステリの正鵠」って感じがします。
映画クレしんではラストは「塔のてっぺんを目指す縦移動」であることが多い(オトナ帝国以外にもハイグレ魔王、ヘンダーランド、暗黒タマタマ、ブタのヒヅメ、ジャングル……)のですが、本作では一部「山を登る」コースはあっても最終的には平坦なトラックで決着するのは、「上にのぼり詰める」移動が本作だと「エリートを目指す」ことにオーバーラップしてメッセージがぶれるからってだけじゃなく、「過去→未来」という軸移動でなく「今」を巡る戦いなのだ、というのを強調したかったのかな。
『オトナ帝国』では「観客」たちは観ているだけだったけど、『天カス学園』では能動的・主体的にしんちゃんたちを助けようとするのが、同作をリスペクトしたうえで「その先」を描こうとしている真摯さを感じて泣ける。

サスガ君周りがちゃんと犯人心理として無理のない形で練られているのもさすがです。
「チシオちゃんへの恋」という動機を踏まえて彼が被害者のふりをする一連のシークエンスを考えると、「チシオちゃんに事件の解決を頼られた」時点で詰んでるんですよね。「学園No.1のエリートとして『謎が解けない』ことは許されないし、チシオちゃんに失望されたくない」サスガ君にとっては「真相に辿り着きそうになって犯人に襲われた」ように偽装するしか、自身を守るすべがなかったという……もちろん、被害者のひとりと思わせることで捜査対象から外れることをも目論んだんでしょうし、さらにはもしかしたら「自分の責任ではない形で、『一位』のプレッシャーから逃れること」をも狙っていたのかも。
あのほぼ座敷牢の激ヤバプレイルームでガキンチョにした生徒たちと一緒に粘土をこねている時、サスガ君は初めて「No.1エリートの仮面をかぶらずに同年代の子と一緒に遊べた」のかなと思うと心がギュッとなる。だから無心で遊んでたからこそ……っていうね。

「学園一位しか食べることを許されないカニ」という、「サスガくんの抱える孤独の象徴」が犯人特定の決定的証拠になるの、コロンボの「断たれた音」とか古畑の「頭でっかちの殺人」かと思った。倒叙ファンはこういう結構に弱い。

(カニの殻を付け爪のように見せるミスリードの場面で、マサオ君が「爪?」って訊いてたってツイートも拝読してぶっ飛んだ。覚えてなかったけど、「(カニの)爪?」ってことだよね?天才か……?チェックポイント③です)

これはくだんのクレしんファン小説家に言われてハッとしたんですが、「風間くんとサスガくんがともにアクション仮面の『仮面』の文字を間違えるのは、ふたりの共通項を示すだけでなく『間違った仮面』というモチーフで『本音=素顔を見せられなかった/誤った仮面をかぶってしまった』という意味をも含んでいるのでは?」っていう……
マカロニえんぴつさんの主題歌『はしりがき』にも、「♪仮面より起こせアクション」って一節があるんですよね。これはチシオちゃんのことでもあるし……
マジで『はしりがき』は、ちゃんと映画を噛みしめて歌詞が書かれている、いや下手すりゃ歌詞前提に脚本書いたんじゃないの?ってくらい作品内容とフィックスした誠実なアニメソングなので絶対100万枚売れて欲しい。「マカロニえんぴつさんが『はしりがき』って曲を歌うから『鉛筆書きのダイイングメッセージ』の話にした」んじゃないの?

「構造の巧さ」なんですよね本当。「あらゆる人生を肯定する」というテーマを引き立たせるための対峙する敵が「全員を均質な『スーパーエリート』に改造することを目論む」存在で、実行犯がその計画に与するきっかけとなった相手に惹かれた理由が、しかし「他のみんなと違ったから」である皮肉よ。

「チシオちゃんの表彰台の写真」の伏線は、チシオちゃんのゼッケン番号が「2338」になっているのに観客の視線を誘導しておいてぬけぬけと「解答」を画面に映すミスリードというだけでなく、あの場にサスガ君がいたことが、「彼はチシオちゃんが走っている時の顔を見ているし、その上で好きでいて、また走って欲しいと思っている」ことをちゃんと担保してくれるんですよね。

小説家は「被害者以外ではチシオちゃんだけが吸ケツ鬼の姿を目撃していたのって、彼女が毎晩ひとりで走っているのをサスガ君が見守ってたからってことでしょ……待ってしんどい……」と呻いていました。

さらに、これはおそらくなんですが、「33」が「メガネキャラがメガネを取った時の目」を指しているという解釈は、「クレヨンしんちゃんが長らくドラえもんの後に放送されているアニメであること」と無関係ではないと思うんですよね。「ドラえもんとクレヨンしんちゃんを並びで観てきたすべての人」が笑っちゃいながらも納得できるように補助線になってる。

別のクレしんファン識者ミステリクラスタの友人が、もしかしたらこの「鉛筆で書かれた『見方によってどうとでも解釈できるダイイングメッセージ』」というテーマのモチーフはクイーンの「Eの殺人」では?と指摘していましたが、まぁそれは考え過ぎかも。

チェックポイント④ですが、「サスガ君が片目をつぶっている時と両目を開けている時」で絶対、何かを描き分けていると思うのでそれがなんだったか(なんとなく「自分の心を偽っている時は片目を閉じている」ような気がしてます)も確認してきます。

小説家に言われたのですが本作にはふたり、映画クレしん過去作で重要な役を演じた声優さんが再登板されていて、それはオツムン役の佐久間レイさん(『雲黒斎の野望』のリング・スノーストーム役)とロロ役の齋藤彩夏さん(『夕日のカスカベボーイズ』のつばきちゃん役)なのですが、この起用も「あえて」な気がしてます。

本作はうえのきみこ先生脚本の映画クレしんとしては『天カス学園』は『オラの引っ越し物語』『爆盛!カンフーボーイズ』との三部作……というか、過去二作をさらにブラッシュアップさせた集大成が本作と言えるんじゃないかと思っています。
上記三作の共通項としては、「ストレートなジャンル映画(『引っ越し』はゾンビパニック映画、『カンフー』はそのままカンフー映画、そして『天カス』は『サスペリア』的ホラーミステリ映画)をやった解決の先に破格の展開を設ける」点が挙げられますが、その形式のモデルになっているのが、骨太時代劇映画の先にえらいことになる『雲黒斎』と、クラシカルな西部劇映画の先にえらいことになる『カスカベボーイズ』だったんじゃないかと考えられるからです。
さらに言えば、『カスカベボーイズ』は、「止まっていた時が動き出す」場面が印象的な、「特権を与えられた風間くんがしんちゃんの元から去る」プロットを持つ物語であるという点で、『天カス学園』の精神的先行作であると指摘できるかもしれません。

……あーだめだ。いろいろ思いだしてまたボロボロ泣いちゃってパソコン打てないので、とりあえず今日はこのくらいにします。えーんえーん。

8月11日追記:荒岸来穂さんより、「壊れて止まった時計塔の鐘が鳴ると殺人事件が起こる」「学校の支配的な管理システムへの疑念」「人を飛ばすトリック」といった『天カス学園』の主要なプロットのいくつかは、はやみねかおる先生の『亡霊は夜歩く』がモチーフになっているのではないかと言われました。
だとするとサスガ君とチシオちゃんの関係性が『オペラ座の怪人』に擬されているのは、『亡霊』の作中で言及されるリスペクト元のひとつが同じガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』であることへの目配せなのかもしれませんね。

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