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不妊治療でお地蔵さん似のわが子に会えた話①

2023年夏。不妊治療4年の末、ようやく我が子に会うことができた。
左腕にお地蔵さん似の最愛の子どもを抱きながら、つらつらと振り返りをしようと思う。

はじめに

これを書く目的は大きく2つ。
①自身の気持ちの整理
妊活、不妊治療、流産、それ以外にもキャリアや劣等感など、たくさんの悩みがあった。これからもたくさん悩むであろう。言語化して整理をしておきたい。

②不妊治療について、悩んでいる人の力になりたい
不妊治療の辛さは想像以上だった。4.4組に1組の割合で発生している割には、情報がオープンでないし、周囲に打ち明けにくい。ひとつでも多くの経験談で誰かの力になれるかもと考えた。

※内容としては不妊治療中の心境や出来事が中心になると思います。
専門的な知見があるわけではなくやや記憶もおぼろげなので、記述の内容は100%正しいわけではないです。ご了承ください。

自己紹介

都内在住30代のサラリーマン。甘いものと動植物園が大好き。マッチョな夫とお地蔵さん似の子ども、ちくわ色の犬の3人と1匹家族。

不妊治療概要

ざっくり概要は以下。不妊治療の階段を順調にステップアップした。

2017年 結婚
2018年 妊活開始
2019年 不妊治療開始。タイミング法開始
2020年 タイミング法で妊娠発覚も、心拍確認前に流産。人工授精開始
2021年 体外受精開始
2022年 妊娠
2023年 出産

不妊治療のなんと辛いことか

今となっては不妊治療を経験したことで、良かったと思うことは以下。

①キャリアが積めた。
②夫婦ふたりの時間をゆっくり楽しめた。
③①の理由から、家計的に余裕が持てた。治療費やこれからの教育費に充てられる。

とか言っているものの、当然しなくていいならしない方がいい。

不妊治療はゴールが知らされていないマラソンみたいに辛くて苦しかった。どうして人に普通にできることが自分にはできないのかを何度も責めたし、周囲の人が全員敵に見えた。夫に子どもを抱かせてあげられない申し訳なさや、「この人は私と結婚しない方が幸せだったのでは?」という気持ちがぐるぐる。
間違いなく、私の人生で辛かったことトップ3に入る経験になるであろう。数十年後死ぬ時に辛かったことを聞かれたら、前のめりで不妊治療と答える自信がある。



前置きが長くなったが、つらつらと。

治療歴を振り返る

2017年、結婚

会社の上司に当たる夫と結婚。周囲と比べると早い年齢での結婚だった。結婚式や新婚旅行やらでしばらくのんびりと楽しく過ごす。「新婚旅行行くから妊娠は先でいいや」と余裕こいてた自分を殴りたいと何度思ったことか 笑

2018年、妊活開始

妊活開始すればすぐに子どもはできるもんだと思っていた。自己流で基礎体温をつけながら、タイミングをとる日々。たまに現れる妊娠初期症状っぽいものに期待しては一喜一憂していた。

2019年、不妊治療開始

あれ、、?なかなか妊娠しない。ネットを見ると1年妊娠しない場合は不妊にあたると。もう1年半なんですけど。。認めたくなくて、重くなった腰を上げてようやく受診。おじいちゃん先生に「うん、不妊症だね」と明るく言われた

タイミング法開始、片側卵管閉塞

まずはタイミング法を開始。プロラクチンの値が高く、抑える薬を投与とのこと。数回チャレンジも、なかなか結果が出ない。
お次は卵管造影。激痛と聞いたので覚悟していったが、生理痛くらいだった。個人差あるんだな。
結果は右側の卵管閉塞。毎回交互に排卵する訳ではないが、ざっくり妊娠の可能性が1/2になると考えたら良いとのこと。自分の体が欠陥品に思えて、少し泣いた。
夫の検査結果は問題なし。

タイミング法で初めての妊娠

卵管造影後数ヶ月が妊娠しやすいとのことで、タイミングをとった結果、2ヶ月後に陽性。11月25日が予定日だった。5w5dでの診察でクリニックを卒業。先生の「心拍はまだだね。気持ち悪くない?もうつわりが来るんじゃない?」と明るく言われた言葉が、どこか引っかかった。なんの症状もないなあ。。

転院、初期流産の予感

つわりがないまま転院先を受診。
明るい雰囲気の待合室。春に差し掛かったその日はよく晴れていて、中庭がきれいだったのを覚えている。「この診察が終わった後どんな顔してんのかな」とぼやっと考えていた。

内診室で「心拍が見えますように」と祈るような気持ちでモニターを見た。点滅は見えなかった。どきり。先生から「あんまり大きくなってないな、心拍もまだだね」と言われた。

流産の話はされなかったが、歯切れの悪さから、良くない状況なことが分かった。脳がぎゅーっと締め付けられるような感覚がした。

一週間後、再度受診とのこと。看護師さんに、母子手帳申請はまだ待ちだねと言われた。無理な気もするけど、来週もらえたらいいな。

帰宅してからは、ネットで必死にうまくいった人の経験談を探した。きっと大丈夫と言い聞かせながら、悪い記事は読み飛ばし、自分に都合の良い記事を見つけては少しの希望を見出す。ネットに正解は無いとわかっているのにやめられなかった。そうでもしないと精神状態が維持できなかったんだと思う。

一週間後、再度受診。やはり心拍は確認できず、流産でほぼ確定と言われる。

流産、めちゃめちゃ痛い。呪いのことば

そのうち出てくるからね、と言われた次の日から出血が始まった。お別れなんだな。その翌日の夜、激しい下腹部痛に襲われた。うんうん唸る私に、夫が救急車を呼んでくれた。救急車が到着する直前、なにか出てくる感覚があってトイレに駆け込んだ。血の塊のようなものが出てきて、嘘みたいにすっと痛みが軽くなった。救急車が到着して、病院に行くことに。塊をティッシュに包んで持って行った。

内診で、きれいに出てくれたねとのこと。出て「くれた」ってなんだ、出ていってほしくないよ。
診察室で涙が止まらなかった。ネットで何百回と見た、「初期流産はお母さんのせいではないから気にしないで」と言われた。あーこれほんとに言われるんだ。頭の隅で思った。

悲しさと同時に、やっぱりな、という気持ちもあった。「私の人生がうまく行くはずがないんだ。これまで大きな挫折や失敗を味わってこなかったツケが今来てる」このとき初めて浮かんだ思考が、不妊治療期間中に消えることは一度もなかった。この呪いみたいなことばにずっと苦しんだ

※ちなみに、出産したときもつわりはなかったので、母体や子どもによるんだと思う。「つわりがない=流産」ではないので、安心してもらいたい。

長くなったので、続きは別記事にて投稿します。

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