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地方では年収300万円で生きていくべきなのか

今日も今日とてTwitterでは、新たなネタが産まれた。
上記のような多くの方からの批判が渦巻いている。その火元は、農林水産省の有識者会議でのとある方の発言である。

さて、これがどの農林水産省の有識者会議での発言なのかが分からないとはいえ、あまりに短絡的な発言だなとは思う。

考えてみても、例えば地方在住であっても中学生高校生の時ディズニーランドに行きたいと思ったことがある人は相当の数いるはずである。単に東京に出たいという理由で大学受験をしたいと親に申し出た人も多いだろうし、また親自体が「東京の大学に行ったらどうか(地元には進学先がないから)」と推奨していることも山ほどあるはずだ。

(最近の若い子はテレビを見ないとはいえ)広告、CMで流れているゲームを買いたいと思ったり、有名人がおすすめしているファッショングッズ・洋服を手に入れたいと思うことだって多いはずだ。

地方においてこれを「諦める」ことは、都会の中で得られる「楽しさ」よりも、地方において生活することで得られる「楽しさ」の方が上回る場合がある場合においてのみ成立する。また、都会で得られる「楽しみ」を得るために都会で必要な「収入」が、地方で生活する中で得られる「収入」と比較した差額は、相当の「苦労・ストレス」をもってしてでないと得られない、という場合でも成立するだろう。

要するに、都会で消耗するより地方の方が楽である、という『価値観』と『実感』を持てるかどうかだ。

では果たして、その『価値観』と『実感』は得られるのだろうか

多くの人がSNSなどでこの300万発言を批判している。地方在住であっても進学の悩み、娯楽を求めることは決してゼロにならない、「諦めることなど現実的にできない」という指摘をしている。そしてその指摘をする人の大半は、私が見る限り地方で農業を営んでいたり、その他の生業で生計を立てている人たちだ。その方々をしてそういった価値観も持ててないし、実感もできない、あるいは実感は到底無理だということをわかっているからだ

私の親族も大阪のとある市から結婚で兵庫県の某市(神戸・大阪から1時間半程度)に移り住んだが、目下の悩みは5歳児と3歳児の今後の塾通いをどうするかである。地元の小学校中学に通いながらも、高校は神戸などの学校に行ってほしいと今から願っている。また、地方ほどそういう思いを持つ親が多いので、実はその地域の中核駅の前は進学塾が多かったりする。

4か月ほど前福井県あわら市の芦原温泉駅に行く事があったのだが、来年開業予定の新幹線駅の工事が進む中、駅前の4階建てのビルには3つの進学塾が既に入っていた。夕方になるとお迎えの車で軽い渋滞になるそうだ。

それだけ、地方には進学させたい、進学のための準備をしたいという子育て世帯のニーズが大きい。進学をあきらめるということは、子供の将来に影響が大きいと思っているからだ。子供の将来のために少しでも可能性の幅を広げたいというのは親として当然だと考える。これが塾だけでなく、スポーツでもそうだ。野球をやりたい、水泳、サッカー、、、親としてできる限りのことをしたいという思いを「諦める」ことなどできるはずがない

そもそも論として、娯楽や贅沢は「諦めなければならない」ものなのだろうか?また、仮に小規模な金額での娯楽を求めたとして、その小さな思いを実現可能な場所が地域になかったりしたらどうしたらいいのか。

人生において娯楽や相応の贅沢は、生きる原動力である。スマホゲームだろうと旅行だろうと釣りだろうとギャンブルであろうとスポーツ観戦であろうと、すべての人は娯楽をする権利がある。また、地方創生において、そういった「娯楽」によって経済が回っていることだってある。都会の人間は贅沢の一つとして地方に旅行に来るのに、地方の人はそれをする余裕がないからあきらめろというのであろうか。

冒頭の地域おこし協力隊出身の方の発言は、要するに『最低限働いて生きていければいいのでは』という話としか取れない(前後の文脈も分からないので何とも言い難いが、切り抜きだとしてもこの思考は理解しがたい)。外国から来て働く労働者の多くが低賃金で共同生活を強いられ、それでも高い家賃と生活費を支払いながら実家である国に送金する姿が思い浮かぶ。

また、こういった考え方は、都会の経済(的余裕)に地方は従属している、という考え方が根底にあるのだろう。実際、東京で多くのお金が産まれ、地方交付金やいろいろな形で地方に流れているのは事実だが、それは東京という場所に首都機能があり会社がたくさんあり、その結果仕事がたくさん生まれ、人がたくさん(過剰なまでに)住むのである。人が多く済めば娯楽が産まれ、教育施設も充実し、贅沢をする場所も生まれる。

地方には人がいなくなっている。なので娯楽も少なく教育施設も成り立たず贅沢する場所も少ない。そして仕事も少ないから銭っこも溜まらない

地方創生の肝はなんといっても「地方でも楽しく暮らせること」を作るということで、その為に地方の仕事でも都会の人並みに稼ぐことができ、娯楽があり、教育が充実し、相応の贅沢もできるようにすることである。

ただ、そのために起業だ創業だということばかりでもない。地方で普通の人が普通に暮らせるようにしていくためにどういうことをしていけばいいか、ということが地方創生に関わる企業としてやっていくことである。(ちなみにうちの会社は、現在でも地域で頑張っている企業をもっと稼げるようにしていくことである。)

諦めることや、地方で創業して頑張っていける人はそこまで多くない。すでに現状、地域おこし協力隊は人材の奪い合いになっている気がする。


キラキラした移住定住促進をしても、既にそういったことで地方に移住定住を考える人はどんどん減っていくだろう。また、創業したいというような人も、それを求める地域が欲しているほど数は増えないとみている。なぜなら結局テレワークもローカル起業も、東京や都市圏に比べれば大したことがないのだ(沖縄は海外資本含む宿泊業の開業が相次いでいるので特殊)

なので、地方を本当に良くするためには、普通の人でも稼げて、楽しい暮らしができる道筋をもっともっと作っていかなければならない。そのためにファーストペンギン的な人も時には必要かもしれないが、それが可能な場所であったり資源があるかどうかは地域次第で、普遍性はない。

農水省が、こういった発言を真に受けて、真の課題解決に繋がらない政策をまた出してしまわないかというのが私の一番危惧するところである。

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