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南北朝時代の豪壮な刀は人を斬る為ではなかった?

南北朝時代といえば、鎌倉時代と室町時代に挟まれる時代わずか60年ちょっとの事を指し、広く言えば室町時代に含まれますが、日本刀は更に大きく豪壮な姿へと変化しています。(全時代を通じて一番刀が大きくなる)

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(画像参照:刀剣博物館 日本刀の歴史


江戸時代(↑でいうと9あたり)になると2尺3寸(刃長約70㎝)が定寸と決まりましたが、南北朝時代は3尺(90㎝)を越えるものも多く登場し、中には太郎太刀や次郎太刀など、7尺越え(刃長221.5㎝)、6尺越え(刃長166.6㎝)といった長大なものも登場します。

そこで素朴な疑問…。

・そもそもどう扱うの?


という事で気になり調べていたら、こちらの記事を発見。
記事によると、どうやら基本的には歩兵の武器ではなく騎馬武者の用いるもので、馬上から馬の勢いで斬る武器であまり振り回す必要は無かったようです。
但しあえて腕力を誇示するかのように地上で振るう場合もあった様子。
当時乗っていた馬はポニーと言われていますが、ポニーでも全速力で40㎞ほどは出るようなので、騎乗で扱う場合は脇をしめて大太刀を固定し駆けるだけでも相当な武器になったらしい。
勿論1人では鞘から抜く事が出来ないのであまりにも長い場合は従者に引き抜いてもらう必要がある。

大太刀で何を狙っていたかと言えば、人ではなくの方で馬の足を狙い馬をつぶすことで戦力を削ったようです。
が、当然人も斬っているとは思います。
刀というよりは薙刀などに近い使われ方をしたのかもしれません。

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(画像出典:姉川合戦図屏風


因みに因みに。

大太刀で調べると他にも山のように出てきました。
その中でもトップは全長465.5㎝(刃長345.5㎝)、重さなんと75㎏。
名前は「破邪の御太刀」といい、1859年に氏子らが奉納。
現在は花岡八幡宮の宝物展にて保管されています。
そもそもどうやって焼き入れを行ったのだろうか…?

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(画像出典:下松市/郷土資料・文化遺産デジタルアーカイブ


・終わりに

過去に3尺の健全な大太刀を持たせて頂いた事がありますが、あれは普段鍛えていない私のような人にはそもそも持つのがやっとの世界でした。
あれだけの重さのものを片手で振るのは流石に無理がある気がしますが果たしてどうでしょうか…。

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それでは皆様良き御刀ライフを~!

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