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【かすみを食べて生きる 1 発症】 ワレンベルグ症候群による嚥下障害のリハビリなどの記録

脳梗塞 発症0日目
2か月ほどいやな頭痛が続いたある日、それは突然やってきた。

<序文   発症1日目:救急外来>


突然来た頭痛

そろそろ寝ようと布団の中でスマホを眺めながらうつらうつらしていた夜11時。
急に強い頭痛に襲われた。
左目の奥、今まで感じたことがないような締め付けられるような強い痛み。
左目からだけ涙が出てくる。
一定時間痛むと少し痛みが引いてきたのでそのまま眠れるかと目を閉じていたが、痛みはまたやってきた。
4回くらいこの痛みの波がやってきたところで、夫を起こして助けを求めた。
その後も一度痛みの波が来たから、強い痛みは計5回だったと思う。
吐き気がきたのでエチケット袋を取ってもらった。
胃の中のものが全部出たのではないかという程度にがっつり吐いた。

受け入れ先を探す

夫は救急安心センターに電話をして、症状を説明して近隣の夜間対応病院を確認、教えてもらった病院に対応可能か電話をかけてくれた。
1件目の1番近い病院は満床で受け入れ不可だった。
2件目の市内の少し離れた病院は電話が繋がらない。
3件目は隣の市の病院。
3件目にかけるかどうかを私に相談をしてくれたけどその時点で私は頭がぐらぐらで気持ちが悪く、もう受け入れてくれるならどこでもよいという様なことを言ったと思う。
その後2件目にもう一度電話をして繋がり、当直は内科医だが、必要に応じて脳外科医を呼んで画像診断をする事は可能といってもらえた。
これまでにもかかったことがあった病院だったので、そこでの受け入れをお願いした。

救急車を呼んでほしい

この時点で夫は私を車で病院へ連れて行くつもりで準備をしていたが、私は座っているのもやっとの状態だった。
「受け入れ先が決まっているなら、救急車を呼んでほしい」
私からそう頼んで救急車を呼んでもらった。
救急車が来るまでにトイレに行きたいと思い、夫に連れて行ってくれるように頼んだ。
1人で立って歩くことはできなかった。
夫が支えてくれて、右足はなんとか立ったが、左足は力が入らずぐにゃっと曲がった。
夫は驚きながら、なんとかトイレに座らせてくれた。
そこでおなかのものもあらかた出してしまったと思う。
吐いてすぐ後だったので口を濯ぎたいと夫にお茶をもらった。
うがいをしようとしたら激しくむせた。
この時はうがいを失敗した形だったが、今思えばこの時点で既に嚥下はできなくなっていたのだと思う。
お茶に溺れて廊下でのたうち回っていたところで救急車が到着した。

病院へ

シート状の担架に載せられ救急車にのった。
頭が動くと気持ちが悪いので、目を瞑って左側を向いて耐えた。
夫が子どもを連れ同乗してくれ、救急隊員の質問に答えてくれた。
頭が痛くて動かすことができず、救急隊員の顔をほとんど見れなかった。
子どもが心配だった。
夜中に急に起こされて救急車に乗せられてびっくりしているだろうなと思いながら、頭を動かせず子どもの顔を確認することはできなかった。
救急隊員に持ってくるよう言われたお薬手帳の場所だけ、夫に伝えたように思う。
そうして恐らく夜中0時頃、救急車は走りだした。



---振り返って

コロナ禍の逼迫した救急体制の中、脳外科医のいる病院に受け入れてもらえたのは不幸中の幸いでした。
これまで子どもの怪我などで、救急安心センターに電話をして近隣の救急外来を確認するという経験があり、夫がすぐその対応をしてくれたのもありがたかったです。
胃の中も腸の中もカラカラ、吐いてむせたあとの喉もカラカラの状態で、私は病院へ行くことになりました。


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